後代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 04:28 UTC 版)
嫡子である二代康継(正保3年2月15日年没)は名を下坂市之丞、入道して康悦といい、旗本の水野成之や阿倍正之とも交流した六方者であったらしいが、技量も確かで、将軍秀忠にその才能をめでられて江戸定住となり神田紺屋町に屋敷を褒美に与えられた。作風は初代とほぼ同様で、初二代とも後世の業物の番付けにも名を連ねる。 二代康継の没後、二代康継の嫡男右馬助(のち市之丞)が若年であったためその叔父である初代康継三男の四郎右衛門の間で跡目争いが起こり、「権現様御取立の家柄」ということで越前松平家の家老たちや阿倍正之らの仲介により、三代目は右馬助が江戸下坂家を踏襲(江戸三代)し、四郎右衛門が越前下坂家の分家を継ぐことになった(越前三代)。以降も江戸康継家は明治頃の十二代まで、越前康継家は幕末の九代まで続いているが、作風は新刀一般のものと大差なく、四代以降は両家とも作刀も少なく技量も劣る。
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