キャリアが充実し、早い人なら子どもの成人式に涙する頃。物欲との戦いにも一区切りつき、ようやく周りを見渡す余裕が出てくる…そうした時期の40歳だからこそやめるべきことを以下に示す。
いい年した大人が対象年齢を20歳以上オーバーしてなお漫画、アニメに執着し続ける姿は滑稽だ。
子供時代から趣味が深まらないこと・拡がらないことは不幸である。漫画、アニメは勇気をもって卒業しよう。
どの地域にも人々の暮らしがあり無邪気にdisれるものではない。
地方の方言が後進的だと笑うことは、現在の方言話者だけでなくその地で代々暮らしてきた先祖、そしてその人々の日々の会話、言葉の記憶を笑うことである。商店の少なさを笑うことは、その土地の人々が物質的消費に娯楽を依存していない点で買い物依存症の東京都民より高等な存在であることを理解していないのと同じである。
東京の家の狭さを笑うことは、その狭さに耐えてなお東京に住み続ける覚悟、たとえば職業や子供の教育を笑うことである。
そうした事情を想像せず安易にdisる者は自分の周囲5メートルにしかイマジネーションが働かない単純バカである。
まずければ金を出して別の店に行け。
うまければ満足して食べろ。
食事は感謝して頂くものであり、批評の対象にすることは下品である。
周囲の人は、道ばたのおじさん・おばさんが醜くても気にしません。
会社の同僚は、身長が低くても、顔一面がニキビ跡でも、仕事さえしてくれれば何でも構いません。
⑤ユニクロ
そう問われて恥ずかしくなったりむきになって弁明したりする人は、どこかでユニクロを下に見ていることを自覚すべき。卒業しましょう。
いい年していつまで「男」「女」でいるのか。
性別よりはるかに重要なアイデンティティを育んできたでしょう。
また人々の暮らしの豊かさ、魂の高潔さを決定するファクターは当然性別だけでなくむしろ性別がすごく小さなことだと気が付かないかな?
派遣で清掃の仕事をしている男性に「どうして男なのに低収入で汚物を拾う仕事をしているのか」と質問すべきだ。性別以外の要因を教えてくれるから。
またフェミニズム・アンチフェミニズムのオーソドックスな論理は第一に男あるいは女を社会的弱者と定義し、第二にその立場が社会的構造によりもたらされたものであり自己解決が困難だと訴える。第三に誰か親切な人がその構造を変えるべきだと要求する。つまり他者への要求…言ってしまえばおねだりするための論理武装に過ぎない。
20歳程度の学生さんがご両親にあれこれおねだりするわけにいかなくなったから別の依存先を探すのに要求リストを作る程度の営みがフェミニズム・アンチフェミニズムであり、40の大人が真剣に取り組むべきものではないのである。
SNSで時間ドブに捨てる事こそ止めた方がいいと思う はてな卒業しろよ
スタジオジブリの宮崎駿はアニメは子供のものだと言った。 作ってる自分が卒業してないじゃない
漫画、アニメ、ゲームは二十歳か、せめて三十歳くらいまでには卒業すべきですよね