はてなキーワード: 勧進元とは
もう7月だ。
7月といえば、年に3回ある(3月場所、7月場所、11月場所)「増田のやべーやつ番付」の時期だ。
しかしながら、番付の中身はどうせほぼコピペになるだろうことは想像に難くない。
例えば、前回の3月場所の優勝者である字下げ増田の紹介文がこれだ。
昭和時代やイオン、女装子などの例外を除き、森羅万象を罵倒して回る増田。自身の経歴からか、特に法や行政、裁判所を目の敵にしている。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬ危険人物。
自分語りによれば、殺害予告による二度の逮捕歴に加え、今なお各所でトラブルを起こしているらしい。
文頭をスペースで空けるため、「字下げ増田」と呼ばれる(ごく稀に空けないこともある)。別名フミさん、まーさん他。
『かつての安倍botや低能先生』とか、もはや誰それと言いたくなるくらいに昔の人だ。
初見の人は当然として、ここ数年ほど増田に入り浸っている人ですらわからない人もいるだろう。
4年も前に行われた2020年3月場所の紹介文をコピーしているだけだから、わからないのも当然だろう。
ttps:https://anond.hatelabo.jp/20200320181836
4年も前の紹介文を流用するのではなく、新規に書き直すべきだろう。
少なくとも、初見の人でも字下げ増田の投稿を読んでもらうために、「延岡」と検索することで字下げ増田の投稿をある程度カバーできることを説明すべきだろう。
さらに、字下げ増田を見分ける方法として、トラバでのタイトルを「anond:~」表記ではなく「https:https://~」とURL全文表記を使っていることも書くべきだろう。
それから前回の2024年3月場所の頃はやたらと小便小僧増田に絡むことが多かったから、そのことも説明文に入れるべきだっただろう。
もっとも、ここ数か月の間小便小僧増田はほとんど活動していないから、今さらな話だけれども。
前回優勝者の字下げ増田だけではなく、他の番付増田の紹介でもほとんどをコピペで済ませただけのお粗末なものだ。
それも、活動をしていないやべー奴(例えば、オールアンラーッキーデイズ増田)を番付そのままに据え置きするほどにいい加減なものだ。
最近だと「性欲強き者」が活動休止しているけど、どうせ何の言及もなしに番付据え置きにすることは予想される。
そんな低品質な番付一覧を義務感で投稿するくらいなら、勧進元(やべーやつ番付の主催者)は引退した方がいいだろう。
それか年に3回も開催する必要はないだろうから、年に1度だけにするのもいいだろう。
どうせここ数か月で目立ったやべー奴の登場などもないのだから。
過去がどうかはよく知らないが
https://www.mbs.jp/news/kansai/20180405/00000058.shtml
「大相撲を国民に支持されるものにするために、これをきっかけに議論を始めることも私はあっていいんじゃないかと」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180405-00170714-nksports-fight
若手の行司が周囲の観客から上がった「女性を(土俵に)上げていいのか」という声に、
その上で「どんな経緯であろうと人命より大事なものは、この世に存在しません。
女性が土俵に上がってはいけないという話とは全く次元が違う」とし「誤解があったら申し訳ない」
と発言された
まず誤解とは何を指すものなのか
人命がかかっている場面でそのようなアナウンスはおかしいと言っているだけである
何も誤解していない
この謝罪なのかよくわからない”誤解を招くような”という発言どうにかならないの?
また、
女性が土俵に上がったことでその後、大量の塩がまかれたことについても「女性蔑視のようなことは全くない」と誤解を招いたことを懸念していた。
と発言された
何の誤解を招いたのだろう
あるテレビ番組で、スーパーの店長だった人が一念発起して、ひきこもりがちな人にデート相手を派遣して外に引き出すボランティアを始めたというドキュメンタリーをやっていました。番組で、ボランティアの人とひきこもりの人が一緒に集まって話していて、話の内容自体はどうってことない雑談なんです。
ただ、その場の雰囲気が、どうも精神的に不健康というか、異常というか、なんとなく薄気味悪いものを感じた。こりゃ健康じゃないぜ、と思ったんですよ。
その元店長さん自身、引き出すことはいいことだと信じきっている様子で、怖い。ひきこもる人には様々な理由があるんだろうけれど、僕は外に出たくない人はひきこもらせてやったっていいじゃないかと思うし、本当におかしくなっちゃったら、それは専門の医者の領分でしょう。素人さんの価値観で引き出すのが正義だと、そんな簡単なことなんだろうか。
僕みたいな物書きは一日中ひきこもってますよ。精神状態はどうかって言われたら、自分でも何となくおかしいような気がする。でも、そのギリギリのところを歩く職業だと思って僕はやっているわけですからね。
役者さんとか女子アナウンサーとか、人目につくところに出る仕事の人がいる一方で、藍染め、友禅染めの熟達した職人さんのように、目立たないところで一日中口もきかずに同じことを繰り返している人もいる。僕に言わせれば、そういう人が職業としては一番まっとうで、すごいと思う。立派な職業人、専門家というのはそういうものです。
人間を外に引き出したほうがいい、社交的なほうがいい、こういう考え方は、メディアの発達とともに力を持ってくるんでしょう。インターネット、携帯電話と、コミュニケーション手段が発達していくのが最近の世の趨勢で、これに逆行することはできないんですが、コミュニケーション自体が自己目的化したらそれはちょっと病気です。
そういえば、これもテレビでやってたんですが、自殺願望の人ばかりインターネットを使って五千人くらい集めたグループがあるそうです。勧進元の若い男の子が出てきて話をしていたんだけど、やっぱりいいことをしてると思ってるわけです。自殺したがっている人どうしが相互に励ましあったりして何とすばらしいのかと、これまた何の疑いもなく信じ込んでいる。
僕はこれを「引き出し」症候群と呼んでるんだけど、ひきこもりの人にデート相手を紹介してまで外に引き出そうと思うこと、自殺願望の人を五千人集めようと思うことの異常さに気づいてほしい。客観的に見て、あんたのほうがちょっと病気じゃないかと言いたくなるんです。
何だかひとりぼっちでいることが軽視される風潮があるんじゃないか。友達がたくさんいないと駄目なような雰囲気があるんじゃないか。
これもテレビで観たんですが、「ランチメイト」症候群っていうのがあるそうですね。学生さんやOLが、弁当を一人で食うのが嫌だっていうんで、前の日の夜から電話で約束するらしい。「明日わたしと一緒にお昼ごはんを食べてよ」なんて具合にね。
僕らの子供時代なんて、親から「食べるときは黙って食べろ」と言われたもんです。
僕は一人で新聞を読んだり雑誌を読んだりしながら弁当を食べるのが普通だと思ってたんだけど、いつの間にか「それは異常だ、友達のいない奴だと思われる」という価値観になってしまっている。誰も自分自身でものを考えることができなくなっちゃったんじゃないか、こりゃあ大変なことだぜ、と思ったんですね。
ただ、よくよく考えてみれば、戦争中はリベラルなことを言うと「けしからん」と村八分にされたし、戦後も市民運動なんて馬鹿なことをずっとやっていますから、日本という国は元来あんまり自分でものを考えない国柄なのかもしれません。環境ホルモンが危険だとか、原子力発電所反対だとか大声でやってるでしょ。連中は数を頼みにして感覚だけを根拠にいろいろ言う。僕は市民運動が嫌いです。彼らは自分で作りだした恐怖感に酔って、気分でものを言っているだけだからです。
選挙のときもそうだけど、みんな民主主義を勘違いして、数が多ければそれが真実だと思いこんでいるから、自分の頭で考えることもせずに、員数集めばかりしている。
他人の目を気にして弁当仲間を集めるOLも、ひきこもりを外に出そうとする人たちも、根っこは一緒なんですね。誰かが「カラスは白い」っていえば、感染症のように「白い」「白い」って言い出す。雰囲気がすべてで、それしかない。開かれているようで、実は思考が閉鎖しているんです。
未来のある人には冷静な自己反省というか、自己相対化というか、内省する時間を持ってほしい。ひきこもるくらいでちょうどいいんです。
何が強いって、最後はひとりが一番強いんですよ。僕はいつもひとりで考え、ひとりでものを書いてきました。まあ、僕も戦争中は軍国少年だったから、お前だって同じじゃないかと言われるとちょっと恥ずかしいんですけどね。