w.o.d.メジャー進出!写真で振り返るバンド15年史と挑戦だらけの新アルバム「あい」制作秘話

今年結成15周年を迎えたw.o.d.。彼らは大きな節目となるこの年にメジャー1作目となるアルバム「あい」を完成させた。今作は中野雅之(THE SPELLBOUND、BOOM BOOM SATELLITES)やいしわたり淳治とのタッグで制作され、さらにエンジニアとして近藤祥昭(GOK SOUND)やIllicit Tsuboi、濱野泰政(伊豆スタジオ)らが参加。数々の名曲が生まれた伊豆スタジオでレコーディング合宿も行われ、バンド初の試みに多数挑んで作り上げた作品となっている。

結成15周年を彩る本作の発売を記念し、メンバーにはアルバムについて語ってもらったほか、「歴代写真で振り返るw.o.d.の15年」と銘打ち結成時から現在までの写真をもとに、これまでの活動を振り返ってもらった。中学~高校時代や上京前、中島元良(Dr)加入直後など、さまざまな時期の貴重なエピソードにも注目だ。

取材・文 / 森朋之撮影 / YOSHIHITO KOBA

歴代写真で振り返るw.o.d.の15年

結成したてのw.o.d.

──サイトウさんとKenさんが楽器を持って行進している、この写真はいったい……?

中学時代のw.o.d.。

中学時代のw.o.d.。

サイトウタクヤ(Vo, G) (笑)。これはたぶん中3のときですね。

Ken Mackay(B) 結成してすぐじゃない?

サイトウ うん。webbing off ducklingという名前で活動を始めた頃ですね。この場所は学校の裏の公園。

Ken 制服です(笑)。友達に頼んでアーティスト写真を撮ってもらったんですよ。面白いことをしたいという気持ちと恥じらいの両方が見えますね。

サイトウ Myspaceに音源をアップしたり、ホームページを作ったりしていたから、それに掲載するための写真が欲しかったんです。

中島元良(Dr) 中3ってことは、何年?

Ken 2009年だね。「ずっと音楽を続けられたらいいな」と思い始めた頃。とにかく就職したくなかった(笑)。

サイトウ 俺とKenは中高一貫の学校に通っていたんですけど、中学卒業の時点では音楽の専門学校に行こうと思っていたんです。そうしたら母親に「大学は行ってほしい」と言われてしまい、「わかりました」と(笑)。それくらい音楽をやりたかった。

サイトウタクヤ(Vo, G)

サイトウタクヤ(Vo, G)

──当時はどんな音楽を聴いていました?

Ken 俺はレッチリ(Red Hot Chili Peppers)ですね。フリーのベースをコピーしまくっていました。

サイトウ Kenはw.o.d.を組むちょっと前くらいにベースを始めたんですよ。俺は小6か中1ぐらいからギターを弾いて、曲も書き始めていました。音楽はいろいろ聴いていましたね。すでにネットがあったし、近所にレンタルショップもあったから、ネットサーフィンして気になるバンドを見つけたらCDを借りて。ロックだけじゃなくてヒップホップとかも聴いていました。

Ken 国際教育に力を入れている学校だったから、洋楽を聴く人が多かったんです。文化祭のバザーで生徒の親が中古のCDを出していたり。そこでサイトウさんはRadioheadの「In Rainbows」を選んでいたのを覚えてます。俺はフーファイ(Foo Fighters)の爆弾のジャケットのアルバム(「Echoes, Silence, Patience & Grace」)を買って。

サイトウ そのときの好みが出てるな。

──Kenさんがくまのプーさんの布団に入っている写真の後ろには、ギターが写っていますね。

高校時代に行った自宅合宿の様子。

高校時代に行った自宅合宿の様子。

サイトウ これは俺の実家にKenが泊まりに来たときの写真ですね。並んでいるのはもともと実家にあったアコギに、兄ちゃんが使ってた赤のストラトキャスター、あとはゴミ捨て場から拾ってきたベース(笑)。自分で買ったのはレスポールだけかな。Kenが弾いている緑のベースは、自分で初めて買ったヤツじゃない?

Ken そうそう。サイトウさんの実家でネットオークションをして、入札したのを覚えています。

サイトウ レッチリのフリーモデルのベースですね。あとはMTRも持っていたので、それをパソコンにつないで録音やミックスをやっていました。

Ken それをMyspaceにアップしてね。

──CD-Rの写真もありますね。

高校時代に制作したデモCD-R。

高校時代に制作したデモCD-R。

サイトウ 完成した曲をとりあえず収録したものです。このロゴやジャケットもパソコンで作って、プリントアウトして。

Ken 友達に配ったりしていました。

元良 タイトルは?

サイトウ 付けてない(笑)。あとはライブハウスに送ったりしていましたね。当時はライブハウスのスタッフにデモ音源を聴いてもらって、気に入ってもらえたら出演できたので。このCD-R、まだ実家にあるかも。

Ken 物持ちいいね(笑)。

──このCD-Rに入っていて、今もライブでやっている曲はありますか?

サイトウ どうだろう? 「丸い真理を蹴り上げて、マリー。」は中3のときに作ったから、もしかしたら収録されているかも。

Ken 「丸い真理を蹴り上げて、マリー。」は初ライブでも演奏したからね。

サイトウ、友達が買ってくれたギターに涙

──このライブ写真は文化祭?

高校時代のw.o.d.。

高校時代のw.o.d.。

Ken いや、地元(尼崎)のイベントですね。スタジオやライブハウスの人たちが尼崎で音楽祭をやっていて。

サイトウ 阪神尼崎駅の近くでフリーフェスみたいなイベントをやっていたんですよ。まだドラマーがいなかったから2人で出て、オリジナル曲やCreedence Clearwater Revivalのカバーとか披露しました。

Ken レッチリの「Snow (Hey Oh)」もカバーしたし。

サイトウ このイベントには大学生のときにも出演したんですけど、そのときはCreamの「Crossroads」をカバーしました。Creamのライブ映像が大好きで。

──オールドロックも通っていたんですね。

Ken めっちゃ好きです。ジミヘン(ジミ・ヘンドリックス)のカバーもやっていたし、むしろそっちがメインだったかも。対バン相手もおじさんバンドばっかりで(笑)。

サイトウ お客さんもね。

元良 そうなるよね(笑)。

中島元良(Dr)

中島元良(Dr)

──元良さんは学生時代、どんな音楽を聴いていました?

元良 自分は高校生ぐらいまでJ-POPを聴くことが多かったです。大学で音楽サークルに入ってからですね、いろいろ聴くようになったのは。大学時代は福岡でバンドをやってて。

Ken ポップなヤツね。

元良 HOLIDAYS OF SEVENTEENというバンドで、けっこう忙しく活動していました。

──サイトウさんが黒のムスタングを持っている写真は?

20歳の頃のサイトウタクヤ(Vo, G)。

20歳の頃のサイトウタクヤ(Vo, G)。

サイトウ これは俺の20歳の誕生日のときですね。Kenが友達からカンパを集めて、誕生日プレゼントとしてこのギターを買ってくれたんです。Kenからはさりげなく「次、ギターを買うとしたら何がいい?」とか聞かれていて、「ムスタングが欲しいんだよね。やっぱり黒かな」とはっきり答えていたはず(笑)。そうしたらお金を集めて、本当にプレゼントしてくれて。

Ken 1人につきいくら集めたか、もう覚えていないですけどね。中高の6年間、クラスのメンツが一緒だったので、めっちゃ仲がよかったんですよ。

サイトウ しかも男子が少なかったから、結束力が強くて。まさかギターを買ってくれるとは思っていなかったから、めちゃくちゃうれしかったです。この写真、地元のBASS ON TOPというスタジオで撮ったんですけど、うれしくてロビーでずっと弾いてたら「うるさい」って怒られちゃって。そのあとお酒を飲みに行って、友達がみんなで祝ってくれたことがうれしくて、感動して泣いてました(笑)。

──メンバー募集のチラシもありますね。

ドラマー募集のフライヤー。

ドラマー募集のフライヤー。

サイトウ スタジオにあったコピー機の読み取り画面に手を置いてコピーして、白くなった部分に文字を書いています。

Ken ドラマーを募集したときのチラシですね。

サイトウ この時期は打ち込みの音源を流しながらライブをやっていたんです。で、ドラムのイスにプーさんの人形を置いたりして(笑)。

Ken ハハハ。

サイトウ ドラマーを入れたかったんですよね。打ち込みだと物足りないし、生ドラムに憧れがあったんで。最初のドラマーはスタジオの人に紹介してもらいました。

元良 1回会ったことある。確か有名な会社に就職したんだよね?

サイトウ 大学もいいところに行っていたし、賢い人だったんで、就職先が決まって、そっちを優先してもらいました。そのあとKenが通っていた大学の先輩が加入して、その先輩と3人で上京したんです。

やりたいことをやり続けて、地道に上がっていくのがちょうどいい

──この時期から活動がさらに本格化してきた?

Ken そうですね。ライブも増えたし、「COMING KOBE」や「出れんの!? サマソニ!?」の出演オーディションも受けました。

Ken Mackay(B)

Ken Mackay(B)

サイトウ どっちも出られたしね。この頃いろんな事務所の人と知り合って、その中の1人が株式会社次世代(※w.o.d.が所属するマネージメント / レーベル)を立ち上げた石川大さんだったんです。ライブのたびに神戸に来てくれて、仲よくなったことが上京するきっかけになって。

Ken それが2017年ですね。上京後は明大前でシェアハウスして暮らしていました。その後1stアルバム「webbing off duckling」を作ったあとにドラマーが辞めることになり、元良くんが入ってくれて。

サイトウ 元良くんとは別のバンドで1回競演したことがあるんですよ。

元良 所属していたバンドが2015年に解散して、その後はいろんなバンドのサポートをやっていたんです。w.o.d.に誘われたときは……。

Ken 何組やってたっけ?

元良 7組。

サイトウ すげえ(笑)。

元良 当時のスケジュールを見ると自分でも化け物だなって思います(笑)。そんなときw.o.d.に出会って、対バンしたときも「めちゃくちゃカッコいいバンドだな」と思っていたから、声をかけてもらったことが夢みたいで。

──3人そろったライブの写真もありますね。

2018年の中島元良(Dr)加入直後のw.o.d.。

2018年の中島元良(Dr)加入直後のw.o.d.。

元良 clubasiaで撮った1枚ですね。俺が加入して初めて作った曲が「THE CHAIR」なんですけど、それをリハーサルで演奏しているところです。タワーレコードの写真も加入直後で、1stアルバムの発売に合わせた挨拶回りのときかな?

Ken ショップへの挨拶をやり始めたのもこの時期から。

サイトウ そうだね。事務所に所属して、CDショップに顔を出して。

Ken まだライブの遠征もあまりやってなかったし。元良くんはずっとやってたけど。

元良 大学生の頃からめちゃくちゃ遠征していました。ちなみに俺、w.o.d.を含めると3回「タワレコメン」(※タワーレコードのバイヤーがオススメする作品)に選ばれています。

サイトウ 多っ(笑)。

元良 あの時期って、地方に行くたびに観光してたよね。

Ken そうかも。行ったことがない土地ばっかりだったから。

元良 あと、当時のマネージャーがめっちゃ酒を飲む人で。ライブのリハのあと、みんなで飲みに行って。

サイトウ その頃は尋常じゃないくらい飲んでましたね。ライブ前に飲んで、もちろんライブのあとも飲んで。二日酔いで次の会場に行くんだけど、リハあたりで調子がよくなってきて、また飲む。

元良 ライブ自体は25分とか30分くらいだから、アドレナリンが切れる前に終わるんです。汗かいてスッキリして、元気になってた。こっちの写真は京都のMOJOで撮ったやつですね。

2018年のw.o.d.。

2018年のw.o.d.。

サイトウ このときはかなり疲れ果てています(笑)。たぶん遠征の最終日かな。当時まだバイトをしていたから、ライブをやればやるほど働く時間が取れなくなって、生活がつらくなる時期でした。

──そして2023年にメジャーレーベルに移籍。それまでの活動と比べて変化はありましたか?

サイトウ 単純にライブの会場が大きくなるとか、そういうことはありますけどね。俺らはガラッと状況が変わった、みたいなことが1回もないんですよ。

Ken そうだね。

サイトウ ちょっとずつ、ずっと階段を上がっているというか。「ここまで来るのに時間がかかった」みたいな感じもなくて。やりたいことをやり続けて、地道に上がって。それがちょうどいいのかなと思っています。