山田久美
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山田久美 女流四段 | |
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名前 | 山田久美 |
生年月日 | 1967年1月6日(57歳) |
プロ入り年月日 | 1982年4月20日(15歳) |
女流棋士番号 | 6 |
出身地 | 群馬県太田市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 西村一義九段 |
段位 | 女流四段 |
女流棋士DB | 山田久美 |
2015年2月8日現在 |
山田 久美(やまだ くみ、1967年1月6日 - )は、将棋の女流棋士。群馬県太田市出身。西村一義九段門下。女流棋士番号は6(2011年3月31日までは18)。
略歴
- 1981年 第5回女流アマ最強戦優勝。
- 1982年 第1回女流アマ棋聖戦優勝。
- 1982年4月20日 女流プロ入り(女流育成会発足以前に女流プロ入りした最後の女流棋士)
- 1989年 第12期女流王将戦でタイトル初挑戦(林葉直子に0-2で敗退)
- 1992年度から1995年度まで、NHK杯テレビ将棋トーナメント」の司会を務める
- 1992年8月18日-1993年4月23日 女流棋戦17連勝(当時の最多連勝記録に並ぶ)
- 1994年 第8回レディースオープントーナメント準優勝
- 1996年度から1998年度まで、 NHK「囲碁・将棋ジャーナル」の司会を務める。
- 2014年 第22期大山名人杯倉敷藤花戦で、25年ぶりのタイトル挑戦(47歳8か月での女流タイトル戦登場は当時の女流棋戦最年長記録[注釈 1]、甲斐智美に1-2で敗退)
- 2017年6月より日本将棋連盟女流棋士会会長を務めている。
人物
- プロ棋士の多くは小学生の低学年までに将棋を始めている[3]が、山田が将棋を始めたのは小学校6年生の三学期ごろと晩学であった[4]。
- 中学卒業を機に、師匠である西村一義の内弟子となる。内弟子となったことで師匠からたくさん将棋を教わることを期待したが、当時の西村は連盟理事の要職にあり多忙を極めていたことから、直接教わる機会は少なかった[5]。
- 2002年、清水市代、中倉彰子、中倉宏美とともにユニット「原宿将棋通り」でCDデビュー。
昇級・昇段履歴
- 1982年 4月20日 - 女流2級
(女流1級、飛び級) - 1983年 4月 1日 - 女流初段(女流名人位戦A級リーグ入り)
- 1990年 2月28日 - 女流二段(タイトル挑戦)
- 2000年 4月 1日 - 女流三段(昇段規定改定による昇段[6][7])
- 2014年 9月29日 - 女流四段(勝数規定 /女流三段昇段後公式戦120勝)
主な成績
- タイトル履歴
登場回数 合計:2回
獲得合計:0期
脚注
注釈
出典
- ^ 女流棋士会役員のお知らせ - 日本将棋連盟・2017年6月29日
- ^ “将棋の清水女流六段がタイトル戦登場の史上最年長記録を更新 49歳8か月” (日本語). スポーツ報知. (2018年9月10日). オリジナルの2018年9月10日時点におけるアーカイブ。 2018年9月10日閲覧。
- ^ “将棋は脳を育てる 将棋を始めたのはいつ頃でしたか”. アイデス株式会社. 2012年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月6日閲覧。
- ^ “山田久美女流三段、女流棋士に憧れた中学生時代”. NHK出版. 2020年8月6日閲覧。
- ^ “揮毫の「真心」が西村一義九段の人柄……山田久美女流三段の師匠への思い”. NHK出版. 2015年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月6日閲覧。
- ^ 記録室より(日本将棋連盟)
- ^ 女流棋士昇段規定.(平成12年4月1日改定・補足)