1992年バルセロナオリンピック
1992年バルセロナオリンピック | |
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第25回オリンピック競技大会 Jeux de la XXVe olympiade Games of the XXV Olympiad Juegos de la XXV Olimpiada Jocs de la XXV Olimpíada | |
聖火台(1992年当時) | |
開催国・都市 | スペイン バルセロナ |
参加国・地域数 | 169 |
参加人数 | 9,356人(男子6,652人、女子2,704人) |
競技種目数 | 25競技257種目 |
開会式 | 1992年7月25日 |
閉会式 | 1992年8月9日 |
開会宣言 | フアン・カルロス1世国王 |
選手宣誓 | ルイ・ドレステ・ブランコ |
審判宣誓 | オーゲニ・アセンシオ |
最終聖火ランナー | アントニオ・レボジョ |
主競技場 | エスタディ・オリンピコ |
夏季 | |
冬季 | |
Portal:オリンピック |
1992年バルセロナオリンピック(1992ねんバルセロナオリンピック)は、1992年7月25日から8月9日までの16日間、スペインのカタルーニャ自治州バルセロナで開催されたオリンピック競技大会。バルセロナ1992(Barcelona 1992)と呼称される。
概要
[編集]国際オリンピック委員会 (IOC) 会長 のフアン・アントニオ・サマランチの出身地であるスペインカタルーニャ自治州バルセロナでのオリンピック開催実現に向けて、1986年のIOC総会で開催が決まった。冷戦終結後初の夏季オリンピックとなった。
これはかつて1936年の開催予定地にバルセロナが一度立候補しながらもベルリンに敗れ、その後にスペインが1936年ベルリンオリンピックをボイコットする一方で、ベルリンオリンピックに対抗する形で同時期に人民オリンピックが計画されながらもスペイン内戦の前にそれさえも挫かれた経緯を踏まえての開催であり、当時のスタジアムをそのまま用いて開催された。なお「人民オリンピック」は、ナチス政権下のドイツで準備が進められていた1936年ベルリンオリンピックを「人種差別に満ち、五輪の理念に不適」として、バルセロナが対抗してドイツからの亡命者を含む22カ国・6000人の参加が予定されていたスポーツ大会だったが、開催が目前に迫った1936年7月にスペイン内乱が勃発したために開催されることはなかった。
バルセロナ市内のオリンピック体育館を磯崎新が設計したほか、開会式では坂本龍一がマスゲームの音楽を作曲、指揮をするなど、日本人が競技以外でも活躍した大会となった。
また、このバルセロナオリンピックよりプロ選手の出場が拡大し、競技のレベルが劇的に上がった[1]。
大会開催までの経緯
[編集]バルセロナオリンピックの開催は1986年10月17日にスイスのローザンヌで開かれた第91回国際オリンピック委員会総会で決定された。
都市 | 国 | 1回目 | 2回目 | 3回目 |
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バルセロナ | スペイン | 29 | 37 | 47 |
パリ | フランス | 19 | 20 | 23 |
ブリスベン | オーストラリア | 11 | 9 | 10 |
ベオグラード | ユーゴスラビア | 13 | 11 | 5 |
バーミンガム | イギリス | 8 | 8 | - |
アムステルダム | オランダ | 5 | - | - |
大会マスコット
[編集]大会マスコットは「コビー」。ピレネー犬をモチーフにデザインされた。作者はバレンシア出身のハビエル・マリスカル。作者によると「空想の動物」。テレビアニメ『コビーの冒険』も製作され、日本のNHKテレビでも放送されている。
公用語
[編集]開催にあたり大会の公用語として、カタルーニャ州の公用語であるカタルーニャ語がスペイン語と並んで採用された[注釈 1]。開会式・閉会式の入場順はフランス語が用いられている。
式典
[編集]文化的特徴に富み、美術、芸術面で著名な人物を輩出し続けるスペインらしく、開会式、閉会式ともに音楽監督でカタルーニャ生まれで世界的に人気の高いテノール歌手のホセ・カレーラスや、モンセラート・カバリェをはじめとする多くのスペイン人歌手の他にも多くのアーティストが参画し、近年でもまれに見る芸術性の高い開会式、閉会式であると絶賛された。
開会式
[編集]- フアン・カルロス1世によって開会が宣言された。
- 「三大テノール」の1人として世界的に著名なホセ・カレーラスが音楽監督を務めた。このこともあってか、数多くのオペラ歌手が出演した。プラシド・ドミンゴ、アグネス・バルツァ、モンセラート・カバリェ、テレサ・ベルガンサ・アルフレード・クラウス、ファン・ポンス・ジャコモ・アラガルの7人が開会式のフィナーレを飾った。
- モンセラート・カバリェと「バルセロナ」をデュエットしていたクイーンのフレディ・マーキュリーが登場する予定だったが、前年エイズで死去したため、開会式で歌われることはなかった[2]。また公式CDアルバムではマーキュリーと、マーキュリーが敬愛するカバリェがデュエットした「バルセロナ」が、急遽ボーナストラックとして追加された。
- ソプラノ歌手ジェシー・ノーマンが「アメイジング・グレイス」を歌った。
- 後半では坂本龍一が地中海の神話をモチーフにしたマスゲームの音楽「El Mar Mediterrani」を作曲、指揮した。
- 聖火台への聖火の点火には弓矢が用いられた。担当したのはパラリンピックのアーチェリー選手のアントニオ・レボージョであった。この演出については五輪史上最も劇的で美しいとの呼び声高い演出だった[3]。
- キューバの首相でありスペイン出身のフィデル・カストロ、フランスの大統領であるフランソワ・ミッテラン、日本の皇太子である徳仁らが列席した[4]。
- 旧ソ連統一チーム (EUN) の入場ではチーム名の "Équipe Unifiée", "Unified Team" が記載されたプレートと五輪旗のみならず構成国の国名プレートと国旗も先導した。チーム名と構成国の国名の場内アナウンスもされた[4]。
閉会式
[編集]- ホセ・カレーラスとイギリス人歌手のサラ・ブライトマンがテーマ曲「AMIGOS PARA SIEMPRE」を歌い、大きな盛り上がりを見せた。
- プラシド・ドミンゴがオリンピック旗降下の際、オリンピック賛歌を歌い、絶賛された。
- クリスティーナ・オヨスが「恋は魔術師」第8曲:火祭りの踊りを踊った。
- 当地出身のソプラノ歌手ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスがカタルーニャ語で感動的な「鳥の歌」を歌い、曲が終わるところで聖火が静かに消えた。
ハイライト
[編集]- 柔道男子78 kg級で、後に総合格闘家としても活躍する日本の吉田秀彦が金メダルを獲得した。吉田は大会直前に同71 kg級の古賀稔彦と練習(乱取り)を行ったが、その最中に古賀が左膝を負傷するという事故が発生した。しかし古賀はその負傷をおして出場し、吉田とともに金メダルを獲得している。
- この大会から柔道女子が正式種目となり、当時高校生であった田村亮子などが出場し、7階級で銀3個、銅2個を獲得したが、金メダルを獲得することはできなかった。
- 男子陸上400mで、日本の高野進が決勝進出し、8位に入賞した。日本のオリンピック短距離選手として1932年ロサンゼルス五輪の吉岡隆徳以来となる60年ぶりのファイナリストであった。
- 当時中学2年生で14歳になったばかりの岩崎恭子が、200 m平泳ぎで当時のオリンピックレコードを塗りかえ、金メダルを獲得した。
- 男子陸上マラソンでは、森下広一が1968年メキシコシティーオリンピックの君原健二以来24年ぶりの銀メダルを獲得した。
- 女子陸上では、マラソンの有森裕子が1928年アムステルダムオリンピックの800 mの人見絹枝以来64年ぶりの銀メダルを獲得した。
- 男子バスケットボールでは、アメリカがNBAプレイヤーで固めた「ドリームチーム」を結成し、他チームを圧倒して金メダルを獲得した。
- この大会から野球が初の正式競技となり、アマチュア大会で無敗記録を続けていたキューバが金メダルを獲得した。またバルセロナオリンピック野球日本代表は予選リーグでキューバ、台湾に完敗し5勝2敗の2位で予選を通過。準決勝では台湾と再戦したが、郭李建夫の好投を許し敗戦。3位決定戦では3大会連続でアメリカと対戦し、8-3で勝利。3大会連続のメダルを確保し、背番号18を背負った伊藤智仁が1大会27奪三振のギネス世界記録。
- この大会からサッカーに年齢制限が導入された(前年の12月31日時点で23歳未満)。オーバーエイジ枠は無かった(導入は次大会から)。
- この大会からボクシングが、国家代表のみならず大陸代表でなければ出場不可能となった。ライト級2回戦で日本及びアジア代表の法大4年土橋茂之がフランス及びヨーロッパ代表のジュリアン・ロルシーに2RRSC負け。
- この大会からアパルトヘイトの緩和を受け、南アフリカの参加が承認された。1960年のローマオリンピック以来、32年ぶり(8大会ぶり)の参加となった。
競技会場
[編集]- アネラ・オリンピカ
- エスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス(エスタディ・デ・モンジュイック)(開・閉会式、陸上競技)
- パラウ・サン・ジョルディ(バスケットボール、ハンドボール、バレーボール)
- Piscines Bernat Picornell(競泳、水球)
- ピシーナ・ムニシパル・デ・モンジュイック(飛込、水球)
- カタルーニャ国立体育研究所(レスリング)
- マタロ(マラソンスタート)
- バルセロナ・スポーツパレス(新体操、バレーボール)
- パラウ・デ・ラ・メタル=イルギア(フェンシング)
- スペイン工業団地体育館(ウエイトリフティング)
- ディアゴナル大通り
- カンプ・ノウ(サッカー決勝)
- パラウ・ブラウグラナ(柔道、ローラーホッケー決勝、テコンドー)
- レアル・クラブ・デ・ポロ・デ・バルセロナ(馬術)
- エスタディ・デ・サリア(サッカー)
- ヴァル・デ・ヘブロン地区
- アーチェリー場
- Pavelló de la Vall d'Hebron(バスク・ペロタ、バレーボール)
- Tennis de la Vall d'Hebron(テニス)
- Velòdrom d'Horta(自転車競技)
- パルク・デ・マル地区
- 旧バルセロナ北駅(卓球)
- オリンピックハーバー(ヨット)
- Pavelló de la Mar Bella(バドミントン)
- その他
- バニョーレス湖(ボート)
- エスタディ・オリンピック・デ・タラサ(ホッケー)
- エスタディ・デ・ラ・ノバ・クレウ・アルタ(サッカー)
- エスタディオ・デ・メスタージャ(サッカー)
- エスタディオ・デ・ラ・ロマレーダ(サッカー)
- ビラダカンス市営野球場(野球)
- モンターニャ乗馬クラブ(馬術)
実施競技
[編集]各国・地域の獲得メダル数
[編集]順 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
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1 | EUN | 45 | 38 | 29 | 112 |
2 | アメリカ合衆国 | 37 | 34 | 37 | 108 |
3 | ドイツ | 33 | 21 | 28 | 82 |
4 | 中国 | 16 | 22 | 16 | 54 |
5 | キューバ | 14 | 6 | 11 | 31 |
6 | スペイン(開催国) | 13 | 7 | 2 | 22 |
7 | 韓国 | 12 | 5 | 12 | 29 |
8 | ハンガリー | 11 | 12 | 7 | 30 |
9 | フランス | 8 | 5 | 16 | 29 |
10 | オーストラリア | 7 | 9 | 11 | 27 |
主なメダリスト
[編集]- 金メダル
- 岩崎恭子(日本、競泳女子200m平泳ぎ)
- 古賀稔彦(日本、柔道男子71kg以下級)
- 吉田秀彦(日本、柔道男子78kg以下級)
- リンフォード・クリスティ(イギリス、陸上競技男子100m)
- 黄永祚(韓国、陸上競技男子マラソン)
- アメリカ(陸上競技男子4×100mリレー)
- アメリカ(陸上競技男子4×400mリレー)
- カール・ルイス(アメリカ、陸上競技男子走幅跳)
- ヤン・ゼレズニー(チェコスロバキア、陸上競技男子やり投)
- マーク・マッコイ(カナダ、110mハードル)
- マリー・ジョゼ・ペレク(フランス、陸上競技女子400m)
- ワレンティナ・エゴロワ(EUN ロシア、陸上競技女子マラソン)
- ジャッキー・ジョイナー・カーシー(アメリカ、陸上競技女子七種競技)
- アレクサンドル・ポポフ(EUN ロシア、競泳男子50m自由形)
- アレクサンドル・ポポフ(EUN ロシア、競泳男子100m自由形)
- タマス・ダルニュイ(ハンガリー、競泳男子200m個人メドレー)
- タマス・ダルニュイ(ハンガリー、競泳男子400m個人メドレー)
- アメリカ(競泳男子4×100mリレー)
- アメリカ(競泳男子4×100mメドレーリレー)
- ジャネット・エバンス(アメリカ、競泳女子800m自由形)
- クリスティーナ・エゲルセギ(ハンガリー、競泳女子100m背泳ぎ)
- クリスティーナ・エゲルセギ(ハンガリー、競泳女子200m背泳ぎ)
- クリスティーナ・エゲルセギ(ハンガリー、競泳女子400m個人メドレー)
- 伏明霞(中華人民共和国、飛び込み女子10m高飛び込み)
- マシュー・ピンセント、スティーブン・レッドグレーブ(イギリス、ボート競技男子かじなしペア)
- ブラジル(バレーボール男子)
- キューバ(バレーボール女子)
- ビタリー・シェルボ(EUN ベラルーシ、体操男子個人総合)
- ビタリー・シェルボ(EUN ベラルーシ、体操男子種目別平行棒)
- ビタリー・シェルボ(EUN ベラルーシ、体操男子種目別あん馬)
- ビタリー・シェルボ(EUN ベラルーシ、体操男子種目別つり輪)
- ビタリー・シェルボ(EUN ベラルーシ、体操男子種目別跳馬)
- EUN(体操男子団体)
- アメリカ(バスケットボール男子) - ドリームチーム
- アレクサンドル・カレリン(EUN ロシア、レスリンググレコローマンスタイル男子130kg級)
- ケビン・ジャクソン(アメリカ、レスリングフリースタイル男子82kg級)
- ナイム・スレイマノグル(トルコ、ウエイトリフティング男子60kg級)
- ピロス・ディマス(ギリシャ、ウエイトリフティング男子82.5kg級)
- アレクサンドル・クルロビッチ(EUN ロシア、ウエイトリフティング男子110kg超級)
- トウ亞萍(中華人民共和国、卓球女子シングルス)
- トウ亞萍、喬紅(中華人民共和国、卓球女子ダブルス)
- 張山(中華人民共和国、クレー射撃スキート)
- ダビド・ハハレイシビリ(EUN グルジア、柔道95kg超級)
- ビルギット・フィッシャー(ドイツ、カヌー女子カヤックシングル500m)
- 韓国(アーチェリー女子FITAオリンピックラウンド70m団体)
- スシ・スサンティ(インドネシア、バドミントン女子シングルス)
- キューバ(野球男子) - オリンピック野球キューバ代表
- オスカー・デ・ラ・ホーヤ(アメリカ、ボクシングライト級)
- ホエール・カサマヨール(キューバ、ボクシングバンタム級)
- 銀メダル
- 渡辺和三(日本、クレー射撃トラップ)
- 小川直也(日本、柔道男子95kg超級)
- 田村亮子(日本、柔道女子48kg以下級)
- 溝口紀子(日本、柔道女子52kg以下級)
- 田辺陽子(日本、柔道女子72kg以下級)
- 池谷幸雄(日本、体操男子床運動)
- 森下広一(日本、陸上男子マラソン)
- 有森裕子(日本、陸上女子マラソン)
- マイク・パウエル(アメリカ、陸上競技男子走幅跳)
- マット・ビオンディ(アメリカ、競泳男子50m自由形)
- EUN(競泳男子4×100mリレー)
- EUN(競泳男子4×100mメドレーリレー)
- フランツィスカ・ファン・アルムシック(ドイツ、競泳女子200m自由形)
- ジャネット・エバンス(アメリカ、競泳女子400m自由形)
- ドイツ(競泳女子4×100mメドレーリレー)
- シュテフィ・グラフ(ドイツ、テニス女子シングルス)
- オランダ(バレーボール男子)
- スウェーデン(ハンドボール男子)
- ドイツ(カヌー女子カヤックフォア500m)
- 金水寧(韓国、アーチェリー女子FITAオリンピックラウンド70m個人)
- チャイニーズタイペイ(野球男子) - オリンピック野球チャイニーズタイペイ代表
- 銅メダル
- 赤石光生(日本、レスリングフリースタイル68kg級)
- 木場良平(日本、ライフル射撃男子50mフリーライフル)
- 越野忠則(日本、柔道男子60kg以下級)
- 岡田弘隆(日本、柔道男子86kg以下級)
- 松永政行(日本、体操男子平行棒)
- 立野千代里(日本、柔道女子56kg以下級)
- 坂上洋子(日本、柔道女子72kg超級)
- 奥野史子(日本、シンクロナイズドスイミングソロ)
- 奥野史子・高山亜樹(日本、シンクロナイズドスイミングデュエット)
- 相原豊・池谷幸雄・知念孝・西川大輔・畠田好章・松永政行(日本、体操男子団体総合)
- 伊藤智仁・大島公一・川畑伸一郎・小久保裕紀・小島啓民・小桧山雅仁・坂口裕之・佐藤真一・佐藤康弘・杉浦正則・杉山賢人・高見泰範・十河章浩・徳永耕治・中本浩・西正文・西山一宇・三輪隆・若林重喜・渡部勝美 - オリンピック野球日本代表
- イゴール・ニクリン(EUN ロシア、陸上競技男子ハンマー投)
- ジャッキー・ジョイナー・カーシー(アメリカ、陸上競技女子走り幅跳び)
- フランツィスカ・ファン・アルムシック(ドイツ、競泳女子100m自由形)
- ドイツ(競泳女子4×100mリレー)
- ドミトリー・サウティン(EUN ロシア、飛び込み男子板飛び込み)
- ダビド・ドゥイエ(フランス、柔道男子95kg超級)
- 吉永雅、沈恩婷(韓国、バドミントン女子ダブルス)
- アメリカ(バレーボール男子)
備考
[編集]- 最もメダルを獲得した国・地域EUNは旧ソ連の統一チームである。柔道の小川直也を破って金メダルを獲得したダビド・ハハレイシビリなどを擁するジョージア(グルジア)は当時、まだ独立国家共同体に加盟していなかったため[要出典]、地域名は EUN と表記された(詳細はオリンピックのEUN選手団を参照)。
- 南アフリカのアパルトヘイトに対する批判から、1960年ローマオリンピックを最後に南アフリカ代表は長らくオリンピックから追放されていたが、1991年にアパルトヘイト廃止を表明したことから今大会にて32年ぶりに復帰している。
- 2010年1月13日にバルセロナのエレウ市長が2022年冬季オリンピック開催地に立候補する意向を示したが、準備不足を理由に見送り、2026年の開催を目指していた。しかし、2015年6月にヘラルド・ピサレジョ副市長が立候補取り下げを表明した。同時期に活発化したカタルーニャ独立運動が関連している。その後も冬季オリンピックを招致するビジョンは存在するが、具体的な計画などは不明確である。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ このため、スペイン語・カタルーニャ語・フランス語・英語の4カ国語で場内アナウンスが行われた。
出典
[編集]- ^ “リオ、日本最多メダル 五輪「国策」で躍進 予算最高324億円/「ゴールドプラン」”. 毎日新聞. (2016年8月22日)
- ^ “La ceremonia de inauguración”. El Mundo Deportivo (newspaper)(newspaper library) (1992年7月20日). 2017年12月26日閲覧。
- ^ “(4)1992年バルセロナ大会 火の矢 心つなぐ懸け橋 : 聖火は燃える アテネへの道 : アテネ五輪”. Yomiuri On-Line (読売新聞) (2004年1月28日). 2010年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月12日閲覧。
- ^ a b c Barcelona 1992 Opening Ceremony - Full Length - Barcelona 1992 Replays (YouTube). スイス: IOC Olympicチャンネル. 5 May 2020. 2020年5月5日閲覧。
- ^ “東京オリンピック2020|野球|競技紹介”. 朝日新聞デジタル. 2020年12月31日閲覧。