⚠️自創作「さよならだけが人生だ」のイメソン自己解釈&解説です
元々の曲にある考察に、さらに自創作を重ねて自己解釈を高めるという怪文書です注意
私が関ヶ原組、または東西コンビと読んでいる三成と家康の最期の関係性について、イメソンを交えてつらつら語っていきます
こちらは三成のイメソン。家康へのヘイトとある種の優越感、修復できないまでに壊れてしまった関係性を憂う気持ちなどといった、敗走から斬首に至るまで〜死後(幽霊)の独白にぴったりだなあと。
「栄光の手(ハンドオブグローリー)」は、本来なら勝鬨を上げ高らかに天へ突き上げられるはずだった自分の掌。だらんと垂れ下がっているわけですから、ここでは敗走・敗北を意味する自虐です。
また本来は、吊るされた罪人の手、屍蝋を意味する言葉なので、処刑後の自らの姿、または塩漬けにされた首を示していても良いと思います。
あだぽしゃって自分は「仇ぽしゃ=恨みっこなし」的な意味合いで解釈していたんですが、「Adipocere(死蝋)」という解釈もあるみたい。
「水ぶくれ〜」の部分は晩年の様々な葛藤、「大事にしてた秘密のおまじない」は、過去に吉継に貰った言葉達。死にたい、もう全て投げ出したいと思うとき、正気に戻してくれていた彼の存在の示唆。
「お互い幸せになりましょうね」は、せいぜい頑張ってや、の婉曲表現。「遺言は短めにたいそうお気楽に〜」、その後のサビで「私は幸せになれるのよ」と言っているのは、もうこの世に未練がないことの強調です。吉継と来世を契っているため、来世では旭と巡り会えないと思っている家康への煽りでもあります。
2番の「だらんと垂れ下がっちゃった~あなたの有り様」は、三成の首を落とした後の、刀を握る家康の姿です。「目を見て~」はねえどんな気持ち??という煽り。
「それはまるで~襲い掛かった」は斬首の瞬間の三成の緊張と恐怖、そして生を手放す安堵。「交差点に渦巻いている悪意のような陽炎」は、狂ってしまった秀吉や朝/鮮出兵の記憶。「鉄で出来た処刑台の~気が狂った」は、おそらく自分の処刑ではなく、秀次の処刑に立ち会った時の感情です。
ここが「身に余る寒さと問い」の部分かなって。
「もうずっと互いのこと好きじゃなくていいでしょう」「逆向きの電車には乗れないでしょう」は、もう修復できないところまで関係性が壊れていることへの示唆です。しかし、三成はここで「忘れてよこの顔も」と言っているんですね。ここに関してはまた別で解説したいところなのですが、悪として去る自分を憶えていて欲しくないという傲慢です。あなたの記憶にしこりとして残るならば、きれいさっぱり忘れてください、という諦めきれない想いがここに凝縮されている気がする。
「轢き潰してきたそのすべてに一言懺悔と愛を」
ここもとても三成らしいなと思います。男三成として、そして秀吉の側近として自分が奪ってきたものたちすべて。それを振り返って、やっと自分が裁かれる時が来たんだ、という覚悟、そしてヴィランとして最期を迎えることへの矜持です。
ここまで聴いて分かるのは、三成視点では過去への決別、立つ鳥跡を濁さず、そしてほんの少しの未練。相手に対するヘイトは少なめで、その瞳は未来(来世)に向けられています。
これを踏まえて家康のアンサーがこちら。