みなさんこんにちは、ひでえぬです。
放送大学の面接授業「佐賀から見直す幕末維新」第2日目が始まりました。
1日目の様子はこちら。
5コマ目(2日目の1コマ目)は、佐賀藩とパリ万博について学びました。
いったい万博になんか参加して何のメリットがあるんだろう。
と思ったら、そこはさすが鍋島直正。ちゃんと考えていたんですね。
- 佐賀藩の特産品(有田焼など)を紹介し、販路を開拓すること。
- 特産品を売ったお金で軍艦を購入すること。
販路開拓までは思いついたとしても、なかなか軍艦購入まではいかないですよね。このあたりも鍋島直正の非凡さがうかがえます。
特産品は有田焼を中心に、なんと28万点以上、箱にして506箱も持ち込んだそうです。もっともさすがに多すぎたらしく、美術的価値のあるものは売れましたが日用品などは大量に売れ残りが発生し、残品整理に頭を悩ませましたが、まとめて販売委託とすることで、持って帰る手間を省き、なおかつ売上を得られるようにして、軍艦の発注することができました。
出来上がった軍艦は1870年(明治3年)に長崎にやってきました。すでに明治の世となっていたため、契約どおりいったん佐賀藩が受け取りましたが、明治政府に献納され、台湾出兵や西南戦争で活躍したそうです。
6コマ目は江藤新平の生涯について学びました。
彼は佐賀戦争に加担したとして41歳で処刑されますが、それまでの明治政府での功績は目を見張るものがあります。
とりわけ、維新後の早い段階から三権分立を唱え、司法卿としてそれを実現させたこと、憲法や民放の制定に着手したこと、文部大輔として17日しかいなかったにもかかわらず、国民皆教育を導入したことは驚きに値します。
佐賀戦争についても、当時の記録を再確認すると、政府が「火のないところに煙を立てた」感が否めず、政治の争いに巻き込まれてしまったのではないかと思われます。
7コマ目は大隈重信と鉄道についてです。
大隈重信の名前は知っていますが、すいません・・・早稲田大学を作った人というくらいの印象しかない・・・。
まして、日本最初の鉄道敷設に関与していたのなんて、知りませんでした。
講義の中で、大隈重信が確固たる意志を持って初志貫徹したことが、鉄道敷設に大きく寄与したことがわかりました。同時に、文化財の保存と、開発との狭間で、難しい問題があることもわかりました。
8コマ目はレポートの時間です。
あらかじめレポートの題は聞いていたので、これまでの講義を聞きながら、ちょっとずつ書いていたので、それをまとめて書きました。
だいたい30分くらいで書き終えて退出しました。
これで佐賀学習センターでの面接授業はおしまいです。
夕飯を食べようと駅前をぶらぶらしていたら、地ビールが飲めるお店を見つけたので入ってみました。
クラフトビールですね。
むむ、このラベルは・・・?
アームストロング砲ですね。
授業でも出てきましたこれ。
日本酒の飲み比べもいたしました。
お魚をたくさんいただいてまいりました。
ごちそうさまでした。
このあと1泊して、12月2日(月)に埼玉に帰ります。
では、また。