羽黒(はぐろ)とは、日本帝国海軍が保有していた妙高型重巡洋艦の4番艦「羽黒」をモデルにした艦隊これくしょん~艦これ~のキャラクターである。
(CV.種田梨沙)
スレンダーな身体にセミロングボブの髪型、いつも眉が八の字の気弱な女性。
髪飾りは、カタパルトをモチーフにしたものと絵師からの発言がある。
特徴的なのは「ごめんなさい」が口癖なほどに引っ込み思案である点。
戦士としての誇りに燃え、自立心のある艦娘達の中で非常に珍しい。
縮こまった立ち絵といい、いわゆる「いじめられっ子オーラ」が強い。
その分、心優しく謙虚で、提督の庇護欲あるいは嗜虐心をかりたてる。
戦闘時の台詞も独特。
「~してください」という言い回しから、艦の乗組員の存在を意識させ、チーム戦を盛り上げる。
時に強気の台詞も有り、艦隊の殿を買って出ようとするあたりに、秘めた強さが垣間見える(史実ネタ)。
多くの提督に直撃弾を食らわせたのが中破以上のダメージグラフィック。
詳細は是非目にしてもらいたいので伏せるが、艦娘の中で「一番恥ずかしがっている」絶妙の表情。
『寝室や湯屋仕立ての提督室にした上で、中破以上の羽黒を秘書にすると雰囲気が出る』という下衆い遊びも流行った。
…と、そんなこんなで既に100種類を数える艦娘において数多くの少数派な属性を満艦載している。
そのため、意外にも多くの提督からその魅力が認められている。
スペックとしては他の妙高型姉妹とほぼ同じくバランス型であるが、重巡カテゴリでは他のよりよい艦も沢山あり、特に高雄型は最終的には上位互換となりえるのだが、採用する提督の多さがその人気の証左といえる。
2014年5月中旬。春イベントの余韻もようやく冷めてきたころ、運営がツイッターにて、このようなツイートをした。
『五月は約70年前のあの戦い、最後の水上戦闘艦同士の海戦が行われた月。落日の連合艦隊、奮戦した姉妹の末っ子が僚艦を守って沈んでいきました。』
元々、艦これで改二を実装するときは、その艦に由来する日付を用いることが多かった。そしてこのキーワードから、もはや想定される艦娘は一人しかいなかった。
そして2014年5月23日のアップデートで実装されたのは、大方の予想通り、69年前の1945年5月16日、第二次世界大戦最後の水上戦闘であるペナン沖海戦で、奮戦しつつ、僚艦「神風」を守って海の底へと沈んでいった、妙高型重巡洋艦姉妹の末っ子「羽黒」の改二であった。改造レベルは65である。
服装は従来の服と形はあまり変わらないが、襟や裾にラインがはいった。色も暗い紫から明るい紫になったが、発色の違いレベルかもしれない。
艤装は直接身につけていた以前と違い、大型のアームで右三門左二門の主砲を保持するようになり、両手が空いた。(教師っぽいという評価がよく聞かれる。)
しかし話題になったのはその表情。おどおどしていた以前と違って、笑みを浮かべてこちらを見る羽黒に、「可愛いけど、何かが物足りない」と思った提督達は、表情をアップにしてまた驚かされることになった。
さて、これまでの重巡の改二といえば衣笠改二だったが、こちらは元々のステータスが一回り低かったところを標準クラスまで向上させた感があった。そのため、この羽黒改二が、今後の重巡改二のモデルケースになるのでは、と期待されていた。
蓋を開けてみると、火力・雷撃・回避で重巡では、飛び抜けて、とまではいかないもののトップ、そして幸運艦とはいえ最後の最後で沈んでしまった、という点を評価してか、運は19と「微妙に高い」数値となっている。もう少し運があっても良かったとは思うが・・・。
なお、少し前に実装された利根姉妹の改二(こちらは航空巡洋艦だが)と比較しても、当然航空戦力やそれに付随する索敵では劣るが、本来の重巡の見せ場といえる火力・雷撃はこちらが上回っている。
これまで重巡と言えば高雄姉妹と利根姉妹に隠れてしまいがちだった妙高姉妹だったが、羽黒改二はそれまでの序列を覆すに足る性能だといえよう。
改造した時に、20.3cm(2号)連装砲を2つと22号水上電探を持ってきてくれる。20.3cm(2号)連装砲は、同日のアップデートで追加された装備で、妙高型姉妹を筆頭とした重巡(古鷹や摩耶、鳥海など)を改二にする事で入手が可能になっている。
(計画では20.3cm(3号)連装砲を積むというものもあったらしい。それについては、高雄型も同様だったらしいので高雄型の改二に期待すべきだろう。)
公式作品においては2018年連載開始の『今宵もサルーテ!』で鎮守府の秘書艦を長く務めており、通常業務から海外艦豊富な艦隊の折衝で忙しい日々を送っており、主人公であるガンビア・ベイとの関係が特に印象的。栗田艦隊に苦手意識がある彼女にとって羽黒は当初鬼門だったが、羽黒からの懸命なフォローにより徐々に克服していく姿と単行本収録の幕間劇からも同作のヒロインとも云える扱いを受けている。
三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)にて建造され、1929年(昭和4年)4月25日に竣工した。
艦名は山形県の鶴岡市にある羽黒山に由来する。
特徴として、それまで英国式だった内装を日本式に設え直している。(通信設備の関係上でお偉いさんなどが乗ることもなく、居住性も良かったため、水兵にも人気だった。なお足柄の出来事から、英国からすれば、まだ居住性は良くなかったらしい。)
また、幾度もの改装を経て、高角砲や機銃、魚雷発射管といった兵装の換装や増設、艦橋構造の改正、航空設備の拡充や船体へのバルジ装着など、当時の現代的な軍艦としてのモデルとなる装備に拡充された艦でもある。
太平洋戦争において、第2艦隊の第5戦隊に所属し、日本海軍最初の組織的海戦であるスラバヤ沖海戦から日本海軍最後の海戦のペナン沖海戦まで戦い抜いている。他にも珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、第2次ソロモン海戦などに参戦している。
緒戦であるスラバヤ沖海戦では、イギリス巡洋艦「エクセター」に直撃弾を与えている。(この一発が膠着した戦況を打開した。ちなみに羽黒が沈めたエクセターの乗員を助けたのはあの雷と電である。)
ブーゲンビル島沖海戦では、妙高とともに出撃。米艦隊に対して16000mの距離からの照明弾を使用。このとき陣形が乱れ、妙高が初風と衝突するなど混乱が起きた。それらを見て羽黒は妙高の盾になるために前進している。 海戦の後ラバウルに帰還した際に空襲に見舞われたが、ほとんど被害が無かった。そのあとはラバウルから佐世保に帰投している。
マリアナ沖海戦では、大鳳の直衛艦を務めるが、大鳳が敵潜水艦の魚雷により轟沈。一時的に指揮艦となり、大鳳に乗船していた司令官や参謀長を瑞鶴に移している。また飛鷹の最期も見届けている。(瑞鶴に移乗させた理由は通信機能の関係である。)
レイテ沖海戦では、栗田艦隊として参戦。シブヤン海で熾烈な対空戦闘を強いられ、サマール沖海戦では全軍の先頭で敵軍に突撃、他の重巡たちが被弾し、落伍していく中、利根や金剛とともに敵の護衛空母、駆逐艦を撃沈させている。この時に第2砲塔に爆弾を落とされ、中破している。それでも戦闘力を保持し、羽黒の第五戦隊司令部は利根とともに統制雷撃を行うため更に突撃しようとしたが、大和の艦隊司令部から攻撃中止の命令を受けて無念の反転を余儀なくされた。この海戦中、羽黒は金剛による鳥海への誤射を目撃したとされる。
レイテ沖海戦の後はまともに修理や改装、補給もできず、足柄などと輸送任務に従事することが多くなった。(同型艦の妙高もいたが、砲台としての役割しかなかった。)
1945年(昭和20年)5月15日、陸軍の要請により、アンダマン諸島への輸送任務に駆逐艦「神風」とともに出撃。
同月16日にペナン沖にて、イギリスの艦隊に発見され、真っ先にイギリスの駆逐艦に先制弾を浴びせるものの、雷撃により損傷。機動力を失った。また甲板に積んでいた燃料入りのドラム缶が炎上し、完全に標的となり、敵艦からの容赦のない砲撃が続いた。この状況を見て、「羽黒」は「神風」の離脱を優先すべく囮となり、3本の魚雷を被弾した末に船首部分からペナン沖で沈没した。(轟沈ボイスはこれに由来している)
現在は、ペナン島沖の水深66mのところに羽黒の残骸があり、2003年まで発見されることが無かったが、2005年に日英合同で、羽黒の乗員への慰霊祭が行われた。
2019年(令和元年)7月17日、26中期防計画平成28年度計画イージス護衛艦(28DDG)としてジャパンマリンユナイテッド横浜事業所磯子工場で建造・進水したまや型護衛艦2番艦が「はぐろ」と命名された。令和3年3月に就役し、重巡羽黒と同じく佐世保を母港とする第4護衛隊群第8護衛隊に配属となった。8護隊は本艦のほか、こんごう型護衛艦ちょうかい、むらさめ型護衛艦きりさめ、あきづき型護衛艦すずつきにより構成されている。
羽黒は、あまり知られてないが日本重巡中でも足柄や青葉らとトップを争うほどの歴戦の武勲艦であり、雪風や瑞鶴などには及ばないが幸運艦の一隻でもある。その中でもいくつかのエピソードを紹介しておく。
・佐世保での修理の際に実弾を10発受けていることが判明、そのうち3発は爆発すれば致命的なものだったがすべて不発だった。また佐世保で修理を受けるためにラバウルを出港した翌日、羽黒のいた港が大空襲に遭い、残っていた艦が大損害を受けている。それ以降も空襲を察知し、移動をして、空襲を逃れている。
・潜水艦からの魚雷で避けられないと思われた1発が、運よく水面に浮上し避けられた。(ただしその魚雷は、後続の摩耶に命中、摩耶は轟沈している。) また飛行機からも航空魚雷を打ち込まれたが、今度は深く入ったため、艦の真下を通過している。
・レイテ沖海戦にて、妙高とともに西村艦隊に編入される予定だったが、当日になって予定が変更され、栗田艦隊に編入されている。(代わりに西村艦隊に入れられた最上は突入時に轟沈している。)
・敵艦載機に見つかり、空襲を受けたときにたまたまスコールがあったため、その中に入り、難を逃れている。さらにそのスコールが羽黒の進む方向に進んでいたためしばらくの間隠れることができた。(これを機に、乗員の間で「幸運の艦羽黒」が合言葉となり、そう呼ばれるようになる。)
・第2砲塔が爆弾を受けたときに、注水が遅れ、陸奥の二の舞になるところだったが、一人の若い水兵が第2砲塔に注水を行い、事なきを得た。
・ペナン沖海戦にて、退艦命令が出ていたがそれを拒否した者がいた。また火災や停電により、動きのとれない状態において人力で高角砲を動かし、沈む瞬間まで高角砲からの射撃が続いていたという。それをみた「神風」の乗員は『阿修羅の如き』と評し、その奮闘ぶりはイギリス側からも評価された。しかし、羽黒は約20kmの距離から敵艦を捕捉していたにも関らず、司令官・艦長ともに仮眠中で報告はされず時間だけが過ぎ、司令官と艦長が艦橋に上がってきた時には約8kmまで接近を許し、戦闘を開始した時には5kmまで肉薄されるなど、羽黒司令部の伝達・判断ミスが敗因の海戦でもあった
など多くのエピソードを持っている彼女である。羽黒に関する手記がいくつか残っているので、一度読んでみることをお勧めする。(筆者もソース探しに読んでいる。)
なお、晩年は初期~中期の幸運が嘘の様に酷い戦場・戦況に飲み込まれて逝くが、上記史実や外部Wikiなどに詳しい内容があるので、そちらを参照してもらってもよいだろう。
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最終更新:2024/12/17(火) 23:00
最終更新:2024/12/17(火) 23:00
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