宇木汲田遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 08:19 UTC 版)
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宇木汲田遺跡(うきくんでんいせき)は、佐賀県唐津市宇木にある弥生時代を中心とする遺跡。
概要
縄文時代晩期末~弥生時代前期の貝塚と弥生時代前期後半~後期の甕棺墓を中心とする[1]。出土品の一部は1960年に国の重要文化財に指定された。これまでに細形銅剣、細形銅戈、細形銅矛、多鈕細文鏡、銅釧、管玉、勾玉、銅鐸舌などが出土している[2]。1966年に九州大学やパリ大学などにより行われた調査で、縄文時代晩期末の柏崎式(夜臼式)土器単純層から炭化米が見つかり、稲作が縄文時代に遡る可能性が指摘された。また、1984年に九州大学が貝塚を調査したところ、柏崎式(夜臼式)土器単純層から完形台付き鉢や土偶などが見つかった。
所在地
佐賀県唐津市大字宇木字汲田・瀬戸口
遺構概要
10次にわたる発掘調査により、弥生前期から弥生後期の甕棺墓129基、土壙墓3基が検出されている[3]。
遺物概要
銅剣、銅戈、銅矛、銅釧、銅鏡(多鈕細文鏡)、勾玉、管玉、弥生土器、石斧、などが出土[3]。うち、細形銅剣2口、細形銅矛2口、勾玉、管玉が「肥前唐津宇木出土品」として1960年に国の重要文化財に指定されている[4]。
脚注
- ^ “倭人伝の道”. www.museum.kyushu-u.ac.jp. 2020年11月15日閲覧。
- ^ 唐津市. “宇木汲田遺跡出土銅鐸舌(うきくんでんいせきしゅつどどうたくぜつ)”. 唐津市. 2020年11月15日閲覧。
- ^ a b 肥前唐津宇木出土品(唐津市サイト)
- ^ 「国指定(考古資料の部)(佐賀県サイト)
宇木汲田遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 08:24 UTC 版)
縄文晩期、弥生時代前期より中期にかけての集落で、貝塚が存在し、縄文晩期より弥生前期(板付Ⅰ式土器)には後背の山上に支石墓を営み、弥生前期(板付Ⅱ式土器)から中期にかけて平坦部に甕棺墓を作っている。129個が調査され、これまで150個が出土している。この中に小児甕棺を少なからず含む。この甕棺墓から、多鈕細文鏡1、細形銅剣9、細形銅矛5、細形銅戈2、銅釧・勾・ガラス管玉・ガラス小玉などが検出された。現在、鏡地区は大陸舶載の青銅器が日本で最も多量に発見されている。
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