陶謙とは、三国志に登場する人物である。
一般的には、配下の不義によって曹操に攻められたかわいそうな人と言うイメージがあるが、
実際は大分異なっている。
陶謙(132-194)、字は恭祖。揚州の出身。
陶謙の父親は幼い頃に亡くなったが、それにもかかわらず1人で生計を立てていた。また、剛直で節義があり、学問に励んでいたので推挙されて出世していき、幽州、徐州の刺史を経て、190年には徐州太守にまでなった。その頃は徐州が豊かな土地であったこともあって流民も移ってくるほどであった。
ところが、今までからは考えられないのだが、次第に不義な行為も行うようになる。張昭のような名士を士官させようとしたが断られたため幽閉したり、朝廷から討伐命令のあった者と結託して山賊行為を働いたりしていた。
そんな時、曹操の父親が配下によって殺されると言う事件が発生(陶謙の命令によるともいわれる) 。それに激怒した曹操は徐州を攻め、人をはじめ犬や鶏等をことごとく虐殺。そのせいで河の流れが止まるほどであったと言う。ちなみに、一応このときは曹操軍を単独で食い止め、兵糧切れに追い込んでいるなど、なかなかの武将であることが伺える。再び曹操に攻められた際には各地に救援を要求し、そのときに劉備と出会い、兵4000人を与え厚遇した。
死の間際には、息子が不出来であるため、徐州は仁に厚い劉備にまかせると糜竺に言い残してこの世を去る。
あるべき規範を守らず、感情に任せて行動したので、司法と行政の連携が取れず、多くの善良な人々が害を被り、これらによって生じた乱れは時を追うごとに大きくなった
美徳と武勇と知性を兼ね備え、性質は剛直であり、その統治は恩愛をもって行われた
ちなみに余談として、陶謙を持ち上げる記述は劉備絡みの本文と呉書・呉録からの引用が多く、貶める記述は他の本文に多い。虐殺を正当化する立場か糾弾する立場か……と考えることもできるかもしれない。
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最終更新:2024/12/16(月) 00:00
最終更新:2024/12/15(日) 23:00
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