GeTO(ゲト)の新曲「三文芝居」が配信リリースされた。
GeTOは2023年に音楽活動を開始したシンガーソングライター、トラックメーカー、映像作家。アーティスト名には集団から孤立してしまった人々を肯定する意味が込められている。
音楽ナタリーではGeTOに初インタビュー。素顔をマスクで隠して活動する彼はどんな音楽ルーツを持っているのか? 音楽活動を始めたきっかけは? 新曲「三文芝居」に込めたメッセージは? 謎に包まれたGeTOの本質に迫る。
取材・文 / ナカニシキュウ
好奇心旺盛な子だった
──小さい頃はどんなお子さんでしたか?
けっこう好奇心旺盛な子だったと両親からは聞いています。中でも物作りに興味があったみたいで、レゴを組み立てたり、絵を描いたり、歌ったり、外で遊ぶよりは家の中ではしゃいでいるタイプでした。
──すでに歌うこともお好きだったんですね。音楽にまつわる一番古い記憶はどういうものですか?
父親の好きなTUBEさんのライブ映像を一緒に観ることが多かったので、3歳くらいから前田亘輝さんのマネをしてテレビの前でよく歌っていました。歌ってると親が「うまいうまい、もっと歌いなよ!」っておだててくるんですよ(笑)。だから僕も調子に乗ってトイレの中でも車の中でも、ところ構わずずっと歌ってましたね。
──TUBEが音楽の原体験なんですね。
そうですね。父親がTUBEさんや杉山清貴さん、中森明菜さんの曲が好きで、車の中でもよく流してたんです。母親と姉はGReeeeN(現:GRe4N BOYZ)さんが好きで、それもよくかかってましたね。幼少期の音楽体験は主に車の中でした。
──自発的に音楽を聴くようになるタイミングは?
幼少期に、父親に頼んでORANGE RANGEさんの「花」をダウンロードしてもらった記憶があります。覚えている限りではそれが最初ですね。「花」ってORANGE RANGEさんの中でも異質な曲だと思うんですけど、あのメロウな感じとか、はかなさのある歌詞とか、そういうところが幼いながらに気に入ったのかなと。
──音楽以外ではどんなカルチャーに惹かれていました?
音楽以外だと、マンガが好きでした。「ONE PIECE」が特に好きで、王道のジャンプ系を読むことが多かったです。自分でマンガを描けるようになりたかった時期もあって、Gペンとか丸ペンとかの道具を買ってきて描いてみたりとかもしてましたね。形から入ってマネするのが好きだったんですよ。
ボカロはめちゃくちゃ通ってます
──その後、「このアーティストに出会って人生が変わった」みたいなターニングポイントはありましたか?
バンドの音楽を好きになったことが大きかったと思います。きっかけはMrs. GREEN APPLEさんで、「この人たち誰だろう?」と気になってYouTubeを観始めたら、オススメにTHE ORAL CIGARETTESさんとか、どんどんロックバンドが出てきて。それまで僕はテレビから流れてくる大衆的な音楽しか知らなかったので、けっこうな衝撃を受けました。ギターを本格的に弾き始めたのもだいたいそのくらいの時期です。
──「本格的に」というのは?
最初に「ギターやりたい」と言って買ってもらったのは幼少期のときだったんですけど、コードとかも何もわからないからすぐに弾かなくなっちゃって(笑)。それからしばらく経って「どうやらギターは曲作りと密接な関係にあるらしいぞ」ということに気付いて、改めてしっかり練習し始めました。
──例えばどんな曲を弾いていました?
曲をちゃんと弾くってことはあんまりなくて、作曲するためにコードを覚えたり、聴いた曲の音を取ったりする用途がメインだったんですよね。ギターヒーロー的な存在としてTUBEの春畑道哉さんに憧れてはいたんですけど、春畑さんのように弾けることを目指すわけでもなく(笑)。
──どちらかというとギターは音楽の構造を理解するためのツール、作曲のための手段という意識が強かったんですね。
そうですね。音楽を要素ごとに分解して聴く、みたいなことには小さい頃からけっこう興味があって。例えばGReeeeNさんのハモリパートを耳で追って自分でも歌えるようにしたりとか、「どうやらベースというものが鳴っているらしいぞ」とか「この音はバイオリンだ」とかの解析……解析というほどのことでもないですけど、そういうのは昔からずっとやっていました。
──GeTOさんの作る音楽からはボーカロイドに代表されるネットミュージックの匂いも強く感じるんですけど、そこはあまり通っていないんですか?
めちゃくちゃ通ってますね!
──あ、めちゃくちゃ通ってるんですね(笑)。
先にバンド系の遍歴を話し始めちゃったんで、触れるタイミングを逃してたんですけど(笑)。ミセスさんからの流れでロックバンドにハマったのと同時期にYouTubeでボカロ曲を見つけて、「なんだこれは!」とびっくりしたんです。それまで聴いたことのなかったEDM調などの音にも驚いたし、曲の展開も奇想天外だし、そもそも人間が歌ってないし……そういうところが「面白い!」と思って、ボカロをいっぱいディグるようになりました。もともとハチさんの「マトリョシカ」とかは幼少期の頃から知ってはいたんですけど、当時はそんなにピンと来ていなかったんですよ。それが年齢を重ねてから“再会”したらもう、衝撃が走りましたね。
──そこから「ボカロPになろう」という発想にはつながらなかった?
「ボーカロイドをわざわざやらなくても、自分が歌えばいいじゃん」と思っていたので(笑)。実際に歌ものを作るようになるのはもっとずっとあとになってからなんですけど、どちらかというと歌い手の文化のほうに興味が向いてましたね。人間の歌い手があえてボカロ曲を歌う、みたいなのが面白いと思っていました。
聴いたことのないものを作ってやろう
──作曲はいつ頃から始めたんですか?
ちゃんと歌詞のある歌ものを作り始めたのは本当に最近なんですけど、DTM自体は幼少期のときから始めていて。マンガを描いていた延長線上で「音楽制作をやってみたい」と父親に言ったら、どこからか「DTMというものがあるらしい」という知識を仕入れてきて、Dominoっていうフリーのシーケンスソフトをパソコンに入れてくれたんです。それを使って「かえるのうた」とかのメロディをピアノロールでチクチク打ち込んで、そこにビートを足してみたりとか、そういう遊びをしていました。
──そこから本格的に作曲を始めるのには何かきっかけが?
コロナ禍でずっと家にいてめちゃくちゃ暇だったときと、SNSを通じて頭角を現すクリエイターがいろいろ出てきてた時期がちょうど重なってたんです。その頃にimaseさん、なとりさんがどんどん大きくなっていくのを見て、「これ、僕にもできるかもしれない」と思ったのがきっかけでしたね。
──歌えるし、曲も作れるし、ギターも弾けるし、暇だしみたいな。
そうですね。バンドを組んでみようとしたこともあったんですけど、結局コロナ禍でろくに集まることもできないまま空中分解して。しかもバンドだと「そんなに本気で音楽やる必要ないじゃん」って人もいたりするんで、メンバーと足並みをそろえる難しさも感じて「別に曲はパソコンでも作れるし、1人でやったほうがいいや」というふうに思ったのもありました。
──作り始めてすぐに「俺の曲、イケる!」と思えました?
それはあんまり思ったことなくて……もちろん作ってるときはノリノリで「うおー、すげえのできた!」と思うんですけど、ひと晩経って聴き返したらあんまりいい曲だと思えなかったり、SNSに上げても反応がなかったりして。
──そういうものですか。
それでも辞めずに続けてこれたのはなぜかと考えたら、「ESCAPE」という曲を出したときに「いいね」と言ってくれる人がいて、聴いてくれる人がいることのうれしさを知ったからなのかなと。フル尺で作って発表した曲はそれが人生で初めてだったんですけど。
──ご自身では、「ESCAPE」がウケた理由はなんだったと思いますか?
それが、正直わかんなくて。勢いやキャッチーさを楽しんでもらえたのかなとは思うんですけど、この曲だけが特別そうかと言われると、僕としてはほかの曲と別に変わらないかなとも思っていて。
──要因はよくわからないにせよ、自分の作った曲がものによってはウケる場合もあるということが、そこでわかったと。
そうですね。チャレンジしてみる余地はあると思えました。
──ソングライターとして尊敬する人や、お手本にしている人などはいますか?
お手本にできているかはわからないですけど、久石譲さんのコード進行はかなり参考にしています。すごく奇想天外な進行をするんですけど、トータルで見るとものすごく理にかなった美しさがあるんですよ。特に転調がすごくて、ほかで聴いたことがないくらい転調しまくるのに無理がなくて自然なんですよね。なので、曲を作っていて「ここで転調させたいな」と思ったときは久石さんの曲を聴き返して「こうすると自然に聞こえるのか」と解析しながら取り入れたりしています。
──ということは、楽典を勉強したりもしているんですか?
いえ、まったく(笑)。中途半端に理論を学ぶと頭でっかちになりそうで、作る音楽がつまらなくなってしまうのも怖くて、意識的に避けています。勉強したい気持ちはあるんですけど、今はもっと感覚的に「パッと聴いて美しい」みたいなところを大事にしていたいので、やるとしても追い追いですかね。
──曲作りにおけるマイルールみたいなものはありますか? 「こうすることにしている」でも「これはやらないようにしている」でもいいんですけど。
そうですね……「聴いたことのないものを作ってやろう」という意識はずっとあります。自分で本格的に曲を作り始めたときのモチベーションの1つに「もう歌いたい曲がなくなっちゃった」という感覚もあったんですよ。めっちゃ傲慢な言い方ですけど(笑)、「ないなら作ればいい」っていうところから僕の音楽活動は始まっているんです。