コンテンツにスキップ

「通州」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Challemoni (会話 | 投稿記録)
m 隋朝: 改名対応
編集の要約なし
 
(2人の利用者による、間の9版が非表示)
1行目: 1行目:
{{otheruses|中国四川省歴史的地名|金代からの地名で現在の北京市の市轄区|通州区 (北京市)|南通市の市轄区|通州区 (南通市)}}
{{otheruses|現在の四川省達州市に相当する歴史的地名である通州|金代からの地名で現在の北京市の市轄区である通州|通州区 (北京市)|南通市の市轄区である通州|通州区 (南通市)}}
{{混同|通州 (江蘇省)}}
'''通州'''(つうしゅう)は、[[中国]]にかつて存在した[[州]]。[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]から[[北宋]]初年にかけて、現在の[[四川省]][[達州市]]一帯に設置された。


== 魏晋南北朝時代 ==
'''通州'''(つうしゅう)は[[中国]]にかつて存在した[[州]]。
[[536年]]([[大同 (梁)|大同]]2年)、[[梁 (南朝)|南朝梁]]により[[達川区|石城県]]に設置された'''万州'''を前身とする。万州は開巴・新寧・寧巴・寿陽・巴中の5郡を管轄した


[[553年]]([[廃帝 (西魏)|廃帝]]2年)、[[西魏]]により万州は'''通州'''と改称された。[[576年]]([[建徳 (北周)|建徳]]5年)、[[北周]]より東関三岡の2郡が移管され、通州は7郡を管轄した。
==南北朝時代==
[[536年]]([[大同 (梁)|大同]]2年)、[[梁 (南朝)|梁]]により開巴、新寧、寧巴、寿陽、巴中の5郡に設置された'''万州'''を前身とする。
[[552年]]([[廃帝 (西魏)|廃帝]]2年)、[[西魏]]により'''通州'''と改称された。[[576年]]([[建徳 (北周)|建徳]]5年)に東関三岡の2郡が移管され7郡を管轄した。


== 隋 ==
== 隋 ==
[[隋|隋朝]]が成立すると当初は'''通州'''が設置され下部に9郡9県を管轄していた。[[584年]]([[開皇]]4年)に[[并州]]を、更に[[605年]]([[大業]]元年)には[[開州]]を統合し12郡、12県を管轄した。[[607年]](大業3年)に郡制に改められ'''通川郡'''と改、7県を管轄するようになった。隋の行政区分に関しては下を参照。
[[隋]]初通州9郡9県を管轄した。[[583年]]([[開皇]]3年)、隋が郡制廃すると通州の属郡は廃止された。[[605年]]([[大業]]元年)には[[開州 (重慶市)|開州]]を統合し、12県を管轄した。[[607年]](大業3年)に州が廃止されてが置かると、通州は'''通川郡'''と改称され下部に7県を管轄<ref>『[[隋書]]』地理志上</ref>。隋の行政区分に関しては下を参照。


{| align=center class="wikitable" style="width:600px; text-align:center"
{| align=center class="wikitable" style="width:600px; text-align:center"
|-
|-
!colspan="15" style="background:#ccccff"|'''隋の行政区画変遷'''
!colspan="15" style="background:#ccccff"|'''隋の行政区画変遷'''
|- align="center"
|- align="center"
!区分!!colspan="12"|開皇元年!!区分!!大業3年
!区分!!colspan="12"|開皇元年!!区分!!大業3年
|-
|-
|州||colspan="9"|'''通州'''||'''[[并州]]'''||colspan="2"|'''[[開州]]'''||郡||'''通川郡'''
|州||colspan="9"|'''通州'''||colspan="3"|'''開州'''||郡||'''通川郡'''
|-
|-
|郡||[[開巴郡|開巴]]||[[新寧郡|新寧]]||[[東関郡|東関]]||[[寧巴郡|寧巴]]||[[寿陽郡|寿陽]]||[[巴中郡|巴中]]||[[三岡郡|三岡]]||[[臨清郡|臨清]]||[[三巴郡|三巴]]||[[永昌郡|永昌]]||[[周安郡|周安]]||[[万世郡|万世]]||rowspan="2"|県||rowspan="2"|[[|通川]] [[三岡県|三岡]]<br />[[石鼓県|石鼓]] [[東郷区|東郷]]<br />[[宣漢県|宣漢]] [[西流県|西流]]<br />[[万世県|万世]]
|郡||[[開巴郡|開巴]]||[[新寧郡 (四川省)|新寧]]||[[東関郡|東関]]||[[寧巴郡|寧巴]]||[[寿陽郡|寿陽]]||[[巴中郡|巴中]]||[[三岡郡|三岡]]||[[臨清郡|臨清]]||[[三巴郡|三巴]]||[[永昌郡|永昌]]||[[周安郡|周安]]||[[万世郡|万世]]||rowspan="2"|県||rowspan="2"|[[|通川]] [[三岡県|三岡]]<br />[[宣漢県|石鼓]] [[宣漢県|東郷]]<br />[[宣漢県|宣漢]] [[宣漢県|西流]]<br />[[開州区|万世]]
|-
|-
|県||[[石城県|石城]]||[[三岡県|三岡]]||[[蛇竜県|蛇竜]]<br />[[新寧県|新寧]]||-||-||-||-||[[石鼓県|石鼓]]<br />[[臨清県|臨清]]||[[東郷区|東郷]]<br />[[下蒲県|下蒲]]<br />[[巴渠県|巴渠]]||[[宣漢県|宣漢]]||[[西流県|西流]]||[[万世県|万世]]
|県||[[達川区|石城]]||[[三岡県|三岡]]||[[開江県|蛇竜]]<br />[[開江県|新寧]]||-||-||-||-||[[宣漢県|石鼓]]<br />[[宣漢県|臨清]]||[[宣漢県|東郷]]<br />[[宣漢県|下蒲]]<br />[[宣漢県|巴渠]]||[[宣漢県|宣漢]]||[[宣漢県|西流]]||[[開州区|万世]]
|}
|}


== 関連項目 ==
== 唐代 ==
[[618年]]([[武徳]]元年)、[[唐]]により通川郡は通州と改められた。[[742年]]([[天宝 (唐)|天宝]]元年)、通州は通川郡と改称された。[[758年]]([[乾元 (唐)|乾元]]元年)、通川郡は通州の称にもどされた。通州は[[山南西道]]に属し、通川・[[達川区|永穆]]・三岡・新寧・石鼓・東郷・宣漢・巴渠の8県を管轄した<ref>『[[旧唐書]]』地理志二</ref>。
*[[并州]]

*[[開州]]
== 宋代 ==
[[965年]]([[乾徳 (宋)|乾徳]]3年)、[[北宋]]が[[後蜀 (十国)|後蜀]]を滅ぼすと、通州は'''達州'''と改称された。達州は[[夔州路]]に属し、通川・[[達川区|永睦]]・新寧・東郷・巴渠・[[万源市|通明]]の6県を管轄した<ref>『[[宋史]]』地理志五</ref>。

== 元代 ==
[[元 (王朝)|元]]のとき、達州は夔州路に属し、通川・新寧の2県を管轄した<ref>『[[元史]]』地理志三</ref>。

== 明代以降 ==
[[1376年]]([[洪武]]9年)、[[明]]により達州は廃止され、[[達川区|達県]]と改められた。[[1514年]]([[正徳 (明)|正徳]]9年)、達県は達州に昇格した。達州は[[夔州府]]に属し、東郷・[[万源市|太平]]の2県を管轄した<ref>『[[明史]]』地理志四</ref>。

[[1728年]]([[雍正]]6年)、[[清]]により達州は直隷州に昇格した。[[1802年]]([[嘉慶 (清)|嘉慶]]7年)、達州直隷州は'''綏定府'''に昇格した。綏定府は四川省に属し、達・新寧・東郷・太平・[[渠県|渠]]・[[大竹県|大竹]]・[[城口県|城口庁]]の1庁6県を管轄した<ref>『[[清史稿]]』地理志十六</ref>。

[[1913年]]、[[中華民国]]により綏定府は廃止された。

== 脚注 ==
<references />


{{隋朝の行政区分}}
{{隋朝の行政区分}}
{{唐朝の行政区分}}


{{DEFAULTSORT:つう}}
{{DEFAULTSORT:つうしゆう}}
[[Category:かつて存在した中国の州]]
[[Category:かつて存在した中国の州]]
[[Category:隋朝の州]]
[[Category:隋朝の州]]
[[Category:四川省歴史|つうしゆう]]
[[Category:唐朝行政区分]]
[[Category:重慶の歴史|つうしゆう]]
[[Category:四川省の歴史]]
{{Chinese-history-stub}}

2021年9月1日 (水) 10:24時点における最新版

通州(つうしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から北宋初年にかけて、現在の四川省達州市一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

[編集]

536年大同2年)、南朝梁により石城県に設置された万州を前身とする。万州は開巴・新寧・寧巴・寿陽・巴中の5郡を管轄した。

553年廃帝2年)、西魏により万州は通州と改称された。576年建徳5年)、北周により東関・三岡の2郡が移管され、通州は7郡を管轄した。

隋代

[編集]

初には、通州は9郡9県を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、通州の属郡は廃止された。605年大業元年)には開州を統合し、12県を管轄した。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、通州は通川郡と改称され、下部に7県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
通州 開州 通川郡
開巴 新寧 東関 寧巴 寿陽 巴中 三岡 臨清 三巴 永昌 周安 万世 通川 三岡
石鼓 東郷
宣漢 西流
万世
石城 三岡 蛇竜
新寧
- - - - 石鼓
臨清
東郷
下蒲
巴渠
宣漢 西流 万世

唐代

[編集]

618年武徳元年)、により通川郡は通州と改められた。742年天宝元年)、通州は通川郡と改称された。758年乾元元年)、通川郡は通州の称にもどされた。通州は山南西道に属し、通川・永穆・三岡・新寧・石鼓・東郷・宣漢・巴渠の8県を管轄した[2]

宋代

[編集]

965年乾徳3年)、北宋後蜀を滅ぼすと、通州は達州と改称された。達州は夔州路に属し、通川・永睦・新寧・東郷・巴渠・通明の6県を管轄した[3]

元代

[編集]

のとき、達州は夔州路に属し、通川・新寧の2県を管轄した[4]

明代以降

[編集]

1376年洪武9年)、により達州は廃止され、達県と改められた。1514年正徳9年)、達県は達州に昇格した。達州は夔州府に属し、東郷・太平の2県を管轄した[5]

1728年雍正6年)、により達州は直隷州に昇格した。1802年嘉慶7年)、達州直隷州は綏定府に昇格した。綏定府は四川省に属し、達・新寧・東郷・太平・大竹城口庁の1庁6県を管轄した[6]

1913年中華民国により綏定府は廃止された。

脚注

[編集]
  1. ^ 隋書』地理志上
  2. ^ 旧唐書』地理志二
  3. ^ 宋史』地理志五
  4. ^ 元史』地理志三
  5. ^ 明史』地理志四
  6. ^ 清史稿』地理志十六