改革の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/17 08:24 UTC 版)
1971年に参議院議長に就任した河野謙三は、参議院への信頼を取り戻し、本来の使命を果たすために改革の必要性を訴え、参議院問題懇談会を設置して改革への取り組みが始められた。議長および森八三一副議長は党籍を離脱(慣例として今日まで続いている)した。また、衆議院に対して参議院の審議期間の確保についての配慮を申し入れ、内閣に対しても先議案件の増加について申入れを行った。これは、衆議院先議の案件は、国会の会期末に参議院の審議を増加させるために、審議が不十分になることおよび与野党の戦術により議事が混乱する事態を抑制するためである。 1982年(昭和57年)、全国区制に代わるものとして拘束名簿式比例代表制による選挙が導入された。参議院改革協議会は、中間報告において、本会議表決における押しボタン投票方式の導入および、通常国会が12月に召集されてから予算が提出されるまでの約1ヶ月間自然休会となっている点を是正する1月召集を提言し、国会法改正により1992年の通常国会から実施されている。 1986年、国会法ならびに議院規則の改正により、参議院独自の制度である参議院調査会が設置された。 1998年、決算についての内閣に対する警告決議議決の際、内閣総理大臣が所信を述べるようになり、警告決議に対して内閣が講じた措置について内閣総理大臣から議長に報告書が提出されるようになった。また、参議院に期待される行政監視機能を向上させるため、オンブズマン的機能を備えた常任委員会である行政監視委員会が設置された。さらに、押しボタン式投票が導入された。 2000年(平成12年)には非拘束名簿式比例代表制導入と議員定数10削減を内容とする公職選挙法の一部を改正する法律が成立した。
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