化け猫とは
本項では1と2について記述する。
文字通り、猫が妖怪化したもの。
「化け猫」と「猫又」は似て非なる存在とする向きもあるが、ここではまとめて記述する。
中国では「猫鬼(マオグイ)」と呼ばれる妖怪が知られており、これがルーツという説もある。
「猫鬼」は動物や虫を集めて人為的に作られた「蟲毒」の一種で、人に憑かせて病気にさせたり、直接けしかけて相手を殺す事も出来たという。
これとは別に野生(?)の猫鬼もおり、広州では男の猫鬼「緑郎(ルーラン)」女の猫鬼「紅娘(ホンニャン)」が、未婚の男女に取りついて命を奪ったという。緑郎が女に、紅娘が男に取りついた場合は儀式で退散させられるが、緑郎が男に、紅娘が女に取りつくと助ける術はない。
金華ハムで知られる浙江省・金華地方では、「金華猫(ジンファマオ)」の伝承がある。
人に飼われた猫は三年後に屋根に登って月に向かい口を開け、月の精を吸って化け猫となり、美男美女に化けて人を誑かすという。赤虎毛(黄猫)が一番化けるとされ、家に病人が出ると化け猫の仕業だとして、犬をけしかけられて殺される事もあったという。ひでえ。
一方で化け猫の肉は薬になるとされていたようで「テーブルと椅子以外の四本足は何でも食べる」という中国らしいと言えばそうなる。
日本での化け猫には、山奥に棲息する野生の化け猫と、飼い猫が何らかの要因で妖怪となった化け猫、大別して2つのパターンがある。
年老いて尻尾が二本に分かれることから「猫又(猫股)」と称し、山奥に住んで旅人を食い殺す妖怪として知られていた。最古の記録は鎌倉時代で、天福元年(1233年)、南都(現在の奈良県)で「猫袴」と呼ばれる化物が、一晩で数人を襲って食い殺したという。
またこれに類似して、吉田兼好の随筆「徒然草」の「第八十九段 奥山に猫またといふものありて」にて、その存在が記述されている。こちらは趣が異なり、ちょっとした笑い話になっているので割愛。
この「山奥に住んで人を食い殺す妖怪」としての化け猫の言い伝えは全国各地にあり、富山県の猫又山、福島県の猫魔ヶ岳など、地名として残っているケースもある。
飼い猫が化け猫となる伝承は広く流布しており、魔性を想起させる猫の特性もあって、あまり長く猫を飼うものではないという俗信も多かった。
特に知られているのが「化け猫は行灯の油を舐める」という俗信である。これは行灯の油のうち、安さを理由に庶民が使っていた魚油を、動物性たんぱく質や脂質として猫が摂取していたという指摘がされている。しかし後ろ足で立ち上がった影がうすぼんやりと浮かび上がる様は、さぞ気味悪く目に映っただろう。
一方で「猫を殺せば七代祟る」とも言われ、また鼠を退治してくれる事もあり、必ずしも飼い猫がおろそかに扱われていた訳ではない。
なお現代においてはそのような事象は確認できないが、人が猫耳フードやカチューシャをつけることによって猫化することがあり、この変化の度合いが著しく度を超すと「化け猫」と言われることがある。かも。
また趣は異なるが、スコットランドの「ケット・シー」、スラブの「オヴィンニク」、アメリカ・テネシー州の「ワンパス・キャット」など、猫を題材とした妖精や妖怪の伝承は海外でも見受けられる。
「化け猫」として最もよく知られるのは、「鍋島の化け猫」であろう。
肥前国(現在の佐賀県)で起きた「鍋島騒動」を題材とした物語で、講談や歌舞伎、怪談として広く知られている。時代設定や舞台設定が大きく変わる事もあるが、おおむね次のような内容。
肥前国佐賀藩二代藩主・鍋島光茂の頃に起きた事件。
かつて佐賀藩は龍造寺氏によって治められていたが、先代・龍造寺政家が病弱を理由に隠居を余儀なくされ、当主・龍造寺高房も幼すぎるという理由から、家老職にあった鍋島氏が代わって大名となる。高房が成人したら家督を元に戻すという約束が結ばれていたが果たされる事はなく、高房は鍋島氏を恨みながら自害した。その後月日は流れ、龍造寺氏最後の男子・又一郎は、御家再興を心に誓いながら、母と二人で慎ましく暮らしていた。そんなある時、光茂の御前に呼ばれ、碁の相手をするよう命じられる。
登城した又一郎だったが、その日以来彼は戻らなかった。実は又一郎は碁の席でわざと負けるよう強いられたが龍造寺氏の誇りからこれを突っぱね、機嫌を損ねた光茂に手討ちにされていたのだ。我が子の行方を訪ねて回る母だったが、真相は闇に伏せられた。しかしある雨の夜、母の愛猫・コマが又一郎の首をくわえて戻って来た。我が子の変わり果てた姿を前に御家再興の道が絶たれた事を悟った母は、龍造寺一族の恨みを晴らすようコマに言って聞かせる。彼女は城の方角を睨みつけて呪詛を吐きながら懐剣で自害し、コマは畳の上に溢れ出た血を全て舐めとって姿を消した。
程なくして、城内では次々と怪事が発生。侍女や家臣が襲われ、喉を掻き切られて殺される事件が続き、光茂も病に倒れて寝込んでしまった。光茂の愛妾・お豊の方が献身的に看病するが、光茂の病と苦しみはますます重くなってゆく。
不審を抱いた忠臣・小森半左衛門が夜の寝所を覗き込むと、お豊の方が行燈の陰で油をぺろりぺろりと舐めている。実はお豊の方はとうに食い殺され、彼女に成り代わったコマが光茂を祟り続けていたのだ。
正体を見破られたコマは本性を現して武士を相手に大立ち回り、主の仇を取らんと光茂に迫る。しかし遂に小森の槍に仕留められ、異形の姿を晒して息絶えるのであった。
結末については光茂や小森を食い殺したり、鍋島家や小森家を断絶に追い込んだりと色々ある。
……が、実は「鍋島騒動」なる騒動は起きていない。
というか、後世の人が勝手に騒動に仕立て上げたというのが、現在では一般的な見方である。
慶長12年(1607)年、江戸桜田屋敷にて龍造寺高房が乱心。妻を殺害し、自らも切腹した。その時は家臣や医師の尽力で命を取り留めたが、物狂いは納まらず、再度自殺を試みる。この時暴れたせいで腹の傷が開き、彼は22歳の若さでこの世を去った。
病弱を理由に隠居の身であった父・政家はこれにショックを受け、後を追うように病死。本家の後継者として、龍造寺分家および重臣によって家老職をつとめていた鍋島直茂が推挙され、幕府の正式な認可を経て直茂の嫡男・鍋島勝茂が佐賀藩初代藩主に任ぜられた。
……というのが実際の流れ。主家を建てて藩主の座を断った直茂の人望もあり、家臣団の不満は抑えられ、迅速かつ穏便な交替劇だったという。
ところがその後、高房の亡霊が夜中に城下に現れるという噂が立つ。
更に間の悪い事に直茂が病死、更に勝茂の一子が急死する不幸が続いた。特に直茂の場合は耳に腫瘍が出来、激痛に苦しんだ末の「悶死」に近い最期だった。すなわちこれは龍造寺氏の祟りだという噂が立ち、それが「化け猫」としての物語の原点になったと思われる。
また龍造寺氏本家も完全に絶えた訳ではなく、高房の息子と弟が存命だった。このうち弟は宗家として遇されたが、後に改姓している。息子の方は成人後に何度も本家再興を幕府に嘆願したが、幕府からすれば「何を今更」という話で、何度却下しても嘆願がしつこく続いた為、遂には別の藩に預かり(事実上の追放処分)となってしまった。こういった訴えがあった事実も、裏返して「鍋島氏は幕府重臣に取り入って主家を乗っ取った」という風聞の論拠にされた。
更に付け加えると「初めて歌舞伎として上演される直前、佐賀藩から横槍が入って上演中止になった」という風聞が「騒動は本当にあったこと」としてますます広まってしまったという事情もある。
ともあれ、物語の悲劇性や「化け猫」という異形の存在は、多くの人々を夢中にした。
江戸年間、またそれ以後にも様々な創作が行われたが、それは次項に譲る。
浮世絵では多数の「化け猫」が題材として取り上げられており、恐ろしげな姿もある中で、何処かとぼけた、愛嬌のある姿で描かれている。
猫好きで知られる歌川国芳、数々の妖怪絵を描いた鳥山石燕・河鍋暁斎らの作品は有名。
江戸時代中期、様々な風聞・怪談を集めた「耳袋」には、寛政17年(1795年)に江戸牛込のさるお寺であった話が収録されている。
ある日、和尚が何気なく庭を見ていると、かねてより可愛がっていた猫が鳩を狙っているのに気づく。鳩が可哀想だと思った和尚、その場で声を上げて鳩を驚かせ、逃がしてやった。するとこの猫、ぽつんと「残念なり」と人語を発し、和尚を大層驚かせた。
咄嗟に猫を取り押さえ「お前は化け猫なのか?」と聞き返した和尚に、猫は「14、5年も生きれば、どんな猫でも人の言葉を話します。ですがそこまで長生きできる猫は多くありません」と語る。しかし和尚は納得がいかず「だがお前は10年も生きていないではないか」と突っ込むと、「狐と交わって生まれた猫は、10年以上生きなくても人の言葉が喋れます」と言う。
ようやく得心した和尚だったが、流石にこれを放っておく訳にはいかない。「二度と人間の前で言葉を喋らないこと」を条件に、引き続き飼い続けようと申し出る。猫は和尚に三度お辞儀をしてその場を離れたが、それきり人の前に姿を現さなかったという。
横浜市泉区には「猫の踊り場」という場所があり、横浜市営地下鉄・踊場駅の名の由来となっている。
戸塚宿の醤油屋では、夜になると手拭が一本なくなるという不審事が続いていた。だが手拭はそう高いものでもなく、また商売柄たくさんあるのでさほど大きな問題にはならなかった。
ある夜遅く、醤油屋の主人が帰宅の途についていると、宿場の外れから賑やかな音楽が聞こえてきた。気になって見に行くと、開けた場所にたくさんの猫がおり、手拭をかぶり、二本足で立って輪になって踊っている。輪の中心で指導役として踊っているのは、普段主人が可愛がっていた飼い猫だった。
ようやく手拭泥棒の正体が解った醤油屋の主人だったが、自分の猫が上手に踊っている事に機嫌を良くし、愉快な踊りと音楽を楽しんだ。そのうち噂になり、こっそり見物に来る人が増えたが、見られている事に気づいた猫たちは集会を開かなくなってしまった。
醤油屋の猫もそのうち姿を消してしまい、可哀想な事をしたと悔やんだ醤油屋の主人は、猫好きの人々と相談して供養碑を立てたという。
1776年(安永5年)頃、品川宿の宿屋・伊勢屋に「化け猫の飯盛女(※下働きの一方で客に春を売る私娼)がいる」という噂が立ち、そこから化猫遊女(ばけねこゆうじょ)なる妖怪が誕生。多くの草双紙(絵本小説)や洒落本に登場し、人気を博した。萌えキャラクター化のさきがけとも言える。
話の内容はほぼ同じで「美しい遊女が客と一夜を共にし、深夜になって客が目を覚ますと、本性を見せた化け猫がばりばりと魚や海老を齧っているのを目撃する」というもの。一仕事終えた女郎が夜食にあれこれ食べていただけだったのではというツッコミはさておき、発端となった伊勢屋は「化物伊勢屋」と呼ばれてたいそう繁盛したという。……あれ?
昭和になると「佐賀怪猫伝」「怪談佐賀屋敷」「怪猫呪いの沼」など、「化け猫映画」が多数製作された。多くは「鍋島の化け猫」を下地にした内容だが、変化球もそれなりにあり、いわゆる幽霊屋敷ものの体裁を取りながら過去と現代を跨いで物語が展開する「亡霊怪猫屋敷」は、傑作として評価されている。
こうした中で、「化け猫女優」と呼ばれる女優が人気を博した。行燈の油を舐め、クライマックスに恐ろしい本性を見せて大立ち回りを演じる彼女らには演技力の高さが求められ、特に入江たか子、鈴木澄子はその美しさと迫真の演技によって人気となり、多数の作品に出演している。
一方で「化け猫女優は色物」という扱いをされる傾向にあり、あまり良い言葉ではなかった。ただし入江は娘にたびたび自分が主演した化け猫映画を見せ、女優としての在り方の一つとして語っていたという。
水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する猫娘も、化け猫から派生したと言える。
ヒロインにして鬼太郎のガールフレンド、ねずみ男の天敵。高い知覚力と猫との会話能力のほか、本性を見せると恐ろしい形相になり、鋭い爪と牙で戦う。
実はねずみ男と同じく半妖怪という公式設定があり、作中での妖怪としての強さは低い方。
2006年のホラーアニメ『怪~ayakashi~』では、第三話に「化猫」が登場。
ストーリーはオリジナルで、婚儀を控えたさる武家に起きた怪異と、過去に起きた悲劇が語られる。
ここで描かれる化猫は文字通りの異形で、影のように自在に動き回る赤黒い靄として登場。ある人物の無念を晴らす為に復讐を続ける。3DCGや際立った色使い、和紙風のテクスチャなどの独特かつケレン味ある演出で話題を呼んだ。
また主人公の「薬売り」のスピンオフである『モノノ怪』が2007年に発表、全12話が放送された。最終エピソードでは舞台や時代を変えつつ前作を踏襲した、新たな「化猫」が描かれている。
アニメ・漫画などにおいて現実ではあり得ない猫の事。
妖怪であったり異星人であったり、色々。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/17(火) 06:00
最終更新:2024/12/17(火) 06:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。