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ギュンター・ワイスゼッキ

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ギュンター・ワイスゼッキ

ギュンター・ワイスゼッキ(ドイツ語:Günter Wyszecki、1925年 - 1985年6月22日) は、カナダ物理学者。ドイツ系カナダ人であった。測色学、色識別、色秩序、色覚の分野で重要な貢献をした[1]。1979年、国際色彩学会(AIC)からジャッド賞を受賞した[2]。なお、グンター・ヴィゼッキーとも表記される[3]。また、ヴィゼッキとも表記される[4]。1964年の和訳本では著者名はG.ヴィスツェッキーとされている。

教育

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ドイツ東プロイセンのティルジット(現在のロシアソヴィェツク)で生まれた。ベルリン工科大学に入学し、正常な三色性と異常な三色性に関する論文でIng.博士号を取得した。[5]1953年、フルブライト奨学金を得て、ワシントンD.C.にある米国国家標準局の測色・測光部門で物理学者であるディーン・B・ジャッドと1年間仕事をした。

経歴

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1955年、オタワにあるカナダ国立研究評議会に参加し、1960年に光学部門のリーダーとなり、1982年には物理部門のアシスタントディレクターとなった。

また、国際照明委員会(CIE)への科学的貢献とそのリーダーシップとしてもよく知られており、1963年から1975年まではCIEの測色委員会の委員長、1979年から1983年までは副会長、1983年から亡くなるまでは会長を務めた。

この間にCIEは、2人のCIE標準観測者と標準の光AおよびD65の等色関数の1nm表、推奨測定形状としての積分球反射率測定の追加、1964年のU*V*W*および1976年のCIELABCIELUVの均等色空間と色差の公式など、現在も有効な測色に関する多くの重要な提言を行っている。

1985年6月22日、白血病で亡くなった。60歳であった。

出版

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86本の科学論文と3冊の書籍を執筆または共同執筆している。最初の著書「Farbsysteme」は1960年にドイツで出版され、[6]表色系について書いている。

またジャッドとの共著で、ジャッドの死後に出版された「Color in Business, Science and Industry」の第2版と第3版を執筆した[7]。これは日本語にも翻訳された。

また、W・S・スタイルズとの共著で、記念碑的な「Color Science.Concepts and Methods, Quantitative Data」の主執筆者でもある。そして、『Concepts and Methods, Quantitative Data and Formulae』の主執筆者であり、1967年と1982年に出版されている。[8]この第2版は、現在でもカラーサイエンスの分野で非常に重要な情報源として出版されている。

脚注

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  1. ^ A. R. Robertson, Necrology of G. Wyszecki, AIC Newsletter No. 3, Aug. 1986, 18–20
  2. ^ Judd Recipients”. AIC - International Colour Association. 2024年11月1日閲覧。
  3. ^ 池田光男「日本色彩学会の時代」『日本色彩学会誌』第7巻第4号、日本色彩学会、1983年。 
  4. ^ 池田光男「色を物理量で表した先輩たちの知恵」『日本色彩学会誌』第24巻第1号、日本色彩学会、2000年。 
  5. ^ G. Wyszecki, Valenzmetrische Untersuchung des Zusammenhanges zwischen normaler und anomaler Trichromasie, Farbe 2 (1953) 39-45
  6. ^ G. Wyszecki, Farbsysteme, Göttingen: Musterschmidt Verlag, 1960
  7. ^ D.B. Judd and G. Wyszecki, Color in business, science, and industry, New York: Wiley, 1963 (2nd ed), 1975 (3d ed.)
  8. ^ G. Wyszecki and W.S. Stiles, Color science: Concepts and methods, quantitative data and formulae, New York: Wiley, 1967 (1st ed.), 1982 (2nd ed.)