信田 成仁
信田成仁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 08:58 UTC 版)
木谷道場ではエリートばかりを集めていたわけではなく入門時中学生で級位者だった信田成仁を見事入段に導いた。これは後年木谷門下でも語り草になっている。 一流棋士の多くが中学卒業までにプロになる中、信田成仁(のぶた しげひと 1951年9月-)は中学3年生の時に碁を覚えた。武宮正樹の対局の観戦記に四谷の木谷道場の紹介があったのをみて12月に門を叩く。信田は137cmと小さくランニング、短パン姿だったので「3年生」と言ったら小学3年生と間違われ中に入ることが出来た(当時棋力は3級ほどで中学3年なら遅すぎるが小学3年なら遅くはない)。中に入り宮沢吾郎や小林覚と打ちボロボロに負かされ7子置いても負かされた。その後木谷に土曜木谷会に遊びに来るように言われ、受験勉強そっちのけで碁に没頭した。そのまま高校浪人し新聞配達をしながら碁会所に入り浸った。16歳の時に通い弟子になることを許された。18歳から内弟子になった。そして研修棋士(当時の制度)として院生と一緒に勉強するようになった。そして1973年入段を決めた。プロ試験の最後の相手は小林覚だった。覚は信田に勝てば合格だったが緊張のあまりガチガチになっており信田は勝利することが出来た。覚はこの年合格できなかったが、これに発奮して翌年合格した。「信田さんを入段させたのが、木谷道場の一番といっていい奇跡では」と覚は述べている。
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