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道会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
道会本部

道会(どうかい)とは、松村介石1859年 - 1939年)によって、今後万人に通じる宗教をとの祈りから、キリスト教、儒教老荘思想、日本古来の思想などを融合して創設された、独特の新宗教。教義は「信神」「修徳」「愛隣」「永生」を四綱領とする。
プロテスタントキリスト教と儒教の流れに分類されることが多く、1970年代の調べによると、世界規模での信徒は約2343人。

教義=四綱領

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  • 信神…宇宙を創造し、これを主宰する神を信じること。
  • 修德…道徳的にも、知識的にも、その他あらゆる方面の実力を養い、世に有為有能な人格を鍛え上げること。
  • 愛隣…人のため、国のため、社会人類のため尽くすこと。
  • 永生…人格の不滅、来世の存在を信ずること。

松村介石と道会の来歴

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  • 1859年安政6年)に播磨明石藩士の家に生まれる。父は武士で漢学者であったため、幼少の頃より『大学』『中庸』はじめ、四書五経に親しむ。
  • 1870年11歳のとき上京、安井息軒の門に入塾。
  • 1874年に15歳で神戸の宣教師に学ぶ。
  • 1876年17歳で横浜に行き、改革派教会宣教師ジェームス・バラの塾に学ぶうちキリスト教に入信する。のち、外国人宣教師との折り合いが悪くなり、バラとも袂を分かつことになる。
  • 1882年12月に日本組合基督教会高梁教会の牧師に就任。その後、『福音新報』、『基督教新聞』の編集に従事する。その活躍から、内村鑑三植村正久田村直臣と共に、明治キリスト教界四村の一人と呼ばれ、宗教界に重きをなした。
  • 1885年、大阪一致教会の牧師より王陽明の「啾啾吟」を教えられ甚く感銘し、それ以来王陽明の思想にも傾倒する。
  • 1907年(明治40年)、新たな教会を開くことを決意、大手町の商工中学の2階を借りて毎日曜日に説教、これを「一心会」と名付けた。古今東西の宗教や歴史を研究の結果「道は一なり、すべての宗教道徳の根本義は、信神、修徳、愛隣、永生の四綱領に帰する」と確信、今後の時代に合った万人の宗教をめざし、10月には「一心会」を改めキリスト教、神道、儒教、老荘、仏教を包含した「日本教会」を創立、キリスト教の一新派として布教を開始した。
  • 1908年に機関誌『道』を創刊。
  • 1911年、教会内に「不朽青年会」を結成、毎月、青年のための弁論会を開催。
  • 1912年(明治45年)、「日本教会」を「道会」と改称、大倉孫兵衛森村市左衛門ら財界人の援助も受けて宣教活動を進めた。
  • 1915年松濤にいた鍋島直映侯爵の斡旋を受けて東京市外中渋谷字神山(現・神山町)に道会本部事務所を新築、移転。同敷地内に拝天堂の建設にもとりかかる。青年知識人が多数会員になった。
  • 1916年12月、拝天堂竣工。同地に青年、学生のための寄宿舎「神山寮」を新築。
  • 1936年、肺炎を起こしたのを機に会長を辞し顧問となる。
  • 1939年(昭和14年)11月29日、動脈硬化により80歳で死去。多磨霊園に眠る。

その後の現在に至る経緯

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  • 1955年(昭和30年)道会敷地内に、第2代会長・松村吉助の尽力で「松村幼稚園」が開設された。
  • 現在も宗教法人「道会」として、本部=東京都渋谷区神山町21-11 に、「松村幼稚園」とともに存在している。

歴代会長

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  • 1912〜1936年 初 代会長 松村介石(1859〜1939年)
  • 1936〜1972年 第2代会長 松村吉助(1889〜1972年) ‐ 介石の養子
  • 1972〜1981年 第3代会長 松村照子(1892〜1981年)
  • 1981〜1999年 第4代会長 香山彬子(1926〜1999年)
  • 1999〜2004年 第5代会長 山崎寿々(1912〜 )
  • 2004〜    第6代会長 志藤 初 (1923〜 )

参考文献

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  • 『松村介石』(松村介石原著『信仰五十年』を現代語に改訂、増補したもの。平成元年11月15日 宗教法人 道会刊)
  • 『宗教改革者・松村介石の思想/東西思想の融合を図る』(加藤正夫著 平成8年10月30日 近代文芸社刊)
  • 道会会誌『道』(年間4回発行 宗教法人道会刊)

初代会長・松村介石の著書については「松村介石」のページをご覧下さい。

関連項目

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外部リンク

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