君帰工区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:01 UTC 版)
君帰工区は本坑2,000メートルとそこに取り付く横坑364.9メートルからなり、鉄建建設に対して発注された。 当初は横坑は勾配20パーミルで全長394.5メートルを計画していたが、軌道の安全性から勾配を10パーミルに抑えることになり、全長は364.9メートルに変更された。掘削は1972年(昭和47年)12月1日に着手された。120メートルほど掘ったところで、砂礫に湧水が伴って掘削が困難を極めるようになり、1973年(昭和48年)2月17日に掘削を中止して補強をしていたところ、約140立方メートルの土砂が流出した。この区間については薬液注入を行って突破したが、以降も134メートル、183メートル、253メートル地点で土砂流出があり、また地表に陥没が発生することもあった。泥岩層に変わったのち、切羽から石油の流出が見られたため、石油処理施設が坑外に設置された。こうした苦心を経て着工から11か月ほどを費やして、1973年(昭和48年)10月30日に本坑に到達した。 本坑位置に横坑が到達した後、大宮起点168 km 940 m地点付近にある破砕帯の規模を探る地質調査を実施することに加えて水抜効果を高める目的で、本坑から30メートル西に離れたところに迂回坑を延長268.6メートル掘削することにした。迂回坑は幅4.9メートル、上半部のアーチ半径は2.45メートルで、1973年(昭和48年)11月9日に横坑と本坑の交点から迂回坑に着手した。途中、石油やメタンガスの噴出、土砂の流出、支保工の変状座屈など様々な困難に見舞われつつ、薬液注入による地盤改良を行って突破し、1974年(昭和49年)7月14日に当初予定の区間を掘削して本坑にたどり着いた。この迂回坑はトンネル完成後、上部の土被りが浅く地質が軟弱で、存置すれば保守上の問題をきたすとして、新潟方の107.8メートルはエアーモルタル注入で埋め戻され、大宮方160.8メートルは坑内の鉱泉水の地元還元を考慮して、巻厚30センチメートルのコンクリートで二次覆工を巻きたてた。 横坑交点付近の全長373.7メートルにわたる区間は、横坑掘削時に大きな地圧を発生させて支保工の変状をきたしたのと同じ膨張性地質となっていた。このため施工方法として、当初予定の底設導坑先進工法(サイロット工法)から吹付コンクリートを併用したショートベンチカット工法に変更した。また標準断面ではなく複合円形断面を採用した。大宮起点168 km 986 m30から169 km 360 m00までの区間がショートベンチ工法区間となり、これ以外の区間でサイロット工法で掘削が行われた。また石油の噴出があり、防油シートの貼り付けやセメントベントナイトの注入などの対策が実施された。 本坑の掘削は、庄の又工区との境界に1975年(昭和50年)12月に、上の原工区との境界に1976年(昭和51年)10月に到達した。その後全断面への切り広げと覆工コンクリートの打設が行われ、竣工は1978年(昭和53年)3月となった。
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