モロッコ
もろっこ
主要部はアトラス山脈に沿って広がる山がちな土地。乾燥した土地だが、大西洋また地中海に面するため沿岸部と山岳部を中心に砂漠にならない程度の雨はそこそこあり、地中海性の植生が中心となる。
首都ラバト、最大都市にして貿易港カサブランカ、モロッコの国名の由来となった観光都市マラケシュも沿岸~北西山岳部の一帯にある。
元・スペイン領の西サハラ(サハラ・アラブ民主共和国)を不法占拠し自国の領土と主張しているが、承認しているのは世界中で50ヶ国程度。こちらは基本的にサハラ砂漠の延長上にある砂漠地帯である。
先史時代よりベルベル人が居住していたが、地中海の交通の要所たるジブラルタル海峡を擁するこの地は、対岸のイベリア半島と同様にフェニキア人、ローマ人、ヴァンダル人、ギリシャ人、アラブ人などさまざまな民族が来寇・移住してきた。788年にイドリース朝モロッコが建国された。
対岸のイベリア半島が「アンダルス」と呼ばれイスラーム圏のひとつであった時代には、海峡を挟み一つの王朝が支配する事例が何回か見られた。ムラービト朝とムワッヒド朝がそれである。しかし、1492年にレコンキスタの終結、さらにその後のムスリム追放に伴い、両岸の歴史は分かれていく。
その一方、東からはオスマン帝国が進出。1666年から続く現王朝のアラウィー朝は独立を何とか保つことに成功するが、国内は独立した部族が多い山岳地帯と王権の影響力が及びやすい沿岸部に大別される状況が長く続いた。
19世紀に入ると帝国主義の波が押し寄せる。30年代に隣接するアルジェリアがフランス領に併合されたのを皮切りに、特にフランスとスペインが不平等条約などの攻勢を強め、最終的に20世紀初頭、国土の北部はスペイン領に(現在もスペイン領となっているセウタとメリリャの前身)、中部の大部分はフランスの保護領となった。フランス語が通じるのはこのためである。
ただし、権力が局限されたとはいえ、長年の慣習でスルタンの地位は残ったことなどから独立運動も早く、大戦後にはフランスがヴェトナムの戦いなどで植民地を急速に縮小させるのに乗じて50年代には独立を回復。国王の権限が強く時に専制的な面もありつつも、議会を擁する立憲君主制が継続して続いている。