- beatmaniaIIDXの楽曲 → The Dirty of Loudness
- アルトネリコ2の登場人物でアルトネリコ3の登場人物ミュートの父親 → Dr.ラウドネス
- 日本のヘヴィメタルバンド。本項目で説明する。
- LOUDNESSのデビューアルバム「THE BIRTHDAY EVE ~誕生前夜~」に収録されている楽曲
- LOUDNESSの10枚目となるアルバム「LOUDNESS」
LOUDNESSとは、日本を代表するヘヴィメタルバンドである。
概要
1981年結成、同年11月25日『THE BIRTHDAY EVE ~誕生前夜~』でデビュー。1985年、5THアルバム「THUNDER IN THE EAST」で世界デビューを飾る。
1988年末以降、二井原実の脱退(実質解雇)を機にメンバーチェンジが多くなるが、2000年にはオリジナルメンバーで復活を果たす。
LOUDNESSの活躍はヘヴィメタル界のみならず、後のヴィジュアル系バンドやアニメソング界にも大きな影響を与えることになり、特に高崎晃のギタープレイは日本のみならず海外でも評価が高く、ポール・ギルバートをはじめとする技巧派ギタリストにも影響を与えた。
バンドメンバー
時期 | ボーカル | ベース | ドラム |
第1期(1981~1988) | 二井原実 | 山下昌良 | 樋口宗孝 |
第2期(1989~1991) | マイク・ヴェセーラ | 山下昌良 | 樋口宗孝 |
第3期(1992~1993) | 山田雅樹(MASAKI) | 沢田泰司 | 樋口宗孝 |
第4期(1994~2000) | MASAKI | 柴田直人 | 本間大嗣 |
第5期(2000~2008) | 二井原実 | 山下昌良 | 樋口宗孝 |
第6期(2009~) | 二井原実 | 山下昌良 | 鈴木政行 |
第1期LOUDNESS
1981年、アイドルバンド「レイジー」(LAZY)のメンバーであった高崎晃(ギター)と樋口宗孝を中心に結成。
結成当時、ベーシストにレイジーの田中宏幸がいたが、音楽性が合わずまもなく脱退。
高崎は幼少の頃からの友人であった山下昌良を誘い、山下が加入する事になる。
まもなくしてボーカルに二井原実に決まり、バンドは一日8時間以上の練習をこなし、11月25日にアルバム『THE BIRTHDAY EVE ~誕生前夜~』でデビュー。
当時の日本の音楽シーンの見解で「日本のハードロックは売れない」と言われていたが、LOUDNESSのデビューコンサートはチケット発売と同時に完売。今は亡き「浅草国際劇場」では3000人近くの観客を動員、関係者を驚かせた。
翌年にはセカンドアルバム『DEVIL SOLDIER 〜戦慄の奇蹟〜』をリリース。
このアルバムでは外国人エンジニアで関西弁がペラペラなダニエル・マクレンドンを迎えて制作された。
1983年にはサードアルバム『THE LAW OF DEVIL'S LAND ~魔界典章~』をリリースしたが、本作では二井原がレコーディング中に喉を痛めてしまったが為にボーカルとしては納得の行く出来にはなっていないとのことである。
1983年7月には渡米、1984年、バンド初期の代表作として挙げられる「DISILLUSION 〜撃剣霊化〜」がリリース。
4月にはヨーロッパツアーを行い、7月には『DISILLUSION English Version』、8月にはライブビデオ『EUROBOUNS』をリリースした。
同年、アトランティック・レコードと契約、1985年にリリースされた『THUNDER IN THE EAST』で世界デビューを飾り、ビルボードアルバムチャートで74位にランクイン。
モトリー・クルーの前座としてツアーを周り、日本人初のマジソン・スクエア・ガーデンの舞台に立った。
1986年3月には『SHADOWS OF WAR』をリリース。4月には代々木オリンピックプールで大規模な機材を導入してライブを行ったが、あまりの大音量の為に原宿駅から苦情を受ける事になった。
同年、『SHADOWS OF WAR』をアメリカ人向けにリミックスされたアルバム『LIGHTNING STRIKES』をリリース。
このようなリミックスアルバムが発売した経緯に関して説明すると、アメリカのレコード会社社長から「SHADOWS OF WAR」を聴いて「ギターの音がデカ過ぎる!」とのクレームが入った事が一因となっている。ビルボードアルバムランキング64位を記録。
1987年、ジミ・ヘンドリックスやレッド・ツェッペリンを手がけたエディ・クレイマーをプロデューサーを迎えて制作された7thアルバム『HURRICANE EYES』をリリース。
1988年は日本国内を中心にツアーを回ることを宣言、ミニアルバム『JEALOUSY』をリリースしたが、同年末、二井原が解雇されることが下された。
二井原が解雇された原因としてレコード会社から「二井原の歌では売れない」と判断された説、高崎の二井原を活かせる曲が書けなくなった等の説がある。
第2期LOUDNESS
1989年、「日本に二井原以上のボーカルがいない!」(当時、人見元基とか森川之雄とかいたじゃんとか言ってはいけない)との理由で海外でオーディションを開き、結果として元オブセッションのマイク・ヴェセーラの加入が決まり、アルバム『SOLDIER OF FORTUNE』がリリースされた。
80年代のLOUDNESSの集大成とも評価される『SOLDIER OF FORTUNE』は高崎の律儀なテクニカル路線最後のアルバムとして語っており、実際『SOLDIER OF FORTUNE』のレコーディング中に「もう少し自由にギターを弾いてみたら?」と言われたことがきっかけで90年代以降から少しずつスタイルに変化が表れるようになった。
また、『SOLDIER OF FORTUNE』の評価に関して「優等生過ぎる」「個性が無くなった」等の批判を浴びる事がある。
この時期、LOUDNESSは韓国で来韓公演を行っているが、その際高崎は韓国のプロモーターから来韓公演の条件の一つに「韓国国歌を演奏してくれ」と急遽依頼されてしまい、短時間でウォークマンで韓国国歌を聴きながら必死で練習させられるハメになった。
この時にたまたま動向していた沢田泰司は「あんなに真剣にコピーしてる晃さんは初めて見た」と回想している。
高崎によれば、 ジェフ・ベックも来韓公演で「韓国国歌を弾いてくれ」と言われたらしい。
自称いつもは適当な高崎も流石に国歌だけは間違えるわけにもいかず、メロディも覚えにくかったので大変だったそうである。
1991年、デビュー10周年を記念して新曲3曲を含めたリメイクアルバム『ON THE PROWL』をリリースしたが、同年5月の日本武道館を最後にマイクは解雇されてしまう。翌年1月には山下も「別の音楽がやりたい」との理由で脱退を決意する。
マイクが解雇された理由について高崎は「スタジオでは問題ないけど、ライブ本番では歌えてへんかった」と語っている。マイクはその後、イングウェイ・マルムスティーンのボーカルを6年にわたって勤め上げた。実力不足というよりは、ライブパフォーマンスが高崎の望んだタイプのものではなかったらしい。
第3期LOUDNESS
1992年1月、マイクの後任に元E・Z・O(FLATBACKER)の山田雅樹、ベーシストには山下の紹介で元X(XJAPAN)の沢田泰司の加入が決まる。元々沢田はLOUDNESSのマニアとして有名であり、X在籍時からKillerのベースを使用しており、高崎とも親交があり腕も認められていた存在であった。
但し、沢田の正式な加入は4月であり、レコーディング当初は沢田がX時代に在籍していたソニー・レコードとの契約上の都合の為、アルバム『LOUDNESS』ではサポートミュージシャンとして扱われている。
沢田の加入はそれまでのファンの間で大きな物議の対象となった。
ご存知のようにXのファンの殆どは女性が中心であり、男性ファンが多いLOUDNESSのライブ会場には沢田目当ての女性ファンが大量に押し寄せ、常に黄色い歓声がこだまする光景が見られた。
また、LOUDNESSのファンの殆どはX=色物と言う偏見を持っていた為か沢田がステージに上がった瞬間にブーイングを発する光景も見られた。
しかし、ツアーを重ねていくうちに沢田のプレイは少しずつLOUDNESSのファンに認められ、一部のファンの間では「第3期LOUDNESSこそが最強だ!」と言う声も存在する。
1992年6月に発売されたアルバム『LOUDNESS』は沢田人気も手伝ってかバンド史上初オリコン2位を獲得。
ツアーは好評であり翌年の1月末まで続いた。
しかし、5月には事務所とのトラブルが原因で山田が脱退を決意しようとするも、樋口に説得されてとどまる事になるが、今度は沢田が今の状況でLOUDNESSの活動は不可能と判断、沢田は新たなバンド「D.T.R」を結成する為に脱退。
その後、長年に渡ってリーダーを務めてきた樋口も脱退し、第3期LOUDNESSは終焉を迎えることとなった。
第4期LOUDNESS(黒歴史)
1994年12月、山田の誘いで元E・Z・Oで当時浜田麻里のサポートドラマーを務めていた本間大嗣が加入。
レコーディング当初、正式なベーシストがいなかった為に高崎がベースをプレイし、アルバム『HEAVY METAL HIPPIES』をリリース。
1995年、当初サポートと言う条件で参加した当時元ANTHEMの柴田直人が正式に加入。
4月にツアーを行った後、活動休止。
1997年から1999年までインド3部作と呼ばれるアルバム『GHETTO MACHINE』『DRAGON』『ENGINE』をリリース。
しかし、94年辺りから高崎のスタイルが大きく変わった事にファンの殆どが失望する事になる。
当時の高崎はある占い師に「あなたはシヴァ神の生まれ変わりだ!」と言われたらしく、それからリリースしたソロアルバムでも非情に宗教的な雰囲気を漂わせ、ルックスに関してもトレードマークだったロングヘアーから坊主頭に変わり、衣装もインド的なものからお坊さんを彷彿させるような物まであり、ファンどころかメンバーや関係者まで驚かせた程であった。(当時のYOUNG GUITAR誌でも住職になった高崎のイラストが送られてきた程である)
また、ライブでは殆どがアドリブによる演奏が多く、過去の曲もまともに弾かない。MASAKIに至っては歌詞を無視して適当に歌う(例:IN THE MIRRORをOver Kill! Over Kill!とかSuicide! Suicide!とか叫んでるだけ)、高崎はビールばっかり飲み泥酔して無茶苦茶な演奏だったり、柴田は曲を書かない(曲を書かないと言う条件で加入したらしい)等、ツアーも集客も減少しており、ファンからは『LOUDNESSの暗黒時代』『黒歴史』などと呼ばれている。
そんな中、2000年に第4期LOUDNESS解散、オリジナルメンバー復活を宣言。
山田は脱退後、LAに戻りFIRESiGNのベーシストとして活動、柴田は本間を誘ってANTHEMを再結成した。
第5期LOUDNESS
樋口、二井原、山下が復帰し、2000年に1984年のヨーロッパでのライブを収めたアルバム『EUROBOUNDS 〜remastered〜』をリリース。
再結成当初、二井原は結成してまもないX.Y.Z.→Aに力を入れており、再結成は期間限定と言うことで参加した。
しかし、LOUDNESSとして再結成ライブを行ったところ、ファンからの激励の手紙を読んだ事でLOUDNESSとしての活動も継続する事を誓い、LOUDNESSの歴史の中でも最も長く同一メンバーで活動していた事になる。
2001年にリリースした再結成第1弾『SPIRITUAL CANOE 〜輪廻転生〜』をリリース。このアルバムでは第4期の雰囲気を残しつつ、第1期を彷彿させる曲も多数収録され、中にはラップに挑戦した物まで収録されており、ある意味では新たなLOUDNESS像を作り上げようとしたアルバムではあった。
しかし、2001年12月に発売された『PANDEMONIUM 〜降臨幻術〜』では再び第4期を彷彿させる宗教的な匂いとドゥーム・メタル的な楽曲が増え、更に当時の高崎はニュー・メタルの影響も強く受けており、その路線は2004年に発表された『TERROR 〜剥離〜』まで続いた。
そんな中、2004年7月にはヘヴィメタルバンドとしては異例のディナーショーを実行。
当然ディナーショーであろうとも、音量に関しても妥協せず、いつもどおりの爆音で演奏した事に苦情が殺到した。
同時期にLOUDNESSは突然公式HP上で過去の楽曲をリメイクすると言うことでファン投票でリメイクする楽曲を募集。
2004年10月にリメイクアルバム『ROCK SHOCK』、11月にアルバム『Racing/音速』をリリース。
『Racing/音速』では第1期を彷彿させる楽曲も増え、ファンからはそれなりに迎えられたアルバムであり、当時宇多田ヒカルが海外進出する際に一部のマスコミがLOUDNESSと比較したことから再び注目が集まったことも起因となっている。
2005年には再び海外での活動を開始し、順風満帆に続いていたが、2008年にバンドの中心人物である樋口がガンである事を告白し、一時離脱。
バンドは友人である「手数王」菅沼孝三がサポートとして参加したが、同年11月29日に樋口が他界(享年49歳)。
樋口の死はLAZY、LOUDNESS,ヘヴィメタル界のみならず、様々なミュージシャンや著名人にも大きなショックを与え、樋口を慕っていたり尊敬していた著名人がブログ越しで早すぎる死を偲んだ。
樋口の死後、高崎は再び海外での活動を視野に積極的に活動していく事を2008年12月24日に行われたお別れ会で誓った。
樋口の後任は元SABER TIGERの鈴木“アンパン”政行が務める事となった。
第6期LOUDNESS
2009年、樋口の遺作となるアルバム「THE EVERLASTING 魂宗久遠」をリリース。鈴木もわずかながらに参加はしているが、このアルバムのツアーは行われていないものの、代わりとして「CLASSIC LOUDNESS」と題する初期LOUDNESSの楽曲を中心に演奏するツアーを開始。
このツアーを成功させた後、鈴木加入後のアルバム「KING OF PAIN 因果応報」をリリースし、そこから韓国のフェスや番組に出演。2011年には5年ぶりにUSツアーを行う。
USツアーの模様は日本時間2011年6月5日にニコニコ生放送でも一部放送され、45000人以上の来場者数を記録した。
6月の全米ツアーを終えた後、7月11日、第3期のベーシストであった沢田泰司が仕事でサイパンに向かう航空機内で女性乗務員に暴行、機内で暴れたとして逮捕されたと報じられる、その後拘束中に自殺を図り、意識不明の重体となり、17日、搬送先の病院で死亡した。(沢田の死に関しては沢田泰司の項目参照)
2011年9月にはアルバム「Eve to Down」がリリースされた。
関連動画(本家)
演奏してみた
演奏してみた(某アーティストのデビュー前・コピーバンド時代)
ニコニコ生放送
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関連項目
- 2
- 0pt