2013/02/11 03:55
2008年2月10日。〈忌野清志郎完全復活祭〉が東京・日本武道館でおこなわれた。多くのファンが笑顔で“KING”“GOD”“夢助”そして“ボス”、忌野清志郎の完全復活を祝ったあの日。あれから5年の月日が経ったものの、清志郎が遺した音楽は、いまだに多くの人の心を捉えて離さない。この日、熱心なファンが度々訪れるという「西久保酒店」さんを訪ね、ご主人の西久保重一さんと奥さまに清志郎に関する話を聞くことが出来た。大正12年創業、今年で90周年という歴史ある酒屋さんの3代目であるご主人の重一さんは、清志郎の従弟にあたる方であり、またアニメーション監督、演出家として著名な西久保瑞穂の実兄でもある。「亡くなってから、ファンの方にとってこんなにも大きな存在だったんだ、と改めて気が付いた」というご主人が語る、「素顔の忌野清志郎」、「素顔の栗原清志」。
——こちらの西久保酒店さんは清志郎さんのファンには有名なお店ですが、いまだにファンの方は良く来店されるんですか?
ご主人 : そうですね。ここの所、一段落はしているんですけど、うちで10年前に作った記念のお酒「KING」が、今年が販売する最終年なんですよ。本当はこの4月でうちの店が90周年なんで、そこで清志郎に新しいラベルを作ってもらおうと思っていたんですけどね。前回のお酒を多めに作って熟成させていて、新しいお酒と比較してもらおうと思っていたので、今もお酒を寝かしているんです。よほどお酒が好きなマニアックな方じゃないと、なかなか寝かしたお酒って飲む機会がないと思うので、一般の方にも飲んでもらおうと思ってたんですけど。
——西久保酒店さんは大正12年創業なんですよね。
ご主人 : 関東大震災の年に開店したんですよ。おじいさんも良くそんな時に開店したな、と(笑)。
——本当凄いですね(笑)。じゃあ今年90周年記念のお酒も出る予定だったんですね。
ご主人 : そう考えてたんですけどね。80周年記念の「KING」も、清志郎が亡くなった日の晩から、(お酒を注文する)メールがバンバン入っちゃって。販売はしていたんですけど、10年間ちゃんと売ろうと思いまして。だから発売日も5月2日の命日の前後と、RCサクセションが出来た11月、この2回の時期だけにして。
——あ、11月はRCが結成された月なんですか。
ご主人 : うん、僕はあまり詳しくは知らないんですけど、そう聞いてるんで。本当かどうかわからないですけど(笑)。
——(笑)。でも一応それに合わせて。
ご主人 : それと、2003年11月19日のアルバム『KING』とタイミングが合ったんで、同じ名前にしようということで、清志郎がラベルの絵を描いてくれたんです。彼は子供の頃から絵は上手かったんでね。
——改めて伺いますけど、西久保さんと清志郎さんはどういう血縁関係になるんですか?
ご主人 : 僕の母と清志郎の母が姉妹なんです。向こうの母親のすぐ下がうちの母親なんです。年が一番近くて、僕がいとこの中で一番上で、清志郎がすぐ下だったんです。
——じゃあ、小さい頃から一緒に遊んだりしたんですか?
ご主人 : いや、彼が3歳位の時にお母さんが亡くなって、一番上のお姉さん夫婦が引き取ったんで、それから国立ですから、僕なんかが知っているのは、中学・高校位になってからですね。
——その頃に親戚の集まりとかで会ったりした覚えはあります?
ご主人 : 一番売れない頃、清志郎がジャパマハイツ(清志郎が一時期住んでいた福生の米軍ハウス群)に住んでいた時に、お父さんを車に乗せてうちの店にお中元・お歳暮を買いに来てたんです。それが20代。だからその前にはそんなに会ったりしていないですけど、「僕の好きな先生」が出た頃、RCサクセションがテレビ神奈川によく出ていたんです。その頃に清志郎の育てのお母さんが「いついつに清志がテレビに出るから観て」って、毎回電話を寄こしてたんですよ(笑)。
——それはもう、高校卒業した頃ですよね?
ご主人 : そうですね。だから「僕の好きな先生」が出る前ですね。いくつの時だったかまでははっきり覚えていないんですけど、とにかくおばさん(清志郎のお母さん)がしょっちゅう「テレビに出るから」っていう電話を寄こしていたのは覚えてますね。
——そうだったんですか。でも、清志郎さんのお母さんは清志郎さんがミュージシャンを志している事を新聞のお悩み欄に投書して心配していらっしゃったという有名なエピソードがありますよね(笑)。
ご主人 : はいはい(笑)。
——そうは言ってもやっぱり活躍しているのが嬉しかったんですねえ。
ご主人 : そうだと思いますよ。だって、そうじゃなかったら(亡くなってから個展に展示された)子供の頃の成績表だとか、絵だとか、あんなに全部取ってないですよね。それを、お母さんが亡くなった時に、風呂敷包みにして本家の実家の方に持ってきて、しまってあったんです。それで、清志郎には生まれた時のこと(生みの母親と育ての母親)はちゃんと全部教えて無かったんで、その風呂敷包みを渡してはっきり教えたって言ってましたけどね。本人も薄々わかってはいたみたいですけど。
——そういうことがきっかけで、清志郎さんの曲にも変化が出てきたんでしょうか?
ご主人 : それはあると思いますよ。その風呂敷包みの中にあった日記なんかで、お母さんが戦争で色々苦しんだことを知ったりして。
——それが後々のカバーズにも繋がっているんですね。
ご主人 : そうだと思いますよ。
——話が前後しますけど、RCサクセションとして世に出る80年前後まで、ご主人が清志郎さんと会う機会はあまりなかったんですか?
ご主人 : いや、さっきお話したように、売れない頃はたまにお父さんと車で買物に来ていたんですけど、その前にも鳩をうちの親戚から持って行って、国立の家で飼うっていうんで、それを僕が車で持っていった覚えがあるんですよね(笑)。まだ高校生でしたけど、その頃16歳で軽自動車の免許は取れたんで(笑)。
——鳩といえば清志郎さんは小学生時代に『週刊 鳩』っていう漫画を描いていたんですよね。
ご主人 : そうですね。それでたぶん鳩を届けに行ったと思うんですけど、その頃の事はうろ覚えなんでねえ。大人になってみんなで良く会うようになったのは、20年位前かなぁ。良く新年会やったりしてたから。
奥さま : 最初に70周年のお酒のデザインを作ってもらってからじゃない? 絵が上手だったから、この店の70周年の時に初めて「お酒のラベルを描いて貰えませんか? 」って聞いたら、気軽に「いいよ」って言ってくれたんですよ(笑)。
ご主人 : 電話でやりとりして、元の絵をFAXで流してきたりとかね(笑)。
奥さま : 『ロックンロール』と『リズム&ブルース』ってタイトルも付けてくれて。割と気軽に頼んじゃったんですけど、本当は事務所を通してとか、結構大変なことなんですけど「俺が良いんだから良いんだ」って言ってくれて(笑)。
——その頃から本格的な交流が始まったんですね。
奥さま : そうですね。それと前後して清志郎さんのご両親が続けて亡くなられたんですよね。
ご主人 : その葬儀を、国立じゃなくてうちの町でやったんです。その時に三浦友和さんもいらっしゃったり、芸能関係からのお花が凄く多かったんで、「こいつこんなに有名だったっけ!? 」って思ってびっくりしたんですけどね(笑)。
——その頃ってRCサクセションの曲を聴いたり観たりされたんですか?
ご主人 : いや、いとこがたまたま音楽をやって有名になっているっていう感覚なんで。それ以上は無かったですね。ただ、友達がコンサートに行きたいからチケット取ってくれとかね(笑)。それで清志郎に電話して手配してもらったり。
——お友達にファンがいたら頼まれちゃいますよね(笑)。
ご主人 : それで一緒に観に行って、その日の夜にお礼の電話をしたら、次の日のコンサートに「酒蔵の半纏が欲しい」っていうんで、中野サンプラザまで持って行ったんですよ。
——え、それってもしかしてRCじゃなくて、ソロでやったレザー・シャープスのことじゃないですか!?
ご主人 : そうそう、外人の。中野サンプラザのステージで半纏を着たいっていうから楽屋にわざわざ持って行ったんですよ。そしたら廊下に桑田佳祐と泉谷しげるがいて、清志郎は終わってから打ち上げに行こうって誘ってくれたんですけど、いや恐れ多いって言って帰りました(笑)。
——お店がファンに知られるようになったのはいつ頃からなんですか?
ご主人 : 70周年記念のお酒を出した時には1,000本位注文が来て大変だったんですよ。
奥さま : その時、ファンクラブの会報に広告を載せてくれたんですよ。それを見た人達が注文してくれたんですけど。その頃、私が1人で店番してたら細い男の人がフラっと入ってきて、「シゲちゃんいる?」っていうんで、はいお待ちくださいって、よく見たら清志郎さんで、凄く焦っちゃいました(笑)。
——いきなり清志郎さんが入ってきたらびっくりしますね(笑)
ご主人 : 「生卵」っていう清志郎の本が出来た時にも広告が載ったりして、その頃からファンの方が訪ねてきたりするようになりましたね。それと本人も80周年の時は「KING」のラベルの原画を筒に入れて自転車でここまで背負って持ってきてくれたりね。
——ご自宅からは結構距離もあるのに自転車で来てたんですね。
ご主人 : うちの父親が亡くなった時も、自転車で来てくれて。女性のマネージャーと一緒だったから遅くなったとか言って。
——あ、マネージャーさんも自転車に乗って(笑)。
ご主人 : あとは冠婚葬祭とかあると、いつも家族4人で来てくれたんですよ。いつも家族で一緒でしたね。
——最後にお会いになったのはいつか覚えていらっしゃいますか?
ご主人 : 復活祭の年の正月に新年会で会ったかなぁ…。 それか、最初に活動休止を発表する2日位前に、本家の長男の結婚式があったんですよ。その時、清志郎が来てミニ・コンサートをやって、4、5曲歌ったんです。そのビデオがどこかにあるはずなんだけど…。それでいとこと一緒に歌ったりしてたんですけど、その後すぐに病気の発表があって。自分達もその時知らないですから。そんな体調が悪いのに良く歌ってくれたなあって思いましたね。
——いまだにこちらのお店にファンの方が訪れるというのは、少しでも清志郎さんの事に触れたいっていう気持ちがあるんでしょうね。
ご主人 : そうみたいですね。高尾にお墓参りに行って、清志郎が行ったラーメン屋さんに行って、ステージ衣装を作ってた「テーラーK・ブラザーズ」に行って、ここに寄るっていうパターンらしいですよ。5月の命日になると増えますね。
奥さま : 亡くなってしまったけど、ファンの方達の中では亡くなってないんですよね。きっと。拠り所が無くなってしまったから、ここにもいらっしゃるんだと思います。
ご主人 : 丁度GWの連休中ですからね。沖縄から来ました、とか。
奥さま : みなさん本当に熱心ですよ。
——僕もこうして貴重なお話を聞かせて頂けて本当に感激です。最後に、ご主人が清志郎さんの事で真っ先に思い出すことってなんですか?
ご主人 : ポルシェに乗ってひょこっと店に来て、「これ売れなくなったからあげるよ」って置いてったのが、『COVERS』の発売中止になったサンプル盤だったんです。「駄目になったから」って。
——その時、清志郎さんは詳しいことは何も話さなかったんですか?
ご主人 : 「売れなくなっちゃった」っていうだけで、細かくは言わないですね。後で正式に聞きましたけどね。
——その後も発売中止になったりしたことはありましたね。
ご主人 : 「君が代」の時かなぁ、テレビ局かなんかから電話が来て、「ご親戚ですよね? 清志郎さんの連絡先知りませんか? 」って言われて(笑)。なんでうちにかけて来るんだって(笑)。
——お店の中にも清志郎さんのグッズが沢山飾ってありますね。(青山葬儀場で寄せ書きされたタイマーズのヘルメットから、清志郎が小さい頃通ったラーメン屋のマッチ(!)まで)
ご主人 : ファンの方が色々持ってきてくれるんですよ。葬儀にもあんなに大勢の人が集まったりして、亡くなってから初めてわかったんですよ。有名なのはわかってますけど、親戚なんで「ちょっと有名なんだな」程度にしか思ってないですからね(笑)。本当に愛されてたんだなって思います。あ、そういえば若い頃に清志郎が「歳を取ったら親の畑を借りて、農業をやる」って良く言ってたんですよ。
——えぇ~!? 清志郎さんがですか?
ご主人 : 信じられないでしょ?(笑)。まあ本気だったかどうかわからないですけど。本当は出来れば還暦ロッカーの清志郎が見たかったですけどね。
——取材後記——
多くの清志郎ファンが訪ねてくるという西久保酒店。清志郎ファンの心の拠り所になる理由が良くわかるご夫婦の気さくなお人柄と、貴重なエピソードの数々を聞かせて頂けたことにただただ、感謝。また、取材を許可して頂いた清志郎さんのご家族、事務所の方に改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。(岡本貴之)
創業大正12年。厳選された日本酒・焼酎・ワイン等、量販店では手に入らない貴重な醸造酒を多数販売している。「古酒・熟成酒を楽しむ夕べ」等の飲み比べイベントも開催している、お酒好きにはたまらない酒屋さん。2013年5月2日前後10日間と11月の1ヶ月間に忌野清志郎デザインの80周年記念酒「KING」を発売。
「西久保酒店」
住 所 : 東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎79
TEL : 042-557-0112
FAX : 042-556-1288
HP : https://www.ictv.ne.jp/~n-sake/~n-sake.html
e-mail : [email protected]
営業時間 : 9:30~20:30
水曜日定休 (7・12月を除く)