「基本的に、2軍コーチの役目は、チームに在籍している選手の中から、力のある選手をピックアップして技術、精神面等の向上をはかって1軍へ送り込むのが仕事です」
阪神今岡誠ファーム打撃兼野手総合コーチ(41)の話である。自分に与えられた役割を極シンプルに、わかり易く説明してくれた。まさに、その通りで何もむずかしく考える必要はない。今季から専任コーチとしてユニホームを着たばかり。当然、これまで何人ものコーチに指導を受けてきた。立場こそ違えコーチが何をすべきかはわかっている。そこから熟慮した中から出した結論。普通なら「アレもしたい。コレもしなくてはいけない」と考えるところだが、いたってシンプルな発想が、かえって素直な気持ちで選手を推薦できていい結果を生む可能性がある。
一本気といおうか、横道にぶれない性格。「あれも、これも」の浮気心は全くない。同コーチがプロ入りしたころのドラフトは逆指名制。だから、選手本人からの球団指名がない限り交渉権は得られない。スカウト諸氏はドラフト会議前から自チームのアピールに大変だった。例えば、仮にある選手から前向きのいい返事を得ていたとしても、その後の他チームとの交渉内容でいつ、どんな事で気持ちが変わるかわからない。交渉権を得るまでは心配の種は尽きなかったが、当時のスカウト部長から「あの子(今岡)は大したものですよ。他球団からかなりの条件が出てきても受けつけませんでした。一本芯のとおった性格の持ち主ですので、期待の持てる選手だと思いますよ」と聞いていた。性格は変わらないという。コーチ業でもひと旗あげてほしいね。
厳しい試練にも耐えた。PL学園-東洋大。この道のエリートコースで鍛えてのプロ入り。ルーキーイヤーから98試合に出場するなど、チームの中心選手になる片りんは見せていたが、闘志が表に出ない今岡のプレーに野村克也監督から「ユニホームが汚れない選手」いわゆる“怠慢プレー”のレッテルが貼られ、一時はレギュラーを外される時期もあった。捨てる神あれば、拾う神あり。今岡には“神様”がついていた。
故・島野育夫ヘッドコーチである。2002年、星野仙一監督が就任。同時に阪神へ復帰した同コーチ「中日時代、敵として戦っていた阪神で一番気持ちが悪いというか、一番怖かったのが今岡なんですよ。なんとかしたいね」。執念とでもいったらいいのか、連日バッティング練習前のアップの時から今岡の動きに注目。「今日は体調がよさそうだなあ」とか「今日は体が重そうだな」などの声をかけ続けて復活をサポートした。同コーチから直々に聞いた話で、この年打率.317。15ホーマー。56打点と本来の姿を取り戻し、翌年のリーグ優勝時には打率.340で首位打者。2005年の優勝では“147”打点王のタイトルに輝いた。与えられた試練を乗り越えた。いかにしてタイトルを獲ったか。時には自分の選手時代を振り返っての指導も大事なことかもしれない。
鳴尾浜球場での若手育成に熱がはいる。身ぶり、手ぶり中谷、西田らにアドバイスを送る。この世界でタイトルを獲ったコーチのひと言、ひと言には重みがある。我々、試合後のグラウンドで行われる選手ミーティングを聞くわけにはいかないが「的を射た話をしてくれています」と掛布監督も信頼している。就任して半年、ある意味、若手育成のすべてがわかってくる今後の方が複雑な問題が出てくるかもしれない。「いや、我々のやる事は1軍の戦力になる選手を1人でも多く送り込むことです。幸い、いまの僕はまだなんの色もついていませんので、純粋に選手の力を見られますし、邪念など持たずに選手の力を見抜けますので、かえって素直な目で選手を推薦することができると思います」今岡流はあってもいいが、今後は、思いもよらぬ相談事を持ちかけられる立場になった。クリーンなだけでは解決できない問題が出てくる可能性もある。何事も受け入れてやる事ができるか。悩んでいる選手を包み込んでやる事ができるか。確かに実際にプレーをするのは選手だが、今後は島野ヘッドが自分に注いでくれた情熱を若手にぶつける時がきた。自分が“神様”になる番だ。
【本間勝】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「鳴尾浜通信」)