永代橋(えいたいばし)とは、隅田川にかかる橋の一つで、ある大事故をきっかけに落語の演目にもなった橋である。
本記事は永代橋そのものの概要、そして永代橋に起きた有名な悲劇、更にそこから生まれた落語の演目を順々に解説する。
永代橋は、今でこそ東京都心の中央区と江東区を結ぶ交通の大動脈となっている陸橋(アーチ橋)であり、土木遺産、そして国の重要文化財にもなっている名建築で、ライトアップもされ、都内観光などにも一役買っている橋であるが、初代永代橋は元禄11年(1698年)、時代は江戸、5代将軍徳川綱吉の誕生から50年を祝う記念事業の一環として架橋されたものである。
しかし、後に水害によって橋が破損、幕府の財政も逼迫したため永代橋の廃橋を決定する。だが町民衆の嘆願によって、維持費を町方連中が賄うという条件付で、廃橋が免れた。しかし、それも月日が経つと、両国橋など他の橋も架けられたために通行量が次第に減少、町民だけの通行料だけでは賄えなくなって老朽化も顕著となっていき、犬一匹通るのも危険と言われるほどに。そこへ想定を超える人間が押し寄せたせいで、例の悲劇が起きるのである。
なお、知られていないが、その後描け替えられた橋も関東大震災の影響で落橋し、多くの溺死者を出しているなど、めでたい名前とは裏腹にかなり悲劇の歴史を持っている橋といえる。
大事故が勃発した日は克明になっており、文化4年8月19日(1807年9月20日)、折しも12年ぶりに行われた深川富岡八幡宮の例大祭(いわゆる深川祭)の日であった。いつもは数人もいない通行量の木造橋に数千人の見物客が押しかけたものだからたまらない、老朽化も進んでいたのもあって、中央部から東よりの橋脚の一部が破損し、そのまま大きく橋がたわんだ。
更にこの衝撃のせいで、群衆がパニックを起こし、将棋倒しが発生、亀裂方面に群衆が倒された。たわんだ橋はその弾みで更にひん曲がり、多くの人が川面に投げ出され、無数の人間が土砂のように雪崩れ落ち、その衝撃で多くが圧死、溺死(中には泳ぐ力はあったが、後ろから大人数人に引っ張られて溺死するという有様もあった)するというこの世の地獄絵図となるのである。その時の狂歌師、大田南畝の記録「夢の憂き橋」(夢の浮き橋に掛けている)によると、最後の方で転落した人らは水に濡れることはなかったというほどであった(つまり、それだけの人間が転落し、川を埋め立ててしまっていたのである)。
死者は詳しくはわかっていないが、永代橋の欄干にはわかっているだけで死者440名と書かれており、行方不明者も含め最低1000人多くて1800人ぐらいが犠牲となったと伝わる、世界でも類を見ない落橋、群衆事故となった。
色々と有名な逸話があり、小左衛門と名乗る侍が佯狂を演じ、欄干手前で刀を振りかざしたことで、群衆は一目散に散り、被害の拡大を食い止めたとか、泳ぎの得意な男や海女が現地で数十人助けたという武勇伝もあったりする。
また、色々とオカルトな伝承があり、神からのお告げを聞いたとか悪夢を見たとか、足が重くなったとか言って、祭りに行かずに難を逃れた人もいるという。しかし、これは前述のように、いつ壊れてもおかしくない状態になっていたことは近隣の人に知れ渡っており、それを後付けの理由や世間体への言い訳として広まったものと見る方が有力である。
このケースは群集事故+転落事故という特に犠牲者が大きくなりやすい群集事故のパターンであり、日本では他に新潟県の彌彦神社(124人死亡)や戦時中の京都駅(77人死亡)などでも起きている。有名なサッカーのヒルズボロの悲劇(96人死亡)もこのパターンによる事故である。
この事故が起きた文化時代は文化文政、泰平の世の中といわれ、全国的にも大規模な災害も少なかったことから化政時代ともいわれるほど、江戸の文化が花開いた時期であった。その中で起きた空前の大惨事であるが、それも笑いに変えてしまうほどのパワーがあったのである。それによって生まれたのが、悲劇も風化して笑い飛ばしてしまうという滑稽噺「永代橋」である。
落語の永代橋は、この実話を元に作られた噺であり、江戸落語の有名な演目「粗忽長屋」をアレンジしたもの。「粗忽長屋」は生きているはずの男が、知人に死んだと伝えられ、なぜか自分の亡骸を持って奔走するという、真面目に考えれば考えるほど、頭の中がパニックになりそうな噺であるが、永代橋ではそれを例の事件と絡ませて、その矛盾の要因を明確化させたものとなっているので、頭の中がおかしくなりたくないなら(?)こっちの方がオススメかも知れない。
深川祭の日に、永代橋が落ち、何百人と亡くなった。そんな噂が江戸の持ち切りとなり、ある長屋の大家、太兵衛は皆を集めて確認をする。ひとまずは、帳簿を見て全員無事を確認したが、その矢先奉行所から一通の手紙が届いた。そこには武兵衛(ぶへえ)という男が事故に巻き込まれた死んだ、とある。これは一大事だと太兵衛は慌てるが、そんなときぶらぶらと酒を飲んで、のんきにこっちに向かう武兵衛の姿が。
と本人に伝えるのである。武兵衛もなんてことだと慌てるが、だとすると今いる自分は誰なんだろう、そう思いながらも太兵衛に導かれて遺体が安置されている場所に確認しにいく。
だが、遺体を見るとどうも自分の特徴とは全く違い人違いだと太兵衛に伝える。そんなやりとりを見ていた奉行がやってきて、事情を説明すると、どうも人違いの可能性がある。というのも死人を鑑定したのは、名前が彫られていた紙入れ(今でいう財布のようなもの)からであった。
奉行がそれに見覚えがあるかと問われれば、彼は思い出したように2両入れといた紙入れが掏られたことを奉行に伝える。実は犠牲となったのは掏った男の方だったのである。しかも当初、男は祭りを見に行く予定ででかけたのだが、有り金掏られたので仕方なくやけ酒を煽っていたのであった。男は「それ見たことか。俺の金スったばかりに仏になりやがった」と清々した顔となるが、太兵衛は「なら、その大金持っててなぜ家賃を払わんのだ」とばかり、彼をパカっと殴る。
武兵衛は奉行に早合点して散々自分をぶったことを伝えるが、奉行は一言
※野暮だが、多勢に無勢を掛けた地口落ち。また、この祭りは大勢がおしかけて、不可抗力で多くの者が命を落としている(つまり無勢)ため、それを風刺しているのかもしれない。
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最終更新:2024/12/14(土) 11:00
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