今年もエランドール賞の季節がやってきました。エランドール賞の選考については例年通り、昨年12月に協会員の皆さまにアンケート投票をお願いし、その結果を基にエランドール賞委員会で慎重に討議を重ねました。1月14日の最終選考委員会で受賞者を確定、1月16日の理事会で次のように承認・決定されました。
新人賞は協会員の投票によって選出され、決定いたしました。いずれもスター性と演技力を兼ね備え、次代の映画・テレビを背負って立つことが期待される俳優女優の皆さんです。
神木 隆之介
安藤 サクラ
横浜 流星
清原 果耶
吉沢 亮
橋本 環奈
(男性女性交互アイウエオ順)
以上6名の方が選ばれました。
新人賞には、東京ニュース通信社から副賞として「TVガイド賞」、銀製の写真立てが贈られます。
本年度を代表するヒット作を制作したプロデューサー賞、ならびに今後の将来性が期待されるプロデューサー奨励賞は、映画、テレビ、それぞれの部門で以下の方が選ばれました。
○映 画(プロデューサー賞)
「翔んで埼玉」
若松 央樹
古郡 真也
○映 画(プロデューサー奨励賞)
「蜜蜂と遠雷」
石黒 裕亮
○テレビ(プロデューサー賞)
「いだてん~東京オリムピック噺~」
清水 拓哉
家冨 未央
大越 大士
○テレビ(プロデューサー奨励賞)
「凪のお暇」
中井 芳彦
特別賞にはメディアと政治を描いた話題の作品の製作チームが選ばれました。
映画「新聞記者」製作チーム 協会員のプロデューサー、ディレクターが、新人俳優を指導育成し、優れた才能を発掘するセミナーとオーディショ
ンを開催しており、以下の6名の方がアクターズセミナー賞に選ばれました。
エランドール賞選考アンケートにご協力下さった協会員のみなさん、ありがとうございました。また今年も新人賞副賞をご提供いただく「東京ニュース通信社」様と、毎年花束を提供していただいている「日本ばら切花協会」様に、心から感謝いたしますとともに、毎回協賛金、福引景品をご提供いただいております協賛会員各社様に改めて感謝申し上げます。
2020年エランドール賞 授賞式・新春パーティーは2月6日(木)18時より京王プラザホテル(新宿)南館5階 エミネンスホールにて開かれます。
今年の授賞式パーティーの演出はTBSテレビが担当します。
皆さまの多数のご参加をお待ち申し上げます。
(エランドール賞委員会)
(敬称略)
2020年2月6日(木曜)18時開会 京王プラザホテル(新宿)南館5階エミネンスホール
※選考対象期間 2018年12月1日〜2019年11月30日
男性女性交互五十音順(6名)
1993年5・19生 埼玉県出身
(所属:アミューズ)
映 画
テレビ
1986年2・18生 東京都出身
(所属:ユマニテ)
テレビ
1996年9・16生 神奈川県出身
(所属:スターダストプロモーション)
映 画
テレビ
2002年1・30生 大阪府出身
(所属:アミューズ)
映 画
テレビ
1994年2・1生 東京都出身
(所属:アミューズ)
映 画
テレビ
1999年2・3生 福岡県出身
(所属:ディスカバリー・ネクスト)
映 画
テレビ
○映画(プロデューサー賞)
○映画(プロデューサー奨励賞)
○テレビ(プロデューサー賞)
○テレビ(プロデューサー奨励賞)
○特別賞
映画「Fukushima50」
2019年4月8日、福島〝夜ノ森〟の桜並木は青空のもと美しかった。
佐藤浩市演じる伊崎利夫が渡辺謙演じる吉田昌郎を想い、その桜並木を歩くシーンで約5か月にわたる撮影は全てアップした。
その1年前、私たちはやはり福島にいた。
リアルFukushima50(20 11年3月11日に起きた原発事故に最後まで戦った69人の作業員)の方々に会うためである。
皆、あの日のことになると口数は少なかった。それは、公にしてはいけないという気持ちなのか、または我々を警戒しているかと思ったがそうではなかった。あの日、精いっぱいしたことが、果たして良しとすることだったのか? 震災から8年たった今も、そう自問自答しているという姿であった。
ベント(原子炉格納容器の圧力を下げるため、弁を開け気体を放出する作業)をしたという重い決断が彼らの中にあり、決死の覚悟で臨んでいた姿を感じる取材だった。
準備から数ヶ月が経ち、諏訪に本物そっくりの第一原発が建ったとき、リアル福島の現状を描く覚悟ができた。スタジオの中央制御室と緊急時対策室は、原発内は規制により写真は撮れないため、写生して再現した美術監督瀬下氏の努力で、リアル50の人たちがスタジオで涙ぐんだほどの仕上がりとなった。
撮影は現場をいかにリアルに描くのかに困難を極めた。爆発のシーンはどうするのか、津波のシーンはどう撮影するのか。俳優陣は防護マスクをつけているだけでも不自由な動きであるにもかかわらず真っ暗の中、自らを鼓舞して演じてくださった。それは、スタッフも含め、リアルセットの中であの緊張を再現したいという気持ちだったに違いない。皆、毎日がいっぱいいっぱいの気持ちで「本当にどう完成するか」不安と期待で撮影を終えた。
最後に前・協会副会長の故・坂上順プロデューサーがスタジオにいらしてくださり、「いいものができるよ! プロデューサー冥利に尽きるな」と激励してくださったことをここに感謝してご冥福をお祈りいたします。
「Fukushima50」
2020年3月6日公開
私が初めて東宝スタジオに足を踏み入れたのは今から25年前「ゴジラVSデストロイア」の現場だった。
当時、まだ大学生だった私は製作係のアルバイトで現場に潜り込み右も左も分からない状態。先輩方からはただただ怒られてばかりだったが、それでも終わらない学園祭をやっているようで幸せな日々だった。
責任のない立場だったが指示された事を黙々とこなし、一本の映画に微力ながらも参加できていることが何よりの充実感だった。
当時のゴジラシリーズは俳優の芝居部分を撮影する本編班、着ぐるみのゴジラを撮影する特撮班に分かれていて、それぞれが2ヶ月以上かけて撮影する、今思い返すと非常に贅沢なスケジュールで撮影していた。
私が配属されたのは本編製作部の製作係。ロケに出れば大人数のスタッフの弁当の準備、片付け、麦茶の補充、ゴミ捨て、荷物の運搬。セットに入れば吸殻拾い、ゴミ拾い、釘拾い、埃が立たないようにジョウロで水撒き、テスト本番のスイッチ係。
暑い夏の時期だったので一日が終わるとTシャツは汗で塩まみれ。体力の限界だったが、映画づくりの夢工場の一員になれた喜びで毎日は過ぎ、あっと言う間にクランクアップを迎えていた。
その後、現場での働きを認めてもらえたのか、引き続き東宝映画で使ってもらい、「モスラ」シリーズ、「誘拐」などの現場を経て、正式に入社することとなった。
入社前の作品で諸先輩方から撮影所の薫陶を受け、入社後しばらくすると外部の監督とご一緒する作品が増え、様々な製作形態を経験することとなった。
東宝映画歴戦の製作担当者、森知貴秀さん、徳増俊郎さん、金澤清美さん、前田光治さんからは沢山叱られ、少し褒められ、映画を作る喜びを教えられた。
今は製作係からプロデューサーと立場は変わったが、新人時代の初心を忘れず、先輩方に恥じない作品を作り続けたいと思う。
若手映画作家育成プロジェクト2019 ndjc 合評上映会 開催
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