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[[ファイル:Kisokaido29 Shimosuwa.jpg|thumb|[[木曽海道六十九次]] 下諏訪宿([[歌川広重]]画)]] |
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'''下諏訪宿'''(しもすわしゅく) |
'''下諏訪宿'''(しもすわしゅく)は、[[中山道六十九次]]のうち[[江戸]]から数えて二十九番目、かつ[[甲州街道]]の終点にあたる[[宿場]]。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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[[ファイル:木曽街道六十九次之内・下諏訪 八重垣姫-Princess Yaegaki MET DP143143.jpg|thumb|諏訪法性兜と八重垣姫([[歌川国芳#木曽街道六十九次(歌川国芳)|木曽街道六十九次]]之<ref>[[渓斎英泉]]と[[歌川広重]]による「[[木曽海道六十九次]]」とは違う</ref>内・下諏訪宿 八重垣姫([[本朝廿四孝]])[[歌川国芳]]画)]] |
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現在の[[長野県]][[諏訪郡]][[下諏訪町]]の中心部にあたり、難所であった[[和田峠 (長野県)|和田峠]]の西の入口として、[[諏訪大社]]下社(しもしゃ)の[[門前町]]として栄えた。また、甲州街道の終点でもあり、45軒の[[旅籠]]があった。古くは[[鎌倉時代]]から温泉の利用が確認されており、中山道唯一の[[温泉]]のある宿場であり、当時の絵画などには温泉を利用する[[旅人]]たちが描かれている。 |
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旧称は'''下ノ諏訪'''。大規模に観光開発された[[上諏訪温泉]]と異なり、小規模な旅館街と入浴施設があるだけで、歓楽的な雰囲気はない。 |
現在の[[長野県]][[諏訪郡]][[下諏訪町]]の中心部にあたり、難所であった[[和田峠 (長野県)|和田峠]]の西の入口として、[[諏訪大社]]下社(しもしゃ)の[[門前町]]として栄えた。また、甲州街道の終点でもあり、45軒の[[旅籠]]があった。古くは[[鎌倉時代]]から温泉の利用が確認されており、中山道唯一の[[温泉]]のある宿場であり、当時の絵画などには温泉を利用する[[旅人]]たちが描かれている。旧称は'''下ノ諏訪'''。大規模に観光開発された[[上諏訪温泉]]と異なり、小規模な旅館街と入浴施設があるだけで、歓楽的な雰囲気はない。 |
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[[天保]]14年([[1843年]])の『中山道宿村大概帳』によれば、下諏訪宿の宿内家数は315軒、うち[[本陣]]1軒、[[脇本陣]]1軒、 |
[[天保]]14年([[1843年]])の『中山道宿村大概帳』によれば、下諏訪宿の宿内家数は315軒、うち[[本陣]]1軒、[[脇本陣]]1軒、旅籠40軒で宿内人口は1,345人であった。 |
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[[ファイル:Shimonosuwa (Tea House) and Fire Bell at Nakasendo (3110696654).jpg|thumb|250px|right|[[日下部金兵衛]]「中山道下諏訪の[[半鐘]]と宿場」(1800年代)]] |
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== 本陣岩波家 == |
== 本陣岩波家 == |
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[[ファイル:Shimosuwa-shuku honjin01st3200.jpg|thumb|本陣 岩波家]] |
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本陣は岩波家として現在も一部が一般公開されている。諏訪大社下社秋宮の境内を借景とし、広大な庭園を持つことが知られていたが、現在は宅地化が進み、一部のみを見ることができる。'''[[皇女]][[和宮親子内親王|和宮]]'''[[降嫁]]の際、また'''[[明治天皇]]'''が宿泊した際奥の座敷を見学できる<ref name="honjin">[https://shimosuwaonsen.jp/tourism/473/ 本陣 岩波家] おいでなして下諏訪</ref>。玄関には、大名家が宿泊している時に掲げる[[徳川御三家]]、[[井伊家]]などの関札や[[武田信玄]]の書状を展示している。脇本陣「桔梗屋」「まるや」は[[旅館]]として現在も営業している。 |
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== 史跡・見どころ == |
== 史跡・見どころ == |
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この節の出典 |
この節の出典<ref>参考文献、中山道下諏訪宿本陣岩波家・パンフレット、歩きたいわ下諏訪99分のまちあるきマップ、歴史のこみち・フリーペーパー2019年</ref> |
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下諏訪駅周辺1キロほど、徒歩10分くらいで行ける、歴史を感じられる観光スポット。 |
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*諏訪大社下社 |
** 諏訪大社下社秋宮 |
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** 根津八紘美術館 |
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※営業時間・9:00~17:00/休み・月曜日と休日の翌日 |
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** 本陣岩波家<ref name="honjin"/> |
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**おんばしらグランドパーク(御柱の[[モニュメント]]) |
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*** 時計工房儀象堂 - 時計の体験工房や歴史展示室、屋上に復元された天文観測時計塔「水運儀象台」がある |
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*[[根津八紘美術館]](諏訪マタニティークリニックの根津八紘院長の日本画の美術館。洋画家、黒田良夫文庫常設※定休日・火曜日展示室は二階)一階はジェラテリア六花・喫茶室六花 |
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** [[ニデックインスツルメンツ|ニデック]]オルゴール記念館「すわのね」 |
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** おんばしら館よいさ - 御柱のテーマパーク |
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有料観光施設 |
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*本陣岩波家、(28代当主・岩波太佐衛門尚宏〈[[SUWAガラスの里の美術館]]の代表取締役社長〉※営業時間・10:00~16:00/休み・不定休) |
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[[File:Honjin Iwanami house , 本陣 岩波家 - panoramio.jpg]] |
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**時計工房儀象堂(諏訪湖時の科学館儀象堂より改称) |
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***一階は時計作り体験工房、[[セイコーエプソン]](旧諏訪精工舎)OBの技師が一人ひとり丁寧に指導する。 |
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***二階は下諏訪の時計歴史展示室 |
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***屋外には水運儀象台(900年前の中国の水力式大型天文観測時計塔の復元) |
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***[[日本遺産]]「星降る中部高地の縄文世界」の構成文化財、[[国史跡]]「星ヶ塔黒曜石原産地遺跡」(二階・展示室、一階・黒曜石採掘抗ジオラマ、地下・シアター) |
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***屋外「[[下諏訪青塚古墳]](諏訪地方唯一の[[前方後円墳]])」二階の展示室のバルコニーからも石室が見える。 |
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*[[日本電産サンキョー]]オルゴール記念館「すわのね」(諏訪湖オルゴール博物館「奏鳴館」より改称。オリジナルオルゴール造り体験もできる。※営業時間・9:00~17:30) |
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*おんばしら館よいさ(※営業時間9:00~17:00、御柱のテーマパーク、映像や、アトラクションで御柱体験が出来る。) |
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== 最寄り駅 == |
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*JR中央本線 [[下諏訪駅]] |
* JR中央本線 [[下諏訪駅]] |
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== 隣の宿 == |
== 隣の宿 == |
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;中山道 |
; 中山道 |
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: [[和田宿]] - '''下諏訪宿''' - [[塩尻宿]]{{Refnest|group="注釈"|[[中山道]]が[[江戸時代]]初期に[[大久保長安]]によって整備された当初の初期中山道では、塩尻宿を通らず下諏訪宿から[[小野峠]]、小野宿、[[牛首峠 (長野県)|牛首峠]]を通って桜沢(塩尻市贄沢)に抜け[[贄川宿]]を結ぶ最短経路であった<ref>{{Cite web|url=https://www.kanko-okaya.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/NakasendoWalk2016-3rd-low.pdf|title=初期中山道ウォーキング|work=|publisher=塩嶺王城観光開発協議会、商工会議所中山道交流事業|accessdate=2023-05-04}}</ref>。}} |
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:[[和田宿]] - '''下諏訪宿''' - [[塩尻宿]] |
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;甲州街道 |
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:'''下諏訪宿''' - [[上諏訪宿]] |
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== 参考文献 == |
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*[[児玉幸多]] 『中山道を歩く』 中公文庫、1988年 ISBN 4122015561 |
* [[児玉幸多]] 『中山道を歩く』 中公文庫、1988年 ISBN 4122015561 |
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*中山道下諏訪宿本陣岩波家・パンフレット2019年 |
* 中山道下諏訪宿本陣岩波家・パンフレット2019年 |
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*歴史のこみち・フリーペーパー2019年 |
* 歴史のこみち・フリーペーパー2019年 |
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*歩きたいわ下諏訪99分のまちあるきマップ2019年 |
* 歩きたいわ下諏訪99分のまちあるきマップ2019年 |
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== 関連項目 == |
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*[[街道てくてく旅]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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*[https://www.town.shimosuwa. |
* [https://www.town.shimosuwa.lg.jp/ 下諏訪町ウェブサイト] |
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*[ |
* [https:https://shimosuwa.com/ 下諏訪温泉ホームページ] |
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2024年5月7日 (火) 22:12時点における最新版
下諏訪宿(しもすわしゅく)は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十九番目、かつ甲州街道の終点にあたる宿場。
概要
[編集]現在の長野県諏訪郡下諏訪町の中心部にあたり、難所であった和田峠の西の入口として、諏訪大社下社(しもしゃ)の門前町として栄えた。また、甲州街道の終点でもあり、45軒の旅籠があった。古くは鎌倉時代から温泉の利用が確認されており、中山道唯一の温泉のある宿場であり、当時の絵画などには温泉を利用する旅人たちが描かれている。旧称は下ノ諏訪。大規模に観光開発された上諏訪温泉と異なり、小規模な旅館街と入浴施設があるだけで、歓楽的な雰囲気はない。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、下諏訪宿の宿内家数は315軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠40軒で宿内人口は1,345人であった。
本陣岩波家
[編集]本陣は岩波家として現在も一部が一般公開されている。諏訪大社下社秋宮の境内を借景とし、広大な庭園を持つことが知られていたが、現在は宅地化が進み、一部のみを見ることができる。皇女和宮降嫁の際、また明治天皇が宿泊した際奥の座敷を見学できる[2]。玄関には、大名家が宿泊している時に掲げる徳川御三家、井伊家などの関札や武田信玄の書状を展示している。脇本陣「桔梗屋」「まるや」は旅館として現在も営業している。
史跡・見どころ
[編集]この節の出典[3]
- 史跡
- 観光施設
-
中山道と甲州街道の合流点
-
諏訪大社下社春宮
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諏訪大社下社秋宮
-
万治の石仏
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今井邦子文学館
最寄り駅
[編集]- JR中央本線 下諏訪駅
隣の宿
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 児玉幸多 『中山道を歩く』 中公文庫、1988年 ISBN 4122015561
- 中山道下諏訪宿本陣岩波家・パンフレット2019年
- 歴史のこみち・フリーペーパー2019年
- 歩きたいわ下諏訪99分のまちあるきマップ2019年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]座標: 北緯36度04分34.9秒 東経138度05分25.7秒 / 北緯36.076361度 東経138.090472度