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59歳早すぎる死「ケーキ屋見習いからW杯得点王」名門移籍後は酷評→Jで93戦65発…「エロエな点取り屋」スキラッチ“究極の成り上がり人生”
posted2024/09/29 17:02
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Koji Asakura
トト・スキラッチは“俺たちの英雄”だった。誰もが彼を「魔法の夜のエロエ(英雄)」と呼んだ。
1990年のW杯イタリア大会で得点王とMVPを獲得した元イタリア代表ストライカー、サルバトーレ(愛称トト)・スキラッチが、9月18日の朝、結腸癌で亡くなった。享年59歳だった。
磐田では93試合65ゴールの決定力
Jリーグ開幕直後の94年には、ジュビロ磐田に加入。W杯得点王が日本でプレーするという期待にたがわず、4シーズンで公式戦93試合65ゴールというワールドクラスの決定力を見せつけた。
〈偉大なストライカーとプレーできたことは僕の財産として輝いています〉
相棒を務めた中山雅史(現アスルクラロ沼津監督)も、こんな追悼コメントを残している。
スキラッチは晩年、一昨年に発覚し2度の手術で克服したはずの病魔が再発、今月7日からシチリア島の故郷パレルモの病院に入院していた。死後、遺体は地元スタジアム「レンツォ・バルベーラ」の特別室に移送され、命日の午後から翌19日深夜まで弔問の人びとが長蛇の列を作った。
“自国開催W杯”とは、大方の地球人にとって一生に一度あるかないかの一大イベントだ。世界が熱狂した90年イタリア大会は現地で“ノッティ・マジケ(魔法の夜)”と呼ばれ、34年が経った今も色褪せぬ記憶としてカルチョの国に息づいている。
記憶の中でひと際眩い光を放つのが大会の主役たるスキラッチだった。主役の早すぎる死は国中に慟哭をもたらした。大会やユベントスでコンビを組んだ球聖ロベルト・バッジョはいち早く追悼のメッセージを出した。
「親愛なる友よ。W杯90年大会の快挙は永遠に私の心に残り続けるだろう。我々2人は永遠にイタリアの兄弟だ」
歴代の所属チームだけでなく国中のクラブが哀悼を寄せ、世論に敏感な首相ジョルジャ・メローニも「イタリア国民と世界中のスポーツファンの心を打ったカルチョの象徴の一人が我々を残して去ってしまいました。夢と感動、抱擁を与えてくれました。本当にありがとう」とのコメントを発表している。
4部クラブで“序列最底辺の荷物持ち”から
シチリア島の田舎からW杯得点王に上り詰めたスキラッチの人生は、究極の成り上がり物語だった。