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亘理宗喬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
亘理宗喬
時代 江戸時代前期
生誕 承応元年(1652年
死没 宝永4年12月27日1708年1月19日)享年56歳
改名 熊助(幼名)、休也(号)
別名 信濃守、大隅守(通称
戒名 還到院殿信道榮源徳翁大居士
墓所 宮城県栗原市の安楽寺。 今は福現寺と名が変わっている。
主君 忠宗綱宗綱村吉村
陸奥仙台藩
氏族 伊達氏佐沼(高清水)亘理家
父母 亘理宗廣泉田重時
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亘理 宗喬(わたり むねたか)は、江戸時代前期の仙台藩士。高清水亘理家[1]2代当主。

宗廣は78歳まで生きたが、高清水亘理のニ代目を嗣がずに、子の宗喬が後を嗣いだのは寛文事件伊達騒動)の当事者原田宗輔伊達宗重がどちらとも従兄弟に当たり、寛文事件の累が及ばない様に、高清水亘理初代の宗根が亡くなった寛文九年(1669年)に一度後を嗣いだが、事件後に二代目を取り下げて、宗喬に二代目を嗣がせた可能性がある(典拠不明の独自研究)。

生涯

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承応元年(1652年)に高清水の館で生まれた。[2] 明暦2年(1656年)祖父亘理宗根が開基した亘理氏の菩提寺となる安楽寺に、 宝永4年12月27日56歳で亡くなり葬られた。[3]

脚注

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  1. ^ のちの佐沼亘理家。
  2. ^ 高清水城にて高清水亘理初代藩主亘理宗根の嫡孫。
  3. ^ 現:福現寺。安楽寺は後に佐沼へ移る。