ひ‐ぼうりょく【非暴力】
非暴力
非暴力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:20 UTC 版)
「マハトマ・ガンディー」の記事における「非暴力」の解説
非暴力(アヒンサー;अहिंसा)の概念はインド宗教史上長い歴史を持ち、ヒンドゥー教、仏教(仏陀に代表される)、ジャイナ教の伝統において何度も甦った。また、彼の非暴力抵抗の思想は、『新約聖書』や『バガヴァッド・ギーター』の教えに特に影響されている。自らの思想と生き方を、ガンディーは自叙伝の中で書いている。以下にガンディーが語った言葉からの引用を列記する。 「私は失望したとき、歴史全体を通していつも真理と愛が勝利をしたことを思い出す。暴君や殺戮者はそのときには無敵に見えるが、最終的には滅びてしまう。どんなときも、私はそれを思うのだ」。 「狂気染みた破壊が、全体主義の名のもとで行われるか、自由と民主主義の聖なる名のもので行われるかということが、死にゆく人々や孤児や浮浪者に対して、一体何の違いをもたらすのであろうか」。 「“目には目を”は全世界を盲目にしているのだ」。 「私には人に命を捧げる覚悟がある。しかし、人の命を奪う覚悟をさせる大義はどこにもない」。 また、ガンディーは自分の非暴力の信条を実行に移すとき、彼は極限まで論理的につきつめることを辞さなかった。1940年にナチス・ドイツ軍がイギリス本土に侵入しようとした時、ガンディーはイギリス国民に次のように助言した。 持っている武器を下に置いてほしい。武器はあなた方を、ないしは人類を、救う役には立たないのだから。あなた方はヘル・ヒトラーとシニョール・ムッソリーニを招きいれることになるだろう。あなた方の国、あなた方が自分たちのものと称している国から、かれらは欲しいものを持っていってしまうだろう。もしこの紳士たちがあなた方の故郷を占領したなら、あなた方は立ち退くことになる。もし、かれらが脱出を許さなかったなら、あなた方は男も女も子どもも、虐殺されることになる。しかしあなた方は、かれらに忠誠を尽くすことは拒むだろう また、1946年6月、ガンディーは伝記作者ルイ・フィッシャーにこう語っている。 ヒトラーは500万人のユダヤ人を殺した。これは我々の時代において最大の犯罪だ。しかしユダヤ人は、自らを屠殺人のナイフの下に差しだしたのだ。かれらは崖から海に身投げすべきだった。英雄的な行為となっただろうに。 ガンディーはこうも言っている。 わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。インドがいくじなしで、はずかしめに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、わたしはインドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。しかし、わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、許しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力がいることを知っている。しかし、許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか。
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「非暴力」の例文・使い方・用例・文例
- 非暴力主義者のマハトラ・ガンジーは1869年に生まれた。
- 非暴力というのは私の信仰の第1条だ。
- 彼は、どこへ出かけていっても、愛、忍耐、そしてとりわけ非暴力を説いた。
- ガンジーは死ぬまで非暴力抵抗の理念を貫いた.
- 政府は非暴力的に打ち倒されたが、独裁者は殺された
- 英国の規則に反対するためにそして、政治改革を加速させるためにマハトマ・ガンジーによってインドで始まった非暴力的な抵抗の形
- 非暴力の抵抗を実行する
- サルボダヤ運動という,仏教精神に基づいた非暴力の草の根運動
- サチャグラハという,ガンジーの行った非暴力不服従運動
- ガンディーは南アフリカでの闘争中に非暴力主義の基礎を築いたと言われており,この書簡は彼の思想がどのように展開したかを示すだろう。
- 彼女たちは平和と女性の権利のための非暴力活動を理由に同賞を贈られた。
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