排英運動の高揚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 10:23 UTC 版)
1940年8月初に行われた、在日英国人の一斉検挙に対する英国の報復措置に関して、日本の新聞各紙は、駐英大使の召還、英国との国交断絶など、強硬手段に出るべきだとの論調で伝えた。 事件後の1940年8月上旬には、日本各地で英国の日本人逮捕に抗議し、日本政府に強硬な対抗措置を求める大衆集会が開かれた。 東京では「巨大反英集会」への参加と、集会後、駐日英国大使館の前で抗議のデモ行進をすることを呼びかけるビラやポスターが配布された。 大阪では、英国領事館が警察にデモに対する警備を依頼したが断わられ、愛国団体が大阪領事館で働く日本人通訳に辞職するよう「勧告」したことが新聞で報道された。 下関では、1940年8月5日に、逮捕されたリンガー兄弟の父で、瓜生商会の支配人であり、下関英国領事代理を務めていたシドニー・リンガーに、東方会下関支部準備会・大日本青年党下関準備会および政治体制強化青年同盟の3団体から、英国が中国で日本の「聖戦」を妨害していることを非難し、日本国内の英国大使館・領事館での策動をやめ、瓜生商会を解散し、私宅を引き払うよう求める手紙が送られた。
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