バロン吉元の大規模展は、美術館では初めての試み。往年の劇画から大型絵画の近作まで、創作の歩みを振り返ります。
会場は2部構成、1階は漫画作品です。
バロン吉元(本名:吉元正)は1940年、旧満州国生まれ、鹿児島県指宿市育ち。高校時代より画家を志し、武蔵野美術大学西洋画科を中退後、漫画家・横山まさみちのアシスタントに。ファッションイラストレーターの長沢節に学んだ経験は、漫画作品にも活かされています。
1959年で短編漫画「ほしいなァ」が貸本短編誌に入選し、プロの漫画家へ。1967年には「漫画ストーリー」(双葉社)で商業誌デビューします。
実はバロン吉元というペンネームは、同誌の編集長が勝手に命名したもの。別のペンネーム案は「ドクロ吉元」でした。
バロンの代表作が「柔俠伝」シリーズ。1970年から「週刊漫画アクション」で連載がはじまり、「昭和柔俠伝」「現代柔俠伝」「男柔俠伝」「日本柔俠伝」「新柔俠伝」と、10年に渡って続いた人気作品です。
「柔俠伝」シリーズのヒロイン・吹雪茜は、1978年に発売されたサントリーの「樹氷」の広告にも登場。コピーライター・仲畑貴志による「樹氷にしてねと、あの娘は言った。」の名コピーで、広まりました。
バロンの作画で驚かされるのが、筆による描写。漫画はペンで描くのがセオリーですが、幼少期から筆に親しんでいたバロンは、筆による美しい描線を追及しました。
線の密度で濃淡を表現する「かけ網」も、バロンの十八番です。スクリーントーンは1950年代半ば以降に普及しましたが、バロンは手描きでのかけ網にこだわりました。作品を近くで見ると、その高い技術がよく分かります。
会場2階は、大型の絵画作品が中心です。
バロンは1980年に全ての漫画連載を終わらせると、突如渡米。画家を目指していた少年時代の初心に立ち返り、1985年に帰国した後は、漫画と並行して絵画制作を始めます。
画家としての活動は「龍まんじ」の雅号でゼロのキャリアからスタート。90年代に入ると公募展にも出展するようになり、複数の賞を受賞しています。
2000年代に入ると、作品は紙からキャンバスへ。作品の大きさも拡大していきました。
2階の奥には、本展のために描かれた新作3点も出品されています。漫画もネーム無しで書き始めるというバロンですが、絵画も白いキャンバスにいきなり黒のマッキーでアウトラインを描き出すという驚きの手法。頭の中のイメージをそのまま作品に投影できるのは、バロンならではといえます。
展覧会は前期が2月17日(日)まで、後期が2月19日(火)~3月31日(日)。劇画作品と大型絵画作品の一部が展示替えされます。会場は一部を除いて写真撮影が可能。劇画作品を親しんだ方も、知らなかった方も、ぜひお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年1月7日 ]