思わぬ陥落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 04:14 UTC 版)
開元24年(736年)、養子である平盧討撃使・安禄山が奚と契丹に敗北する。彼を長安に送り、判断を朝廷に委ねる。張九齢の反対があったが、玄宗は助命する。 開元26年(738年)、張守珪の裨将・趙堪と白真陀羅が張守珪の命令を偽り、平盧軍使・烏知義に奚の余党を攻撃するように命じた。烏知義は固辞したが、白真陀羅が勅命を偽ったため、烏知義はやむを得ず、攻撃し、初めは勝利したが、次は敗北した。 張守珪は敗北を隠し、勝利したことだけを奏上したが、事実が漏れた。玄宗は宦官の牛仙童に調査を命じた。張守珪は牛仙童に賄賂を送り、罪を全て、白真陀羅に押しつけ自殺させた。 開元27年(739年)、牛仙童は告発され、玄宗の命で楊思勗に殺された。張守珪は括州刺史に左遷となり、すぐに背中に疽を発し、死去した。弟の張守琦は左驍衛将軍、張守瑜は金吾将軍まで至った。子に張献誠がいる。
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