各軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 17:19 UTC 版)
禁軍は北宋中期に82万を数えたものの、唐末の節度使の弊害に鑑みて施行された定期的に駐屯地を変更する更戍制により、軍閥化は避けられた反面「将は兵を知らず、兵は将を知らず」と謂われる状況で、当時から意思疎通が計れず臨機応変な対応を執れないと評されている。兵士は、月給として料銭半貫と糧米を1,5貫、春秋に紬絹6疋と綿12両、衣3貫、ボーナスとして三年に一度、銭15貫を支給され、駐屯地は、首都近辺と北辺(国境地帯)に偏在していた。また募兵時に壮健な者は禁軍に入れられ、劣る者が廂軍に集められ、禁軍の中でも、惰弱な者は随時廂軍に落とされ、これを落廂と言った。 廂軍は名目上は地方の府兵や州兵・軍兵だが、実際は軍事訓練や戦闘参加をせず、専ら行政・軍事上の雑役や警察・輸送に当たった。主に犯罪者(「配軍」と呼んだ)または浮浪者や落伍兵から構成された。ただし、水軍だけは廂軍が主力を担い、訓練や治安維持を行い戦闘に赴いた。 郷軍は地方政府が地元から選抜あるいは募集した傭兵で、平時は生業に携わり農閑期に軍事訓練や防御施設の補修・治安維持・輸送などに当たり、戦争の際は禁軍の補助を務めた。
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