宇野支隊とは? わかりやすく解説

宇野支隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 10:17 UTC 版)

日本軍進駐下のタイ」の記事における「宇野支隊」の解説

プラチュワップキーリーカン当時日本軍呼称:プラチャップキリカン、プラチャップキーリカン)へは、第15軍宇野支隊の一部1007名、馬100頭、自動車40両)が輸送船浄宝縷(ジョホール)で8日午前6時上陸上陸同時にタイ国守備隊射撃開始した30分の戦闘の末、警備隊武装解除し飛行場占領したチュムポーン当時日本軍呼称チュンポン)へは第15軍宇野支隊主力(2233名、馬330頭、自動車20両)が輸送船伏見丸、良洋丸で8日午前3時泊地侵入し上陸始める。タイ国守備隊300名と戦闘となるも、武装解除し飛行場占拠。 宇野支隊の任務は、チュムポーン上陸後速やかにクラ地峡横断しクラブリー抜け英領ビルマのビクトリアポイント(現コートーン)を占領することにあったため、11日早朝タイ王国軍1小隊とともにチュムポーン出発タイ軍途中落伍するも、12日14時クラブリー到着折畳船でさらに南下し14日2020分頃、抵抗なくビクトリアポイントを占拠。さらに歩兵1小隊北方145kmにあるボウピンの飛行場占領したスラートターニー当時日本軍呼称:バンドンスラートターニー旧名:バーンドーン))へは、宇野支隊の一部(1048名、自動車20両)が輸送船山浦丸で8日午前10時上陸7日夜半からの激し風雨のために入泊予定遅れた上陸後タイ国守備隊攻撃を受けるが、激し戦闘とならず武装解除し空港占領したナコーンシータンマラート当時日本軍呼称:ナコン、ナコンシータンラート)へは、宇野支隊の一部(2607名、自動車50両)が誘導占守先導を受けつつ、輸送船三池丸、善洋丸で8日午前8時頃パークプーン河を遡上開始午前10時ナコーンシータンマラート鉄道駅付近に上陸タイ国守備隊交戦武装解除しナコーンシータンマラート飛行場占領した

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宇野支隊

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日本軍のタイ進駐」の記事における「宇野支隊」の解説

宇野支隊(指揮官歩兵143連隊長宇野大佐)は第15軍第55師団一部で、歩兵143連隊基幹とする各種部隊から成り、その任務は、仏印からタイ陸路進駐する近衛師団呼応して南部タイ各地上陸して付近飛行場占領し第25軍マレー攻略容易にするとともにすみやかにマレー半島横断してその西岸ビクトリア・ポイントに達しその飛行場を占領してマレー方面作戦部隊側背掩護するのにあり、宇野支隊の上陸地はナコン、バンドンチュンポン、プラチャップ、別に吉田支隊近衛歩兵第四連隊第三大隊基幹)が単船でバンコク南方海岸上陸するバンドン上陸部隊舟艇隊は8日午前8時40分、シーラット河口発見して遡江開始午前10時頃、バンドン市に突入し同日中に飛行場占領したスラトタニ入城したところタイ王立警察や一部の市民抵抗し暴風雨の中混戦繰り広げられたものの午後のうちには武装解除要求受け入れさせた。この戦いによってタイ側は死者17、18であった。 宇野支隊長の直率するチュンポン船団8日午前3時頃に泊地侵入し上陸後タイ軍抵抗受けたが、武装解除させ、飛行場占領したタイ軍側にはバン・ナ・ニアンに第38歩兵大隊があった。 ナコン船団第一回上陸部隊8日午前4時頃に舟艇隊を出発させたが、豪雨影響午前5時20分頃ようやく海岸達した。しかし、目指すパクパーン河口発見手間取り午前7時30分発見して遡江開始午前10時頃、ナコン駅付近達し若干タイ軍抵抗排除してナコン市周辺飛行場占領したタイ軍側にはタムボン・パク・フォーンに第39歩兵大隊と第15砲兵大隊があった。 プラチャップに向かった上陸部隊午前6時30分頃上陸しタイ軍抵抗制圧し飛行場占領した日本軍対し空軍パイロットとプラチャップ警察共闘して翌日正午までは持ちこたえたもののタイ政府から戦闘中止するようにとの通達受けたため、降伏した死者日本側の発表によれば115人で、タイ側の発表によると217~300人超。同地タイ空軍基地では日本軍戦って犠牲になった兵士警官追悼式典毎年開かれている。 吉田支隊近衛歩兵第4連隊第3大隊基幹)は単船でバンコク南方海岸上陸作戦任務は同海岸上陸後すみやかにバンコク急進してラーマー6世鉄道橋)を占領することにあった12月8日午前3時から4時の間に抵抗を受けることなくバンプー海岸上陸したタイ態度が明らかではないため、第15軍参謀八原博通中佐輔佐徳永賢二中佐待機伝えタイ態度明らかになると、午後1時40分頃バンコク到着し近衛歩兵第4連隊主力到着後に同隊に復帰した

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宇野支隊

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マレー作戦」の記事における「宇野支隊」の解説

宇野支隊(指揮官歩兵143連隊長宇野大佐)は第十五軍第五十五師団一部で、歩兵143連隊基幹とする各種部隊から成り、その任務は、佛印からタイ陸路進駐する近衛師団呼応して南部タイ各地上陸して付近飛行場占領し第二十五軍のマレー攻略容易にするとともにすみやかにマレー半島横断してその西岸ビクトリア・ポイントに達しその飛行場を占領して馬来方面作戦部隊側背掩護するにあった。宇野支隊の上陸地は、ナコン、バンドンチュンポン、プラチャップであった別に吉田支隊近衛歩兵第四連隊第三大隊基幹)が海軍艦艇護衛受けず輸送船白馬山丸」に乗船して、単船でバンコク南方海岸上陸する。分進地点分かれた宇野支隊船団は、「占守」がナコン船団を、「香椎」がチュンポンバンドン船団護衛し、プラチャップに向かう輸送船には護衛艦艇はつけられなかった。 7日午後9時頃、タウ島の東30海里バンドンチュンポン船団両方面に分離し、「香椎」はバンドン輸送船山浦丸」を護衛したバンドン上陸部隊舟艇隊は8日午前8時40分、シーラット河口発見して遡江開始午前10時頃、バンドン市に突入し同日中に飛行場占領した。宇野支隊長の直率するチュンポン船団8日午前3時頃に泊地侵入し上陸後タイ軍抵抗受けたが、武装解除させ、飛行場占領した。 ナコン船団第一回上陸部隊8日午前4時頃に舟艇隊を出発させたが、豪雨影響午前5時20分頃ようやく海岸達した。しかし、目指すパクパーン河口発見手間取り午前7時30分発見して遡江開始午前10時頃、ナコン駅付近達し若干タイ軍抵抗排除してナコン市周辺飛行場占領した。 プランチャップに向かった上陸部隊午前6時30分頃上陸しタイ軍抵抗制圧し飛行場占領した

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