堀直弘
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経歴
万延2年(1861年)の誕生直後に父が死去した。慶応4年(1868年)の戊辰戦争に際し、新政府を支持する正義党の近藤安五郎一派と対立した先代藩主・直賀が奥羽越列藩同盟に参加して米沢藩に逃れたため、正義党から新藩主として擁立された。村松藩は新政府軍に降伏し、所領安堵された。
明治元年(1868年)12月7日、直賀の隠居処分により、家督を相続した。明治2年(1869年)6月20日、版籍奉還にともない、村松藩知事に任じられた。同年9月5日、従五位になった。明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県にともない知藩事を免職となった。明治10年(1877年)2月、同族の堀直明、堀之美とともに奥田姓へ改めることを願って受理された。その後、長男の奥田直暢に家督を譲って隠居し、直暢は明治17年(1884年)に子爵を叙爵された(直暢はそののち弟の奥田直元に家督を譲って分家している)。
大正8年(1919年)死去。
系譜
父母
正室、継室
- 沢貞子 ー 鳥居忠政の娘(正室)
- 武田光子 ー 中島新左衛門の娘(継室)
子女
- 奥田直暢
- 奥田直元
- 奥田三子
- 奥田貞麿
- 奥田秀麿
当主 | ||
---|---|---|
先代 堀直賀 |
村松藩堀/奥田家 12代 堀直弘/奥田直弘 1868年 - ? |
次代 奥田直暢 |
固有名詞の分類
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