代表選考とは? わかりやすく解説

代表選考

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 05:04 UTC 版)

池江璃花子」の記事における「代表選考」の解説

リオ五輪代表選考会を兼ねた2016年第92回日本選手権4月3日10日)において、池江は50m自由形100m自由形200m自由形100mバタフライの計4種目にエントリーしリレー含めた7種目での代表入り狙った日本水泳連盟設定したこれらの種目五輪派遣標準記録は、日本記録更新大前提となるようなきわめて厳しいものであったが、池江はいきなり大会初日100mバタフライ準決勝自身の持つ日本記録を0秒01更新すると、翌日決勝でも派遣標準記録を切る5771優勝して、この種目リオ五輪代表権獲得した優勝後のインタビューでは喜びのあまり両手で顔を覆い号泣した。 続く200m自由形では日本記録に0秒02と迫る1分5739高校新記録優勝100m自由形では高校新記録となる54062位になった。これらの種目では個人派遣標準記録には及ばなかったものの、池江を含む上位4選手タイム合計リレー派遣標準記録超えたため、400mフリーリレー800mフリーリレーでのオリンピック代表選ばれた。大会最終日の50m自由形決勝では世界ジュニア新記録及び高校新記録となる2476優勝したが、派遣標準に0秒17足りず、この種目での派遣見送られた。同大会の結果により、個人種目100mバタフライの他に、400mフリー及び800mフリーリレー400mメドレーリレーの計4種目でオリンピック代表選出されることとなった日本選手権から約2ヶ月半後の6月27日、池江のその後大会で活躍将来性高く評価した日本水泳連盟は、日本選手権では五輪派遣見送った自由形3種目においても池江をエントリーすることを発表した。これにより池江は日本人選手としては初め五輪で7種目出場することになった種目派遣標準記録*池江の決勝記録タイム派遣準決勝/予選当時日本記録50m自由形 24.59 24.76(高校新) +0.17 後に決定 準決勝:25.30 (高校新)予 選:25.76 24.74(池江自身保持) 100m自由形兼4x100mフリーリレー選考 個人 53.81 54.06(高校新) +0.25 後に決定 準決勝:54.50 (高校新)予 選:56.04 53.99(池江自身保持) リレー 54.43 -0.37 200m自由形兼4x200mフリーリレー選考 個人 1:56.82 1:57.39(高校新) +0.57 後に決定 準決勝:1:59.57 (高校新)予 選:2:00.65 1:57.37 リレー 1:58.96 -1.57 100mバタフライ兼4x100mメドレーリレー選考 個人 57.77 57.71 -0.06 準決勝:57.55 (日本新)予 選:58.14 (高校新) 57.56(池江自身保持) リレー 58.74 -1.03 *決勝記録のみが選考対象リレーの代表派遣には決勝上位4名全員派遣標準突破している必要がある7月18日五輪直前合宿地のサンパウロ出発する際に羽田空港報道陣取材応じ筋力トレーニングで体が大きくなり、4月採寸した日本選手団の公式ジャケットがきつくなっていることを明かしたその上で全部出し切って細くなって帰国したい」とユーモア交えて意気込み語った

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代表選考

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/23 01:39 UTC 版)

国際化学オリンピック」の記事における「代表選考」の解説

2003年-2005年度は、前年度7月1次試験)、8月2次試験)に夢・化学-21委員会日本化学会化学教育協議会主催する化学グランプリ成績優秀者で、なおかつ高校一年生二年生生徒の中から4名が選出されていた。 2006年-2007年度は、前年度化学グランプリで約8名の代表候補選び、その翌春代表選合宿実施して理論試験により代表4名を選ぶようになった2008年度は、化学グランプリでの賞の受賞に関係なく、参加した高校一、二年の成績優秀者から約20名の代表候補を選ぶように変更され、その翌春代表選合宿行われる理論試験により代表4名が選ばれた。 2009年度は、2008年度同様の選考基準で代表候補が約20選ばれた。代表候補には参考書等が配布され、さらにその約20人の代候補から8名に絞るための第一回選抜試験年明け早々に行われ、春の最終選抜合宿で代表4名が決定するように変更された。 代表決定後には実験問題訓練合宿が行われる。

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代表選考

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 02:05 UTC 版)

野球キューバ代表」の記事における「代表選考」の解説

野球国際大会プロ選手参加認められてからも、各国プロリーグ日程優先したり、主力選手離脱難色を示すプロ球団意向などもあり、代表チームで最高の選手揃えることは難しい。しかしキューバ球界例外で、国際大会での勝利を最優先し国内リーグ日程国際大会参加支障ないよう組んでいる。 キューバ国内リーグ2段階に分けられている。第1段階セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル呼ばれるもので、11月から翌年4月まで全16球団で戦うリーグ戦である。これが終わると、日本などプロ野球リーグ派遣される選手などは除き第2段階のスーペル・リーガに移る。スーペル・リーガ2002年から始まったもので、セリエ・ナシオナルで優秀な成績残した選手のみが招集され、5球団分けられ28試合を戦う。毎年5月から7月にかけて開催され、ここで優秀な成績をあげた選手が代表候補となる。その後各国代表などと強化試合行い日本などプロ野球リーグ派遣される選手含めて最終的な代表が決定する大学代表チームも、週1回大学通っていれば、学生みなされるため、ほぼ毎日練習漬け選手かつ、代表クラス選手派遣することができる。 他国亡命した選手は代表には招集されない。また、ケンドリス・モラレスのように「亡命意志がある」と見なされただけで代表チームから追放されるケースもある(モラレスその時点で亡命意思はなかったが、追放されたのを機に亡命至っている)。代表を引退した選手は、オマール・リナレスのように他国プロ選手になることが認められる例があったものの、方針により巨額年俸での契約はできなかった。しかし、フレデリク・セペダなど、現役キューバ代表選手が、巨額年俸プロ選手になるなど、アメリカ以外で、プロ選手になることが解禁されることになった。この背景には、月収2000程度(キューバ国民からしてみても大学教授並の相当高い方ではある)と言われているキューバ代表主力選手が、亡命頻発していることや、日本など野球シーズンが、キューバの野球シーズンオフであることが大きな理由である。

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