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ポール・クック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポール・クック
出生名 Paul Thomas Cook
生誕 (1956-07-20) 1956年7月20日(68歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル パンク・ロック
職業 ドラマー
担当楽器 ドラムス
活動期間 1975年 -
共同作業者 セックス・ピストルズ
プロフェッショナルズ
チーフ・オブ・リリーフ
ポール・クック

ポール・クック(Paul Cook, 1956年7月20日 - )は、イングランドパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズのドラマー。ロンドンハマースミス出身。

来歴

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親友のスティーヴ・ジョーンズとともにピストルズに参加。ピストルズが軌道に乗るまでは、やる気もなく、電気工事事業者の仕事に就こうと何度もバンドを脱退しかけた。

他のメンバーたちと違い生真面目な物静かな性格で、また彼の担当であったドラムにしても、「まるでローリング・ストーンズチャーリー・ワッツもどきの単調さ」という評価もあった。マネージャーのマルコム・マクラーレンは、ピストルズのドキュメンタリー映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』の中で、クックにドラムを担当させた理由として、「怖いもの知らずだが、いつも時間には几帳面。ビートを任せるにはうってつけのドラマーだ」と述べている。しかし、シングル「アナーキー・イン・ザ・UK」のレコーディングが難航して中断されていた時に、クリス・トーマスをプロデューサーに起用しようとメンバーに提案したのは彼である[注釈 1]

必然的にメンバーの中では目立つこともなく、ピストルズ解散後はジョーンズとプロフェッショナルズを結成し、行動をともにした。プロフェッショナルズは二つのアルバムリリース後、1982年に解散。その後は長年連れ添ってきたジョーンズと初めて別行動をとり、チーフ・オブ・リリーフを結成。一度来日している。しかし再結成したピストルズが1996年に初来日した時、彼自身はその前年にもエドウィン・コリンズのバックバンドのメンバーとして来日したのに、どのジャーナリストにも「初来日」としてインタビューされたのでショックを受けていた[要出典]

2007年現在は妻と娘と共にロンドンシェパーズ・ブッシュに住み、エドウィン・コリンズのセッション・ミュージシャンなどとして活躍中である。

脚注

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注釈

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  1. ^ トーマスは、当時クックが夢中になっていたロキシー・ミュージックのアルバムのプロデューサーだった。

出典

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