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金正友

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金 正友
名前
愛称 ジョンウ
カタカナ キム・ジョンウ
ラテン文字 KIM Jung-Woo
ハングル 김정우
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
生年月日 (1982-05-09) 1982年5月9日(42歳)
出身地 ソウル特別市
身長 184cm
体重 71kg
選手情報
ポジション MFFW
利き足 右足
ユース
2000-2002 大韓民国の旗 高麗大学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2005 大韓民国の旗 蔚山現代FC 75 (1)
2006-2007 日本の旗 名古屋グランパスエイト 52 (7)
2008-2011 大韓民国の旗 城南一和天馬 52 (7)
2010-2011 大韓民国の旗 金泉尚武FC 40 (18)
2012-2013 大韓民国の旗 全北現代モータース 41 (5)
2013-2014 アラブ首長国連邦の旗 アル・シャールジャSCC 21 (1)
2014-2015 アラブ首長国連邦の旗 バニーヤースSC 6 (0)
2016-2017 タイ王国の旗 BECテロ・サーサナFC 3 (0)
通算 290 (39)
代表歴
2003-2012 大韓民国の旗 韓国 71 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

金 正友(キム・ジョンウ、김정우1982年5月9日 - )は、韓国出身の元サッカー選手MF(ボランチ)・FW。元韓国代表

来歴

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2003年にKリーグ蔚山現代FCに入団。2004年のアテネオリンピックでは4試合すべてに先発メンバーとして出場し、韓国代表のベスト8進出に貢献した。 2006年からはJ1名古屋グランパスエイトに移籍。 2007年にはAFCアジアカップの韓国代表に招集され、グループリーグ最終節対インドネシア戦で代表初ゴールをあげた。この金のゴールで韓国代表は1-0で勝利し決勝トーナメント進出を決めた。

2007年シーズン終了後、契約満了により名古屋を退団。欧州リーグ挑戦を目指してイングランドのウィガン・アスレティックFCと入団交渉を続けていたものの合意には至らず、その後は城南一和天馬へ移籍し、翌2009年はキャプテンを務めた。

2010年から2011年までの2年間は兵役の為、光州尚武FC(2011年に「尚州尚武フェニックス」に改名)に所属する。2010 FIFAワールドカップの韓国代表にも選ばれ、この時は軍人らしく試合前の国歌斉唱時にチーム内で唯一、敬礼を行なっていた。

2011年は特殊なチーム事情もあり、所属チームではFWでプレイし、得点ランキングトップの活躍を見せている。9月22日、兵役の終了に伴い城南一和天馬に復帰。

プレースタイル

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体を張った守備と豊富な運動量のボランチ。テクニックは高く、独特のリズムから繰り出される切り返しが武器。欠点は気性の荒さで、2006年度は全34試合のうち、警告を17回、退場処分を2回受け[1][2]、その結果7試合で出場停止処分となった。

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2003 蔚山現代 16 Kリーグ 34 1 - 4 0 38 1
2004 7 18 0 0 0 4 0 22 0
2005 23 0 9 0 1 0 33 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006 名古屋 8 J1 25 3 4 0 1 0 30 3
2007 27 4 2 0 1 0 30 4
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2008 城南一和 18 Kリーグ 22 4 8 1 2 0 32 5
2009 14 28 3 7 2 5 1 40 6
2010 光州尚武 19 3 0 0 2 0 21 3
2011 尚州尚武 10 21 15 5 3 2 1 28 19
城南一和 88 -
通算 韓国 Kリーグ 165 26 29 6 20 2 214 34
日本 J1 52 7 6 0 2 0 60 7
総通算 217 33 35 6 22 2 274 41

代表歴

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試合数

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  • 国際Aマッチ 74試合 6得点(2003年-2012年)[3]


韓国代表国際Aマッチ
出場得点
2003 2 0
2004 6 0
2005 12 0
2006 6 0
2007 10 1
2008 5 0
2009 10 1
2010 14 2
2011 6 2
2012 3 0
通算 74 6

脚注

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関連項目

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外部リンク

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