兵站[へいたん](Military Logistics あるいはLogistics:ロジスティクス)とは、戦闘地帯から後方の軍隊におけるありとあらゆる行動およびその行動を行う部署を一まとめに呼称したもの。
一言でいえば
順調に活動するための 後方支援 である。
戦争や軍隊は「戦う人」だけでなく、「戦う人を支える多くの人や業務」も必要である。
弾薬・燃料、水・食料が底をつき始め、補給のあても無い。
兵器や乗り物が故障しっぱなしorいつ壊れるか分からない、負傷しても治療できる人がいない。
これでは安心して満足に活動することはできないし、容易に撃破されてしまう。
放っておけば水・食料が尽き、兵士は餓死してしまい、もはや戦争どころではない。
兵站を軽視する=リアル死亡フラグである。
いくらエリートな兵士や最新鋭の兵器が揃っていても、兵站が軽視されれば実力は発揮できない。
もちろん人数分の必要物資を効率的に運ばなければならないため、計画性も必要となる。
超簡単に説明してもこれであるが、実際はさらに事情は複雑になる。
概要
兵站活動の目的は、広義に捉えれば、国家のパワーのために、有効な軍事力を生産することである(ここでいう「パワー」とは、国家の内外の随意の地点に有効な破壊殺傷力を投射(project)することを指す)。またその要素として、国内外のさまざまな資源を採集し、輸送搬入し、戦力に加工し、戦場の味方軍隊に推進補給するという諸段階が考えられる。[2]
兵站の歴史[3]
古い時代においては、戦争における兵站業務の比重は小さかった。ギリシャの軍隊は、遠征中でも「徴発」することで存続できた。しかし、時代が進むにつれて軍隊が必要とする物資の補給量は増大していく。1870年の普仏戦争では1個師団は毎日約50トンの食料とかいばを必要とし、1916年になると大砲や砲弾の大型化に伴って必要補給量は150トンに増えた(現代のアメリカ機甲師団は毎日3000トン以上の補給を必要とする)。
そして第二次大戦が起きる前に、陸・海・空のすべてにおいて、「石油を燃料とするエンジン」が、動物・石炭・風力に取って代わったとき、戦争の問題は兵站業務が中心を占めるようになった。敵と戦うためにはまず「移動するための石油」を用意しなければならなくなった。
裏を返せば、敵と直接戦うのではなく、敵の兵站システムを破壊することで移動に必要な石油の供給を絶ち、交戦することなく敵を無力化することも可能になった。現代では、敵の兵站業務を妨害する能力は、戦闘、作戦、もっといえば戦争に勝つ能力にひとしいのである。
アメリカ陸軍の教範から
※兵站活動を行う兵種(職種)については、諸兵科連合の項でわかりやすく記述されている。この項では、兵站活動全般とは何か、について記述を行うものとする。
兵站とは何かを説明する前に、まず大切な前提条件から行うべきだろう。
すなわち軍隊の目的である。
しかし、戦うためには準備が必要で、その準備とは究極的に何かといわれれば、
軍隊を構成する部隊・組織の戦闘力(継戦能力)の維持・向上となる。(これ重要!)
軍隊(部隊)を形成するのは当然兵士であり、兵士はそれぞれに身に着ける、あるいは運用する装備がある。これらによって実現される戦闘力の維持・向上こそが兵站の目的と言える。
戦闘力とは字面どおりの戦う能力だが、ただ一度だけ戦うのは戦闘とは言わずただのケンカでしかない。
戦闘には行動を継続させることが求められ、その能力は継戦能力として呼ばれる。
この継戦能力とはさまざまな要素から成り立つもので、一言では言えないものがある。
しかしこの能力があればこそ上位の組織、つまり司令部(あるいは軍、国家)はその部隊の能力を、計算することが可能になる。
いささか冗長だが、ここはアメリカ陸軍の教範から兵站=Logisticsがどのように位置づけられているのかを読んで見るといいだろう。
「軍の移動および継戦能力の維持を計画・実行する過程、装備品の計画・開発・取得・貯蔵・移動・配分・整備・後送・廃棄、役務の調達・提供、施設の計画・取得・建設・整備・運用・配置等を含む、戦術レベルでは装備の補給・修理・給油・人員配置・移動・給養・継戦能力維持等の後方支援(Combat Service Support)に重点」
アメリカ陸軍野外教範 100-5 (FM 100-5) Capter 12."Logistics"より。
(『備えよ! ロジスティクスサポート』より一部引用の上、修正)
すなわち、全般的には「戦闘行為以外すべてを担当する役目」をさし、戦術レベルにおいては「継戦能力を維持する行為 = 後方支援である」としている。
戦術レベルにおいてのみ記述すると戦闘力の維持には、部隊を構成する人員の生活物資(水、食料、衣服等)。そして運用する兵器の修理・補修・使用する物資・弾薬・燃料の補給がかかせない。そして、それらを輸送するためには補給兵(輸送兵)が必要となり、彼らが運用する資材もまた補給が必要となる。
次に補給に使う道路、港湾、飛行場の整備・維持管理も必要になってくる。
最近では兵站という大きな分類から、直接的な戦闘行動への支援については「戦闘支援」と呼ばれ、その後方において業務を担うものを(広報・会計なども含めて)「後方支援(Combat Service Support)」と二つに分けられることも多いのだが、上記文章を読むかぎり、戦術レベルにおいてはCombat Service Supportを直訳した「戦務支援」として考えたほうがわかりやすいかもしれない。
話がややこしいが、この兵站(Logistics = ロジスティクス)は現在、自衛隊内部(陸・海・空)でもあまり用語が統一されていない実情がある。陸自では「兵站」、海自、空自では「ロジスティクス」と呼ばれる。旧日本陸軍ではロジスティクスを兵站補給として訳した。後述するが、兵站の中に補給が含まれるが、それがすべてではない。先に引用した教範『FM 100-5』では、兵站にも戦略的ロジスティクス、作戦的ロジスティクス、戦術的ロジスティクスと階層があることを述べているのだが、ここらへんの感覚も備えたほうがいいだろう。
このように兵站(Logistics)とはきわめて広範囲な分野をさすために、きわめて説明が難しい分野でもあることがわかるだろうか。
兵站は英語では「Military Logistics」とも呼ばれ、一般の「Business Logistics」とは分けられているのだが、日本国内では兵站のひとつの分野でもある補給(物資輸送)任務を転じて物流として捉えられている側面があり、せいぜいサプライチェーンマネジメント(複数企業間における発注・輸送業務)をひっくるめて、「Logistics=ロジ」と呼ぶことも多い。が、物流としての用語は「Physical Distribution」であり、微妙にかみ合ってない現状もある。
企業グループにおいて「○○ロジスティクス」とかいう企業名もあるのだが、焦点はほぼ物流にだけにしぼられており、実業と社名が食い違っていると考えたほうが良いかもしれない。
概要のまとめとして、先に紹介したアメリカ陸軍野外教範からもう一つ引用しよう。
「Logistics cannot win a war, but its absence or inadequacy can cause defeat.」
(意訳:ロジスティクスだけじゃ戦争は勝てない。しかし、欠如、あるいは不適当なやり方は敗北をもたらす)
兵站とはその当時(あるいは現在)の技術、経済をベースとした軍隊、そして国家の縮図でもある。
兵站だけを語ることがすべてを語れることではないし、戦術、戦略よりも上位の価値観ではない(それ相応に重要ではあるが)。
戦場(歴史)を知り、技術を知り、戦術を知り、戦略を知り、そして兵站を知ることによって見えてくるもの、見るべきもの、そして考えなければならないことがあることを知ることが重要である。
物事に対する視点の位置を変えること、考えることの大切さ。これこそが、冒頭の「玄人は兵站を語る」の意味、すなわち素人と玄人を分ける境界線かもしれない。
※素人(しろうと)の対である玄人(くろうと)の玄が黒ではないのは、「黒よりも奥深く容易ではない」の意味もあるとか。
二十世紀になり戦争の規模が大きくなると共に見せた国家間の戦争における総力戦とは、人類に「戦争は戦場だけで戦うのではない」ということを教えている。
これは従来の前線(戦場)、後方(安全な場所)という垣根が無くなったという意味合いだけではない。
関与するものが戦場というミクロの場所だけではないのだという意味でもある。そこには社会基盤、生産施設、物流、通信、計画運営、意思決定プロセス、すべてがかかわってくる。
兵站という広範囲を示す言葉の裏側に、どれだけ考え、実行に移さねばならないものがあるのか、それを知る一助となれば幸いでもある。
どんな問題がそこにあるのか? (後方支援の一例)
ここでは後方支援(戦務支援)ということでどれだけの努力を払わねばならないのか。ということを想像してみてみよう。
たとえば国内ではなく海外へ陸上兵力として大隊規模(600人程度からなる部隊)を派遣する必要性が生じたとする。派遣日数は不確定であるものの3ヶ月以上、現地の治安はあまり良いものといえず、自衛のための武装は必要とする…として想定してみよう。
- 1) 派遣する人員数に応じた生活物資(水・食料・その他もろもろ)の物資見積もり。
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まず、一人あたり一日どれだけの物資が必要となるのかを考えてみるといいだろう。
必須である飲料水で考えると、生存のために必要最低限、2ないし3Lを必要とするが、これは災害時など緊急時に切り詰めた値なので足りなすぎる。日本では日常生活で使用する水の量は概ね、飲み水・炊事・洗濯・風呂で大体150~300Lといわれている。食糧も(味とか考えないで)一日あたりおよそ500gとされているが、これも最低限度である。貧しい食事は心を荒廃させる。暖かい食事が何よりなのは歴史と実例が証明してる。
現地で作業などを行うのだから当然水や食料はより一層必要となるだろう。上の二つは生活物資だけで、実際は隊員一人あたりの装備品も含めて考えてみるとWW2の米軍では兵士一人あたり25kg。現代では、90kg(!)と3倍を超えているといわれる。割合は、弾薬が20%、燃料が60%、残り20%が生活に必要な水・食料などとなる。
600人の部隊として全て「x 600」で考えると「54000kg = 54t」の物資が一日で飛んでいく計算になる。ちなみに現在、量もさることながら種類も大変なことになっている。
弾薬は細かく細分化され、燃料は石油・重油・軽油など各種に分かれ、食糧も同様である。取り急ぎは戦闘糧食(コンバット・レーション)でいけるかもしれないが、せいぜい1週間程度。それ以降は給食する必要があるだろう。食料品も種類が異なればパッキングが異なり、さらにその梱包材分だけ重量も増えるというおまけつきなのはスーパーで食料品を購入した経験があればわかるはず。また、どれだけの期間派遣するか見えないこと、しかも万が一のことを考え余剰物資もいる。米軍では「30~90日間の予備をプールする」とあるから、30日間としても「54 x 30 = 1,620t」の物資を運び入れることが必要となる。
さて、ここでは重量のみの話しをしたが忘れがちな話として、容積の問題もまたある。モノは立方体なので、タテ・ヨコ・高さがあるので軽くても大きいのもあれば、小さくても重いものがあるので要注意となる。無論、話はこれだけでは終わらない。
どこかの基地などに間借り、あるいは展開するのであればまだしも、状況によっては野戦陣地よりはすこしマシな築城作業を行わないといけないかもしれない。地形によっては整地作業も必要となる可能性もある。
さらに展開先に適切な保管場所がないようであればそれらを管理する倉庫も必要(当然、そこは冷暖房施設のいずれかは必要となる)。これらの建築資材と道具・工事車両もいる。装備品において必要な電力の確保も必要となる。冷暖房のために発電機が必要ならば発電機の設置場所だけじゃなくてその補修パーツも考えないといけないし、当然各種の燃料も必要となる。
通信設備も同様に独自回線ルート(衛星通信)などを確保する必要も考えないといけない。となると衛星会社などの契約やアンテナの設置も必要となるだろう。このように必要なもの、考え、対処しなければいけないことはどんどん膨れ上がっていくこととなる。保管場所だって限られているから、継続してこれら物資を送り届ける必要がでてくるかもしれない。
これらすべての物資を国内から輸送するのか、あるいは現地調達で済ますのか、などの検討も忘れずしておかねばならないだろう。展開先において自国関係の商社ルートがあればそちらからの購入する場合も検討にいれておいてしかるべきだとも言える。
- 2) 派遣先へ人員・物資・装備を送り届けるための安全なルートおよび運搬方法の確立
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必要な物資の数と量の見積もりが出たところで、これをどう送り届けるかを考えないといけない。
国内であれば社会基盤(インフラ)が整っているので、自分達、あるいは輸送業者などに委託して集積・輸送が可能であるが、国外となると話がややこしくなる。
大規模貨物輸送のコストは荷物のトン数あたり、「航空機輸送」>「車両輸送」>「鉄道輸送」>「船舶輸送」となる。
とはいえ派遣先によってはいろいろと制限がかかるし、海に接してない国であれば、当然航空機輸送が主体となるが、自国が運用している輸送機で輸送量が限られる場合、あちこちの空港を経由するための手続きをするか、あるいは一度で渡れるように海外の大型輸送機をチャーターする必要がある(自衛隊は最近ロシアのAn-124ルスラーン輸送機をチャーターしたりすることも多い)。
ところが、問題はそれだけではない。港湾にしても水深の問題が絡んで大型船舶の入港に差しさわりが生じるとか、飛行場にしても滑走路地盤の都合により大型機が使えない場合もある。なにより荷物の積み下ろしに十分な施設、装備、場所、人手があるかも考えないといけない。
無論、国をわたるということは派遣先の税関・検疫の問題も生じるので要注意となるだろう。
最終的な派遣先が港や飛行場にほど近かろうがなんであれ、港や飛行場、あるいは鉄道駅からは陸路の輸送となるため、トラックやトレーラーをチャーターする必要が生じるがそれ以前の問題もある。経由地から展開先まで至るルートの策定と確認だ。最悪の場合、途中の道路や橋を作らねばならないかもしれない。既存の道路があったとしても、どれだけの積載物を乗せた車が走れるかを考えないといけない。道はあってもカーブなど道路形状によって通行に差しさわりがあるかもしれない。
これにより輸送に使えるトラックやトレーラーに制限が加わる可能性もあるだろう。当然、輸送にあたる車両も台数見積もりが必要となるのはいうまでもない。
たとえば10tトラック、20tトラックなどトラック輸送なのか、コンテナ輸送など色々車両にも種類があるが、ここではコンテナ輸送として考えよう。国内、海外でも輸送で使用可能なISO国際海上輸送貨物コンテナ(海上コンテナ)規格のうちの一つである40フィート・ドライ・コンテナをトレーラーで運搬すると積載量はおおむね「26.5t」前後。
となると一日分の物資で(若干足りないが)2両のトレーラー。30日分の確保だと62両のトレーラーによる運搬が必要となる。先にも書いたように持ち込む物資の容積問題もあるし実際はこれより+アルファとして増加が生じるだろう。(ちなみに、冷凍コンテナ = リーファー・コンテナの場合などでも積載量は変わる。輸送する内容によって色々組み合わせが出てくるのはいうまでもない)当然、トレーラーはタダで走るわけではないから、燃料と補修パーツ、交代人員などなどを考える必要がでてくるのはいうまでもない。トレーラーで現地に運んだからといって積み下ろしはどうするのかという問題だって当然出てくる。となると、最初に送り込む資材・機材にフォークリフトなどの荷役車両を持ち込むべきかという判断も出てくる。
このような輸送業務をどこからどこまで自前の部隊で行うか、あるいは現地民間企業などに委託するかなど様々なケースを考えていく必要がある。
さて、さらに現地の治安がよろしくないとすればこれら輸送の警護はどうするのだ?という問題もある。派遣先の国情により様々なケースが考えられるし、法との兼ね合いも生じる。事前に検討しておく必要があるだろう。
- 3) 運搬先へ持ち込んだ装備が十二分な働きをするための整備対応・補給物資の調達管理・人員への対応。
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装備品の運用が当初考えられている地域でない場合、必要なパーツが増える、交換するという手間が増える。
遠隔地になればなるほど、整備のためにいちいち国内に戻すわけはいかないから、整備に必要な物資の見積もりが事前にある程度必要となる。隊員の装備が身に着ける装備ぐらい、つまり軽装備であれば問題は少ないかもしれないが、これに車両、特に装甲車両などの重装備があるとなるとさらに面倒事は膨れ上がる。
たとえば日本から砂漠地帯へ向かうとすれば、隊員の目を守るサングラスも考えないといけない。被服も同様に砂漠地帯に適したものが必要になる。無論それだけにとどまらない、派遣先の風土病などを考慮し、必要な予防接種などを準備しないといけないし、医者などのスタッフの準備は無論のこと手術等の医療設備・薬品なども準備しないといけないだろう。[4]
車両も隊員同様に事前の準備と対策が必要となる。砂漠地帯を走るのであれば車両のエアフィルターにつける防塵フィルターも必要だし、車両が故障した場合、復旧ができるように交換パーツも必要だし、修理する場所と機材も考えないといけなくなるだろう。
またずっと同じ場所で配置させていた場合、兵士達の疲労・ストレスも高まるだけなので国内から人員を送り込んで定期的に交代させるか、あるいは後方の安全地域を確保して慰安に努める必要がある。この考えも必要となる。
むろん、安全対策として銃火器なども持ち込む場合はこれの保全処置(弾薬・銃器の保管)も検討する必要があるだろう。そして、これらの装備品の戦力維持のためには装備品ひとつとっても、交換しやすいこと、共通性があること、など様々なことを平時から検討・実証のうえ、導入していかないといけないことが分かるだろう。
……とまあ、ここまで考えてようやく動かせる。本当に面倒ごとになるのがわかるだろうか。
簡単に日本からアフリカや地球の反対側のハイチまでPKOや災害派遣で部隊を派遣するなどということが難しくなるぐらいに(まぁ、それが任務といえば任務なのではあるけれども)。
いずれにしても分かりやすく言えば、600人の人員を送り込むためには、送り込む人数以上の人員による後方支援業務が必要になるということがわかってもらえるだろうか。大体、1人の前線兵士を支援するため7~8人の後方支援が必要という説もある。
また上記のケースは陸上部隊のケースであるが、一個の生活圏でもある艦艇の場合、あるいは航空部隊の派遣の場合では状況は大きく異なるので要注意である。
ともかく戦略が机上でできるのだとすれば、兵站とはどこまでも数理・理論・現実のせめぎあいの中で最適解、あるいは最良を探していかねばならないといえる。(ここが、冒頭の「玄人は兵站を語る」にもつながるといえるだろう)
最近ではこういう兵站に係る各種業務が民間業者に委託されているケースもある。
施設の建設、装備品の整備補修・生産業務、基地運営業務(事務・給食など)、警備、輸送だけでなく各種業務、最近では訓練業務も含めた後方支援業務がアウトソーシング化されて民間業者へと委託される。
民間軍事会社(PMC)と言われると、イラク戦争のせいで注目された現代の傭兵と思われがちで、わりと悪いイメージを持たれているのも確かだが、その中には兵站業務を請け負う会社も多くふくまれている。
しかしこのように兵站活動をアウトソーシングしてしまうと軍隊の特色・メリットでもある完結したユニットとしての能力が揺らいでしまうというデメリットもまた指摘されているほか、戦時などにおいて民間企業がどれだけ協力することができるのかという疑問点もまだのこされているし法的な問題などもあることも触れておかねばならない。
兵站の中での装備品調達とライフ・サイクル・コスト、可動率(稼動率)の関係
前述した後方支援の一例でも簡単に述べたが、兵站活動の中で重要なもののひとつに装備品調達がある。
装備の開発・導入にあたって継戦能力を維持するためには、適切かつ明確な装備品の品質をキープしないといけないし、性能は良くても継続してその能力が発揮できないといけない。
そのため、装備の調達にあたっては想定される戦場などを加味して幾度となく実戦に即した状況でその能力が発揮できるかを調査する一方、万が一の故障時にできるかぎり早く戦線に戻すことが可能なように整備性なども考慮して開発したものを導入する必要がある。
また装備品のもつ性能を十二分に生かすため、運用担当者(兵士など)、整備担当者向けに各種マニュアルを準備することも兵站・後方支援業務の重要な役目のひとつでもある。
ライフ・サイクル・コスト = 導入コスト + 運用コスト + 改修コスト + 廃棄コスト
こういう装備品を導入するうえで欠かせないのが、ライフ・サイクル・コスト(Life Cycle Cost:LCC)の考え方でもある。
社会人であれば大体身につく感覚ではあるのだが、これを理解していない人々もたまにいるので簡単に説明すると、ライフ・サイクル・コストとは「その装備品を導入している間にかかるコスト」のすべてである。つまり取り入れてから捨てるまでの時間のあいだ全てにかかる手間や費用をコストとして計上し、いかにそれらのコストを軽減するかを考えるやり方である。
導入コスト
導入コスト(イニシャルコスト)とは、購入前の事前調査や設置、購入など導入に纏わるコストの総称である。
購入する前に必要なことは「コレ要るの?」という、最も基本的かつ単純な疑問である。内陸国なのに「潜水艦いいよね」なんて言ってホイホイ買うわけにいかない[5]。歩兵用の乗り物にセグウェイを陸軍に入れさせても陸軍がいらないと言えば終わりである。空軍が「戦車くれ」といってきてもそれを入れることにどれほど意味があるのか検証しないといけない。目先の「これほしい」に影響されることなく、その取り入れようとしているものが自分たちの国情/軍隊にどれほど合致しているかというニーズを把握することが第一歩である。
製品のカタログ集めをするのももちろんだが、担当者やメーカーのいう「これだけあれば何もいらない最強の武器です!」という宣伝文句を鵜呑みにするわけにもいかないので、「本当に使いやすいのか」、「本当に強いのか」、「自然環境を悪化させないか」「使用対象にどれほど影響があるのか」など自分で確かめる必要がある。そのために行うのが調査・検証である。
まず使うためにどれほど必要かという個数を把握し調達する必要がある。壊れやすいのであればそのぶん数仕入れる必要がある。次に銃などの兵器は弾薬が必要になるので、専用弾薬となればさらにそれも仕入れる必要がある。ターゲットとなるものを用意して使用し、使用者に感想を聞いたりしても少数すぎると検証できないので部隊単位で使用させる必要がある。破壊力・貫通力や撃った時の兵士の変化、使い心地を観察する必要もあるので、カメラやその他装置でも費用がかかる。
トライアルやテストも終わり、性能が確認できたため、これで晴れて導入・・・かと思いきやそうはならない。
機材導入に伴う新しい設備導入、教育のための準備などもこれに当てはまる。
新兵器を導入する場合、自軍の兵士にはそのノウハウを積んでいる人がいないのだから、外部から人を招いてスキルを兵士たちに積ませなければならない。そして、その教育を行うための場所と用具、兵士に行わせる教育の時間(既存の時間割の中から時間をひねり出さなくてはならない)も確保する必要があるため人件費も発生する。
広く伝えるためのマニュアル策定と教科書の発行などといった教材の手間もかかる。さまざまな整備が必要な兵器なら、整備士など兵士以外の人間も巻き込んで教育を施さなければならなくなるうえ、理解度の進捗に応じて時間を延長しなければならないケースも有る。
ただ、どれだけ試しても必ずしも導入にはつながらない場合もある。2000年代前半に行われたアメリカ軍次世代の制式小銃トライアルおよび比較テストでも、「Scar」「HK416」「XM8」などがM16やM4カービンを更新する候補としてあがったことがある。しかしHK416は少数の配備にとどまり[6]、XM8は見送られたりと[7]、一度決まったもの、それも軍全体に関わるものを変更することは容易ではない。アメリカ軍は相手国の銃でもなるべくパーツをライセンス生産させること、および既存のパーツやノウハウを流用できる形で更新していく方針を維持している。
また、そもそも国家の防衛を考える場合、いつかその国との関係が悪化したときに相手が武器・兵器の輸出を断ち切ってくることもありうる。友好国であっても輸出した兵器のシステムを自分たちだけ有利になるよう意図的に変えて送り出していることもありうる。それは自分たちの命を相手の裁量や都合で握られる形になることであり、どれだけ使いやすくてもどれだけ安くても他国の武器を全面導入することはありえないため、導入するにしても、有用性と経済性、それに加えて取り入れる/取り入れた場合の政治・外交といった国益のバランスまでも考える必要が出てくるため他国の物を取り入れる時は非常に難しい。日本はじめ世界の先進各国が多少お値段が高くても自国産の兵器にこだわるのはそれが理由である。
(実際、アメリカは他国に輸出する際にソフトウェアなどを一部削っており、ハードを100%発揮できるようには作られていない。日本のF-15Jは日本専用モデルとして、韓国のF-15Kは韓国専用モデルとして出している。)
(90年代後半から2000年代前半にかけて行われた東ティモールのインドネシア独立に際しては、インドネシアが国軍による鎮圧をはかったところアメリカが制裁として兵器の輸出禁止を行ってきたため、アメリカからの武器や兵器の取り入れが望めなくなったため、インドネシアは対抗措置としてロシアからスホーイ戦闘機を始めとする兵器群を購入したことがある。ちなみに現在もインドネシア軍は米露の武器が混在している)
また、兵器の導入がもたらした外交問題としては、1990年代のフォークランド紛争において、アルゼンチンがフランスから購入したミサイルがイギリス軍をことごとく潰す大戦果をあげたため、マジギレしたサッチャーがフランスと国交断絶する寸前までいったことがある。[8]
……ということを、担当含めた軍隊や国家は、購入前の段階からあらかじめ見積もる/考慮する必要がある。
数回~数十回にわたる検証や調査、それを導入する場合どれほど体制やシステムを変えなければならないか、システムを変える場合どれほどの担当者や時間を確保しなければならないか、どれほどの兵士ふくめた人間に教育しなければならないか、どれほどのテキストや教育プログラムを用意しなければならないか、まで考え、見積もり、それらが「対価と釣り合っている」と判断された装備や兵器のみがようやく導入される。それが導入コストである。
運用コスト
色々と不確定要素の大きいのが運用コストでもある。
ここでは理解を得やすくするためにも運送会社におけるトラックを想定してもらおう。
トラック10台をもつ会社において、トラック1台あたりの1日の直接利益は5万円としてみよう。
このうち、1万円は燃料代(純利益4万円)。1ヶ月の利益は? 4万×30=120万円がトラック1台あたりの利益になる…とはいかないのが実際のところである。
なぜならこれは、1ヶ月の間トラックがノンストップで走れたらと仮定したうえでの計算だからである。
実際に車を運用するためには様々なコスト(および時間)が必要となる。
万が一トラックで運搬中に故障した場合、もう1台のトラックで牽引しないといけなくなるかもしれない。
牽引用のトラックが近くにあればいいが、たとえば1日かかるとしたら、移動時間で2日・牽引で1日で3日かかるかもしれない。実際に動かない車両3日分+牽引車両も3日分の損が追加さなる。これでは大損害となる。
これを防ぐためには車両が壊れにくくトラブルを生じないように定期的な点検業務とメンテナンスが必要となるのはわかるだろう。そして、トラックがどれだけの距離を走り、荷物を乗せたのかもチェックする必要がある。これらもコストに計上される。なぜならば、車にとって重要なオイル交換の時期などは車の走行距離などにより左右されるからでもある。こういった点検によってかかるコストもまた運用コストになる。
※ここでのコストとは人件費などトータルな意味で、と捉えてほしい。
このように可動に必要な(非可動を生じる)時間は総じて「ダウンタイム」と呼ばれ、必要なコストを計上していく必要となる。そしてダウンタイムの中から、一度の任務終了時から次の任務までにかかる補給・点検にかかる時間が「ターンアラウンド(タイム)」とよばれ、より重要視される。1日運用したから次の任務まで半日かかる…というのでは無駄があるためだ。(これらを軽減するため、F-35などの最新型兵器ではコンピュータによる自己診断方式によりあらかじめ状況を機械のほうから伝えるということも行われているそうだ。またスウェーデンの戦闘機は歴代再出撃能力をかなり重視しているためかこのターンアラウンドタイムが短い。ドラケン、ビゲン、グリペンを参考のこと)
「ダウンタイム」の中には当然故障修復も関わる。車が故障した場合、たとえばそれが修理に1日かかるとすれば、一ヶ月の利益は4万円減。万が一部品が届かず2日かかったとしたら、3日分可動できないので3×4=12万円が喪失コストで、さらに部品代も必要となるからさらにコストは加味される。
ここで問題になってくるのは、こういった場合トラックは果たしてどれだけの信頼性があるのか、という点となる。信頼性とは機械が十分に可動することであり、これは可動率としてどうなのか。という形であらわすことができる。可動率とは、MTBF(平均故障間隔) ÷ (MTBF + MTTR(平均修理時間))で算出できるが、MTTRには修理・補修用のすべての時間が入る。つまり部品が届くまでの時間も加味されている。
(MTTRで述べてる意味の重大さの一例として、自作PCを利用されている方にわかりやすくいうと、パーツの一部が故障したとして、MTTR=「故障したパーツの洗い出し + 部品購入のために近くのPCパーツショップに行き、購入し戻ってくる時間 + 故障したパーツを交換する時間 + 動作を確認する時間」といえばわかりやすいだろうか。専門用語などではリードタイムとも言われる)
つまり故障間隔が100時間あったとして部品の発注などの手配に8時間、実際の修理まで2時間の計10時間かかるとして、「100 ÷ (100 + 10) = 90%」の可動率となる。トラック10台のうち9台はつねに動かせるということになる。
では故障間隔が90時間で、部品の手配から修理まで5時間で済むとしたら?
答えは「90 ÷ (90 + 5) = 95%」の可動率となる。ここに可動率の考えの難しさが出てくる。
『壊れにくくて直しにくい』よりも、『壊れやすくても直しやすい』ものが良い場合もあるということになる。
平均修理時間を短くするためにはどんな方策が良いのだろうか。色々方法はあるのだが、以下の方法が代表的となる。
- 1) 時間/使用状況交換
- 機械がある程度無事で動くであろう時間や使用状況を算出し、前もってその時間などに達する前に部品を交換してしまう。オイルの距離数、あるいは月単位などの交換がこれにあたる。故障していないのに?と言われるが、故障が発生すると更なるコスト高を生む可能性があるので、考え次第ではある。
これが可能になるのは正しい運用記録があってこそ、なのでそこらへんを手抜くと大変なことになる。 - 前述したようにF-35に代表される最新兵器の場合だと時間交換では無駄があるため、使用状況をセンサーにより監視し、交換時期を知らせるなどの方法もとられている。
(もし車を所有されている方であれば、一度ちゃんと整備マニュアルを読むことをおすすめする。メーカー推奨の運用に応じたオイル交換距離数などが書かれているので、某車パーツ量販店とかスタンドが推奨しているオイル交換時期がどれだけもったいなさすぎるかが見えてくる) - 2) 修理時間の軽減対応。
- 故障した箇所の修理そのものは後回しにして、故障が発生したらその該当部品ユニット全体を交換してしまう方法が最近では一般的である。アッセンブリー交換と言われる方法で、交換する必要がない部品も含めて交換するため無駄があると思われがちだが、交換時間は短縮できるし、そう出来るように構成されているのが通常である[9]
- 数日かけてエンジンユニットを分解して修理するより、エンジンユニットごと数時間で交換できるようにしたほうがいいのはわかってもらえるだろう。交換した部品は後方のデポ(補給処)やメーカー工場など、しかるべき場所で修理を行う形とする。
この反対が現地修理、あるいは機上修理とも言われる方法で、その機材をそのままの状態、その場所で修理するという形である。整備員の技術力が高ければ容易だが、低ければ可動率に影響が出るのは自明である。 - もっともデポによる修理もコストのうちだし、アッセンブリー交換パーツもある程度そろえておかないといけないのは言うまでもないし、当然デポで治らないとメーカー送りになるのでパーツそのもののダウンタイムは増加する。実例としてフランスのMBTルクレルク(ルクレール)戦車のようなケースもあるので当該記事を参照してほしい。
いずれにしても「カタログスペック上は良いのだが実際は…」といわれる理由のひとつがこのMTTRであらわされる修理時間の問題となって現れてくるのである。どれだけ高性能でも予備パーツが潤沢でなかったり、故障修理に時間を要したりするのでは意味がないし、それを整備する人のスキルなどの問題も重要になってくるのだ。
最近では運用コスト軽減…というより予算削減のあおりもあってか、整備を外注委託するケースが多い。
先にも記述したが、民間企業で行われるサプライチェーンマネジメント(Supply Chaine Managment、SCM)では複数企業で柔軟な部品調達などのやり方ができることあってか、維持整備の作業量で発注するのではなく運用パフォーマンスの結果に応じて…つまり、単年度契約として年○○回整備だから○千万円、という形ではなく…複数年契約として発注(自衛隊)側の要望に応えられたかで判断し、報奨金などを払うことでサービス向上へのインセンティヴ(ニンジン)を発生させるという方法をとっている。これがPBL(Performance Baced Logistics)と呼ばれる方法で、米国、英国などで行われている手法を現在防衛省も行う形となっている。興味のある方、あるいは詳しく内容が知りたい方は以下を見てほしい。
余談だが、アメリカ空軍嘉手納基地で運用されるF-15、54機は韓国の大韓航空がPBLでデポ整備を請け負っている。韓国の場合、F-15Kの整備もあるためボーイング社と部品供給契約も別企業が結んでおり、実はアジア地区におけるNATO規格製品の供給可能国、そのLv2にあたる「NATO Tier2」の国だったりする。日本では、武器輸出三原則など様々なしばりがあったのも遠因だが、NATO Tier2という観点があまりなく、この観点のなさが装備品調達における高コスト体質の原因なのではないかという指摘もある。
米国においては日本はあまり装備調達能力が良いとは思われていないこともある。以下を参照。
日本がF-35導入を決定し最終組み立て工場などが置かれることによりF-35の整備などPBLにより日本企業が担うのではないかとも言われているが決定はしていない(が、韓国の国防筋、議会が問題視した理由も、PBL契約による技術獲得が多いためと思われる)。
そして誤用も多々多いのだが、「可動率」と「稼動率」の違いも注意しておくといいだろう。
上記のとおりトラック10台中9台が『機械的に動かせる』のが可動率。運搬作業などが無く『必要がなくて動かさない』のが稼動率として数字に出てくるので注意が必要となる。重視しなければならないのは可動率となる。
さらにこれに必要な燃料代などの油脂類のコストも場合により急騰したりするのでさらに問題になる場合もある。現在アメリカ軍では原油高騰を受けて代替燃料などの対策に乗り出してもいる。
いずれにしても、運用コストの算出は様々な要因が重なって分かりにくい点もあるが、事情を知ると色々と見えてくるものがあると言えるだろう。
改修コスト
運用コストにも絡む問題だが改修コストも最近いろいろと問題になっている。
最近の軍用品装備ではコストを下げるため商用オフザシェル(Commercial Off-The-Shelf)、すなわち「COTS」が行われているが、これはもともと開発当時の電装品や電子機器が日進月歩のスピードで進化するため、軍用規格で製造する、あるいは新規に定めるためのコストがバカにならないという点から、民生品を活用すればコストが軽減できる。とされていた。
特に顕著なのはコンピュータ関係で、有名なケースではアメリカ軍のイージス艦にはWindowsNTベースのOSが一部使われていたり、英国の潜水艦などの艦艇にはWindows2000ベース。モニタは18インチの液晶モニタ。接続はMatroxのグラボとDVI接続……とまぁ、普段我々が使うこともある自作PCと変わらないものが使われていたりするのだ。
これでコストが軽減できる…わけがない、というのが最近あきらかになってきている。いざ修理の段階、あるいは改良の段階で当該部品が市場に出回っていない(もう生産終了されている)ケースが多くなってきているのだ。
結局は逐次、使用しているパーツが無くなるたび、あるいは更新時に最新、あるいは安定している部品、OSなどを再度システムインテグレーション(摺合せ)する必要がある。※システムインテグレーションについては「F-X」の記事などを参考にしてほしい。
昨今、このシステムインテグレーションに関わるコストが意外と大がかりになってきているとされている。
たとえば前述した18インチのモニタが無くなったとしたら、代替えのモニタを準備したり(サイズが違えば最悪コンソールのレイアウトも修正することになるだろう)、該当するチップがなくなれば上位あるいは下位互換のものを探さねばならない。それぞれその都度検証が必要になることがその理由でもある。
また、改良するにしても既存装備とのすり合わせが必要となるのは言うまでもない。OSなどのソフトウェア的更新はともかくとしてハードウェア更新の場合重要となるのは、意外とシンプルな問題、すなわち電源供給手段と物理的スペース問題だったりする。[10]
日本国内でF-15は多段階改修(MISP)が積極的に行われているが、F-2は物理的スペースに乏しく、いささか難しいことになっていたという事実もある。逆説的にいうとF-15はこの点が容易であるため、現在にいたるも主力で居続けられるということでもある。
一方、ソフトウェア更新も最近は問題が取りざたされている。イージス艦の内部バージョン、ベースライン(詳しくは「イージス艦」の記事を参照のこと)において可能な任務にバラつきが生じていることもあり、現在、近代化改装に合わせて下位ベースラインからアップデートする作業が行われている。これはWindowsのUpdateを経験している人ならイメージがわきやすい話だろう。たとえればレイトバージョンのWindows向けIE最新型が出るようなケースをイメージすると良いかもしれない。
また、開発スケジュールの遅延が色々と取沙汰されているF-35も同様である。センサー能力、ネットワーク能力などが発展したこの機体を運用するソフトウェアプログラムは最初から完成版をリリースすることをあきらめ(テスト項目が莫大になりスケジュール遅延の理由にもなるため)、コアな機能のソフトウェアをリリースし、あとはアップデートでハードウェアの能力を最大限に生かそうという計画となっている。現在の兵器システムの高度化に対してソフトウェアも含めたシステム開発の手法が追い付いていない、という実例ともいえるだろう。
とまぁ、改修コストもそれはそれで問題だが、最近では戦闘機も運用期間が20年。空母にいたっては50年という運用期間になりつつあるので、どう見積もりたてたところで、まだ計画にもなっていないのであるから、ドンブリ勘定に近いことがある。…実際は複雑な計算式とか経験則である程度は見込めるという話もあるのだけれど。
廃棄コスト
最後に廃棄コストが関わってくる。昔みたいにどこぞのスクラップ工場に投げ捨てるというわけにもいかないため、法手続きにのっとり、しかるべき業者に委託しないといけないだろう。(日本でもまだ米軍が牧歌的だったころ、そこいらのスクラップ置き場にいろいろお宝な代物や物騒な代物を無造作に投棄していたという逸話があれこれ残っている)
最近ではアメリカが(イランへの部品横流し禁止のため)F-14の廃棄にえらく気を使ったり、ロシア(ソ連)の空母が紆余曲折中国で使われたりするので、英国も空母を廃棄する際に処分作業業者の入札にあたり国内業者限定としたり、フランス空母が中にアスベストを使っているので解体する際にあちこち転々とする羽目になったりとまぁ、ここも要注意であるといえるだろう。
まとめ
このように各種様々なコストが積み重なって、ライフ・サイクル・コスト(LCC)となる。
前述したようにライフ・サイクル・コストの大小による影響はかなりの長期間にわたって発生する。それに付随する問題、たとえば可動率、改修コストも同様なわけで、ついつい「海外のアレを装備すれば強くなる」なんて簡単にはいかないことが多いということも(ある程度は)わかってもらえると思う。
最近では改善の傾向がみられるものの、日本においてもアメリカのFMS(対外有償軍事援助)で装備品の調達を行う機体の場合、部品調達がままならないしコストもいろいろと増減する。そのため必要な部品が必要なときに手に入らず、最悪悪夢の共食い装備(部品の融通)などをして機体の可動率が落ちるケースもあるのだ。
結局のところ平均故障時間を軽減し可動率を向上させるためには、確かな技術力のある整備工場と部品の安定供給が必要となるのである、なので自衛隊では極力国産にこだわったりする理由がそこにあったりもするのだ。この点に纏わるエピソードはAH-64の項目でも触れられているので参考にしてほしい。
最後にまとめとして書くと『装備品はカタログスペックだけでは判断はできない。負荷になりすぎないコストと安定した信頼性と部品供給、拡張性がその装備品の価値を定める』ことが見えてくるだろう。
数々のケース
ここでは戦訓・ケーススタディとして過去、実際にあった実例をいくつか紹介する。
1.「東日本大震災における自衛隊の補給活動並びに民間支援」
地震発生から自衛隊は活動を開始したのだが、問題は動員数。時の政府が10万人体制と口に出したのだが、陸自が7万人規模となった。陸自隊員数14万人なのだから、いくら国内とはいえ1/2の人員を動員するのである。
被災地の仙台駐屯地・東北補給処では平時2万人規模の補給業務が5万人を管理することになった。
単純2.5倍。処理しなければならない物資が2.5倍になるということはそれにかかる手間も2.5倍になり手間隙は累乗のごとく積み重なる。国内の流通も困難である中、隊員達に必要な食料などの手配のみならず被災地で救助活動に働く隊員に必要な装備、たとえば胴長などの装備などは事前に準備しているシロモノではないのでこれを調達していくという困難さがそこに生じていた。
東北補給処の担当は全国の部隊に頼み、全国の釣具店をしらみつぶしにあたり胴長を調達する一方、自作できるものは自作して提供。戦闘服などの洗濯を受け持ち、これを裁く間、良くも悪くも手持ちのものでなんとか都合をつけようとするであろう現場部隊に対して「推進補給」を行うことを決定した。
「推進補給」とはひとつの部隊から装備要望の声が上がれば、それを吸い上げ、要望をあげていないすべての部隊に積極的に補給することで部隊運用の効率化を図るという手段である。
各部隊にある潜在的ニーズをくみとり、より円滑な活動を促すことが目的ではあるが、補給部署の柔軟性が求められる方法である。担当者からは「平時ではなく有事であるとの判断から行うことを決めた」という発言が残っている。
さらに政府からの指示で、地元自治体職員などの被災により円滑に回らない支援物資の補給を行う民間支援を行うように指示され、これに戸惑いながらも進むこととなる。兵站業務においては、「有事の際に求められる必要な柔軟性 = 完璧なものでなくとも求められるものに対して答えていく能力」が自衛隊に備わっていたことの証であるともいえるだろう。
(ちなみにこの「推進補給」、熊本地震において見られるように「プッシュ型支援」として自治体の要請を待たず国が必要不可欠な食料などの物資を民間業者を通じて被災地に送り届ける形で運用が開始されている)
このように自衛隊における大規模な「実戦」において、陸・海・空の統合運用も合わせてスタートし、一応は成功裏で終わった一方、数々の問題点も指摘されている。
代表的な問題としては海上補給路の問題があげられている。被災地へと物資を搬入する上で一番コストも低く大規模に行えるのは船舶輸送である。しかし、当時の海自に使えた大型輸送艦はおおすみ型輸送艦「くにさき」のみ。このため、民間フェリーを利用しようとしたが都合がつかない。一隻のみ確保したフェリーを利用しようとしたのだが、人員と燃料を同時に運ぼうとするのは 法律である「危険物船舶輸送および貯蔵規則」に抵触するため運べない。
一応しかるべきスジの判断のもと「超法規的処置(超法規的措置)」がここで働いて輸送できることになったものの、結果的に船会社が了承したのは軽油のみという形となり、当時現地でもっとも求められていたガソリンなり灯油なりを運び込むためには別途海自の小規模な艦艇を手配するしかなかった。これは船会社だけが悪いというわけでもなく平時においてこのような事例を検討していなかった国の関係各機関の問題でもある。
また、北海道で余剰していた高速フェリー「ナッチャンWorld」も自衛隊の要請をうけて輸送任務にあたったが、車両乗り入れのためには専用岸壁が必要であるため、有効的に利用されたとは言いがたい。後日、独自で車両を乗り降りできるように専用ランプが増設されたのも、これが一因であると思われる(以後、自衛隊の転地演習でいろいろとレンタルされているのは周知のとおり)。
専門家は「現在注目されている離島防衛が必要な際に、速やかに装備・弾薬・人員を移動させるためには、平時よりこのような状態を改善していくべきだ」と指摘している。※この件は後述。
一方、地震発生時、国内某大手自動車メーカー(自衛隊のトラックなどを収めている)の担当社員は、地震発生後に派遣される自衛隊が主として使う73式大型トラック(3 1/2tトラック)の補修部品のパーツをすべてキープするように指示を出した。
73式大型トラックといっても、複数の世代があり各々エンジンの内容も異なる中、数万点規模にわたるパーツすべてのキープ指示であった。これが可能だったのは事前に必要な部品をリストアップしていたからほかならない。
また(空自・海自は別としても)自己完結能力の高い陸自であれば後方補給処において整備は可能であり、メーカーとしては必要な部品を供給さえできればなんとかなると考えたという。
その一方で、自社部品・エンジンを使う他メーカー製造車両にまで行き届かない現状から、これらの必要な補修部品の洗い出しにも目を配ることとなる。(国内の大型輸送車両メーカーは相互に部品共通化などを行っており、○○社だからといって、その会社が作った部品だけではないという実情があった。これは自衛隊車両も同様とのこと)
これら陸自の車両だけでなく福島第一原発に投入されたハイパーレスキュー車両も写真から型番を洗う努力を行う一方、復興支援で動き出した民間車両の補修パーツも確保するために尽力することとなる。平時とは異なり、破損するパーツ傾向も異なるだけでなく被災地にも部品製造メーカーがある以上は代替品も必要であるため、このようなことからしめて9万点のパーツ番号を確認、補充を欠かさぬよう注力することとなったという。
このように、必要なときに必要なものを用意するためには事前準備と注意が重要であるということ。。これもまた平時でも有事において必要な兵站業務のひとつの役目ともいえるだろう。
そして、自衛隊とメーカーだけではなく、震災にあたってインフラ、すなわち道路復旧などに携わった国土交通省東北地方整備局もこの二つの教訓を示している。
彼らは被災地において救難活動の動脈となるガレキの山で覆い尽くされた国道を啓開(けいかい)し、津波のあとに残った海水を排水し、被災市町村への通信手段を提供し、前述した燃料、そして被災で亡くなられた方の棺桶を調達・輸送するという、自らの所管業務以外の物資調達に邁進することになる。
彼らの苦闘もまた、「大地震」という実戦における兵站活動はいかにあるべきかの記述を残している(後述)。
2.「湾岸戦争とイラク戦争における兵站業務」
湾岸戦争において当初問題になったのは、湾岸地域には米軍部隊が展開しておらず緊急展開部隊(RDF)を航空機で送り込んだとしても、当時アメリカ軍主力部隊が在籍していた欧州大陸から重装備を湾岸地域までに運び込まねばならない点だった。
兵站業務を担当したパゴニス准将は、渡されたドル札を手に数人のスタッフで現地に赴きオフィスを開くことになる。
ごくごく短い30日間の間で3万8千の兵士を現地に運び、163,581t分の機材を荷揚げする。
この時、こともあろうに装備品の多くは重量のみが記載されているだけで、高さ、幅、奥行きの記述がなかった。このために簡易的なプログラムを作成し、運び入れる船などの手配を行うことになる。
彼らは最終的には 56万人の兵士と12,435台の車両、33,100個のコンテナにより7百万tの物資を世界中から湾岸地域に投入することに成功した。
また現地到着後においては港に建設した整備工場を通して、MBTのM1戦車に対して105mm砲搭載を120mm砲に換装し、M1A1仕様にするだけでなく、劣化ウランによる強化装甲を付与し防御力を高めた、M1A1(HA)仕様、そして各種車両も各種砂漠戦に必要な装備を追加、交換する業務を行っている。
この交換作業はメーカーなどから志願した民間人によって行われており、彼らは交代で24時間フルに働き、湾岸戦争に投入された1400両以上のM1にたいしてこれらの作業を25%の計画前倒しで完了している。
事前にM1は発展余力を残して開発されていたのもさることながら、迅速な部品交換・改良を可能にしたM1の設計思想と部品の手配・搬入・交換を可能にした実例を見れば米軍の兵站能力の一環を示しているだろう。
そして、"砂漠の嵐"作戦開始に至る前年12月、パゴニス准将と指揮官シュワルツコフ大将との間で必要な物資の手配のために作戦開始日時についての緊迫したやり取りが続いた。国連決議が求めるイラク軍撤退期限である1月16日を起点として、攻撃発起日時(ゼロアワー)として定めた2月1日までに指揮下の部隊をイラク軍に悟られずに西へ展開し、必要な後方支援を行えるかと問われたパゴニス准将は無理であると告げる。
では1月16日に作戦開始が必要なのか(つまり部隊の移動を行うことで補給路が伸びることが問題であれば、補給路が短い今の段階で必要な物資を準備し、作戦と共に後方支援活動を行うことが可能か)を問われたパゴニス准将は21日間もらえるのであればと答える。幕僚スタッフが懐疑的なまなざしを向ける中、シュワルコツフ大将は確約を求め、それに応じたパゴニス准将は支援計画案の図表の下に以下のようにサインした。
そしてパゴニス准将に後方支援部隊はこの誓約を見事に果たしたのだった。
以外と知られていないが、戦争終結後、一年半をかけてすべての車両を整備・解体・検疫を行い、撤収作業も行っている。
しかし、湾岸戦争では思いもよらない展開も多く、WW2以後定番だった「前線への補給を後方に設置した補給所・物資保管から行う」ということでは問題があることが明らかになった。
港に送り届けられた膨大な量のコンテナは、中に何が入っているのか分からない為わざわざ開けて確認する必要があり、そこからさらにパッキングしてトラックで必要な場所に送り込むという手間を強いられていた。また前線部隊は過剰に補給物資を要求する傾向があり、これも補給・輸送部隊の負担を増やした。
部隊の後方にある補給所には物資がうず高く積まれ、本来その物資が必要な部隊へ届かないというケースも生じた。
※湾岸戦争の後、米軍はすべての補給物資にRFID(電波を使用して情報の読み取りを行うICタグ)を取り付け、中継地で読み取り装置を通すシステムを構築することで、個々の荷物の中身や現在位置を確認する手間を大幅に減らした。
ところが、物資を届けた後は「空のコンテナをどう扱うのか」という問題が発生。しかもコンテナもタダではないので出来れば回収したいが、回収するには(え……空気しか積んでないコンテナを持って帰るの?)などといった問題が生じており上手くいかない。
また、RFIDタグでの把握はともかく、部隊近くまで運ばれた物資を、のこりワンマイル、どう前線の兵士に届けるのか、たとえばイラク戦争のように急速な進撃スピードで前進していく部隊にどう届けるのかということによって大きな問題を残すことになった。
また、戦争終結後の治安維持活動時でも大きな問題が残り、安定した物資供給のためにはトラックによるコンボイ方式で大量に運び込むことが必要だが、それではテロの攻撃目標になってしまうなどのデメリットが多く発生している。そして、湾岸戦争からスタートした兵站業務の一部民間へのアウトソーシングがよりイラク戦争では積極的に行われたが、民間であるがゆえに任務の確実性などが揺らいでしまうなどの弊害も指摘されている。
これはイラク戦争のあとのアフガニスタンでも同様で、部隊を展開した場所が内陸部にあるため、当初は海路でパキスタンまで運ぶ陸路で輸送という手法だったが、主にパキスタン側との問題で使用できなくなり、航空輸送拠点となるキルギスのマナス空港を経由してアフガニスタンのバグラム航空基地に航空輸送。そこから陸路コンボイで輸送というとんでもないことになっていた。これは非常にコストと輸送量に負担がかかる方法で、アメリカ軍の兵站業務をかなり圧迫することとなった(詳しい位置関係を知りたい人はGoogle Mapなどで検索を)。
隣国パキスタンなどのルートがあまり信用がおけないなど、政治的な思惑もからんだ様々な理由からではあるが、米軍の脅威のロジスティクス能力をもってしても、内陸部への補給は負担が大きいことを示している。
3) 兵站から見た装備品導入・配備・整備の問題
兵站の立場から装備品を導入する場合には様々な問題点をクリアして初めて戦闘力・継戦能力の獲得ができるというべきだろう。先に説明したライフ・サイクル・コストの策定にも関わる問題ともなる。
装備開発段階、そして運用段階からも兵站は深くかかわっており、その奥深さがうかがいしれるだろう。
■日本の事例
実例の一つとしてもっとも有名なケースでは日本陸・海軍航空機の仕様不徹底問題がある。
日本陸軍および海軍においては、黎明期に参考にした国の違いから仕様が混在していた。ましてや、陸軍機三式戦闘機「飛燕」に使用したハ40/ハ140エンジンと海軍機「彗星」に使用したアツタ21型発動機はそれぞれドイツのダイムラー・ベンツDB601エンジンをそれぞれがパテント料を払い、それぞれ異なる改良(というか妥協)を施して運用していた。ついでに、それぞれのエンジンは原型に形式違い(海軍がA型、陸軍がB型が原型)もあり相互に運用できないというおまけつき。いくら陸海軍の対立があるからといってそれぞれ陸軍機、海軍機で仕様が異なる部品を作らせるなど少ないリソースしかない日本においてこんなことをやっているのは兵站上からいって問題でしかない。とは言え、元々アツタ11型(BD600エンジン)を生産していた事でライセンス権を獲得した愛知飛行機がアツタ21型(BD601・A型エンジン)を陸軍への供給分も生産する余力がなかった為、川崎重工が後からライセンス権を得て陸軍生産分を担当する事となった経緯があり、陸軍は改良型のBD601・B型エンジンをハ40として採用し、両者の部品に互換性がなくなるという事態となっている。
また日本陸・海軍で使用した「誉」NK9/ハ45エンジンの問題も根が深い。
二千馬力級エンジンとして開発されたこのエンジンは、当時の日本としては限界まで突き詰めた高性能エンジンだった。
「栄」エンジンの7気筒(シリンダー)を二つ重ねた14気筒レイアウトから、それぞれ2気筒を追加。18気筒エンジンとしていたものの、高性能さは構成部品の高品質を必要とし、コンパクト化のためにシリンダーの間に手が届かないなど整備性は悪く、あれこれとシビアな整備能力を要求し、生産現場での非効率さによる低調な生産性と品質とも相まって十分な能力を発揮したとは言い難い。
理由としては様々な原因があげられる。もともと栄エンジンとほぼ同様のサイズで倍の二千馬力級エンジンというのはいささか野心的過ぎた(液冷が主体の欧州や米国でも空冷二千馬力級エンジンは「誉」よりもサイズが大きい)。
実験機レベルであればともかく、戦時においては十分な提供がままならなかった。整備性が悪い問題もエンジンの問題が大きいともいえる。開発段階においてもそういった生産性、整備性に対する考慮を図ればよかったのだが、問題があったということはいうまでもない。無論、技術者たちも改善を行なったものの、戦時中のためにエンジン品質を維持することは難しかった記録が残っている。
原因の一つでもある整備兵の技術レベルの低さもあるのだが、これが改善できることは、陸軍において誉/ハ45エンジン搭載の四式戦「疾風」を運用した「飛行第47戦隊」が証明している。第47戦隊は独自に技能優秀者を集め「整備指揮小隊」を編成、部隊全体の整備マネージメントを行うなどして誉/ハ45エンジンの可動率を100%(!)維持した。秘訣もなにもなく定時点検整備に若干の改善を加えて正しく行うこと、各整備小隊のレポート提出など厳密に教育を施す一方、機体を操るパイロットにも詳細なデータ付レポートを整備に提出(つまりフィードバック)するようにしたのだといわれている。
整備指揮小隊指揮官は、誉/ハ45エンジンが悪いのではなく「陸軍の整備教育が悪かった」という発言を残している。一方、日本海軍も同様に、誉ではなく前述の液冷アツタ発動機を搭載する彗星を運用した美濃部正少佐が率いた「芙蓉部隊」が、整備指導者をメーカーに派遣し整備方法を習得。部隊に持ち帰ることで高可動率を実現していることを付しておく。
また誉エンジンの可動率には別の側面もあるという。陸軍飛行第104飛行隊は展開先の満州の倉庫にあったデッドストックのアメリカ製オイル(潤滑油)を用いると、80~100%の可動率になったという。
この潤滑油、実はかなり根深い問題で、当時アメリカ産潤滑油の成分と日本が占領統治下にあった産油地からとれる成分とは異なっていたため、という問題もある。
■アメリカの事例
一方、米軍のケースでは「誉」エンジンとはまた違った理由で高性能だが稼働率が低く問題が多かったB-29に搭載されていたライトR-3350エンジンの対処法がある。
開発に時間を必要とした難物の高性能エンジンであったが、軽量化のためマグネシウムを多用したために発火しやすく、離陸した途端に炎上するなどトラブル続きで、稼働率はお世辞にもよいものではなかった。なにしろ初期の可動時間は200時間しかない。このため初期の任務達成率は70%前後と低い数字であった。
しかし戦時中であるため米軍の部隊指揮官および上層部はこの問題を数でカバーすることにした。大量のR-3350エンジンと機体を用意、予備パーツも潤沢に揃え、ノウハウのある整備部署で一括して整備を行いつつ改良を施していくことで対応するというまさに「米帝プレイ」としか言いようのないやり口で、結果的にはR-3350の稼働時間は750時間に伸び、B-29も重量軽減を行い任務達成率を大幅に向上(90%以上)させることになる。
■ドイツの事例
用兵サイドでこのような対応を行うだけでなく、開発サイドでの兵站を踏まえた事例としてはドイツのクルト・タンク博士らが開発したFw109/Ta152などの航空機があげられるだろう。
自らもパイロットとして操縦桿を握ったタンク博士の持論は「戦闘機は競走馬では無く、軍馬でなければならない」との持論の通り、量産しやすく整備しやすいことを主眼として設計・開発されていた。
頑強な主脚は、パイロットが神経を使う着陸操作を容易とした。これによりまた劣悪な滑走路でも運用を可能にした。機体構造は下請工場でも製造が容易なように直線を主体として作られており製造が容易であった。
また前線での整備がしやすいように機体には大型ハッチがとりつけられ、各種部品はコンポーネント化され交換が容易であり(アッセンブリー交換)、機体内部の配線ケーブルのコネクタは接続先別に形状が変わっており、間違った位置に繋げることがないように配慮されているなど、数々の細かい開発時の考慮がなされている。[11]
その他の事例
以後は、兵站の苦労、注意点などを語っている内容へのリンクなので興味がある方は読んでみてほしい。
- 「ハイチ災害救助-後方支援は作戦である-」「Haiti Disaster Relief : Logistics is the Operation」の紹介 海上自衛隊幹部学校 (コラム 040)
- 「F-35ライトニングIIの兵站支援」 連載 軍事とIT (TECH+ [テックプラス]) 井上孝司
- 「東日本大震災の実体験に基づく 災害初動期指揮心得」 国土交通省・東北地方整備局
自己完結能力をもつ国内組織として自衛隊の次に続くのが国土交通省・地方整備局だといえる。彼らは独立した情報入手・(多重化された移動通信装備などの)通信手段のほかヘリも自前で有している。そんな彼らの震災後、初日、一週間、一か月などのタイムスケールにおいて震災時にいかなる事が発生したのか、どう対応が必要なのかを経験と示唆、教訓として公開しており、兵站の中のインフラの維持管理(ここでは復旧)をいかに行ったのかの記録でもある。kindleで無料公開されているので興味のある方はご一読をお勧めする。 - 「フォークランド戦争史」(防衛省防衛研究所)・第10章 後方(兵站)の観点から見たフォークランド戦争
※島嶼防衛の前例ともいえるフォークランド戦争を防衛省防衛研究所が英国識者も交えてまとめたもの。これが無料で読める。特に第10章は兵站問題全般を取り扱っているので、興味のある方はご一読をおすすめする。
…英国本土から1700km先にあるフォークランド諸島奪還のため、英国が国内の戦時備蓄物資をかき集めるだけでなく、WW2の経験、冷戦時代の問題に対応するため準備された徴用船やチャーター船(STUFT)などによる輸送船団に積み込んだものの、慌てて船に積み込んだせいで重要度の高い物資(弾薬とか)が貨物としてもっとも深いところに収納されている始末。また積み荷リストも作成もままならず、上陸地点で荷を裁く羽目になるという悪夢のような展開だったりする。またそれだけではなく、上陸軍への補給にヘリが足りないなど数々の試練と苦闘に遠征軍は見舞われたことが記述されている。(まぁ、それでも何とかするあたり英国らしいのだが…)
日本が最近懸案としている島嶼防衛、あるいは緊急時の船舶輸送などのアプローチについて、非常に示唆に富む内容の数々であり、後述するように防衛省は徴用船舶を取り扱う船員問題について明らかにこの英国の制度を取り込もうとしている(この動きは中国でもみられる)。
戦前・戦中の日本陸海軍の兵站
「日本陸海軍は補給(兵站)を軽視した」とインパール作戦やガダルカナルをめぐる戦いの結果、良く思われがちだが、これもいささか捉え方が違うという意見もあるのでここではその点について記述する。
結論を言えば、日本の兵站システムはある程度の規模、つまり陸軍であれば満州での対ソ連、海軍であれば根拠地までの艦隊補給などは、よく考えられており柔軟な運用が可能だったが、日中戦争のドロ沼にハマるあたりからの急速な軍備拡張ペースと戦域拡大にこの兵站システムはついて行けなかった、というのが正しいだろう。
これは兵站を軽視したというよりは、もっとより上位の戦略構想に至る意思決定プロセスが問題でといえる。
さらにいえば第一次世界大戦で地獄の釜が開いたような国家における「総力戦」をついぞ理解していなかった、というべきだろう。
(あるいは身の丈にあった戦場を作り出すことに失敗した、というべきか。)
日清日露の戦いにおいて日本陸軍、海軍とも補給・兵站の重要性は深く認識していた。問題は国力が追い付いていないこと、これに尽きた。これを打開しようとWW1の結果を受けて総力戦を目の当たりにした士官らの運動もあってか、大正軍縮時代を境いにかなり手厚い兵站組織が陸海軍ともつくられることになった。
陸軍で言えば大正軍縮時代、朝鮮半島の2個師団を含む17個師団、おおよそ20万名。有事の際はこれが単純に倍増して40万名となる兵員の兵站としてはかなり緻密なものが構築されていた。陸軍は主戦場を満州方面とし、陸上・鉄道輸送を構築し、海軍も同様に各鎮守府のもと兵站補給はかなり手厚く構築されていた。
組織としても陸軍、海軍とも兵站業務・後方支援業務を行う経理学校を立ち上げ、この出身者が将官にまで上り詰めているケースもあるし、陸軍は馬匹だけではなくトラックなどの配備がスタートし、これを運転・整備する兵を教育する自動車学校(のち輜重兵学校が分離)などもあった。決して軽視などしていなかったのだ。
問題はあまりに急激な軍の拡張ペースである。
陸軍としてみると昭和11年、日中戦争前夜、日本陸上兵力の急速拡大が始まる。その数なんと26個師団。通常の倍以上の部隊増加である。まぁ、部隊構成を(それまで4連隊=1師団などを3連隊=1師団とか水増し行為をして)いじっているのでこの頃はまだ何とかなったのだが、戦争が始まってからはもう収拾がつかない。根こそぎ動員で110個師団(!)が増加されるのである。こんなのはまともな兵站以前の問題で国力の問題から無理がありすぎである。
(さすがに終戦間際になると、連隊よりさらに小さい大隊三個程度で師団というかなり見劣りする有様ではある)
海軍の問題はさらに根深いといえるかもしれない。
開戦直前における航空機運用問題は最たるもので、直前で戦闘機400機、艦上攻撃機330機、陸攻(爆撃機)は320機あまり、その他いろいろ含めて1400機あまりと言われる(諸説ある)。開戦前パイロットは士官・下士官含めて総勢5500名。ところが昭和18年末の段階で失われた搭乗員は6711名。つまり昭和18年の段階で基本的に開戦前のパイロット数以上にあたる搭乗員を失っている。
実は日中戦争の前後において「戦闘機不要論」が海軍内で発生し、戦闘機パイロットの配置転換などをしていたこともあったが、フタを開けてみれば戦闘機が必要という有様で(詳しくは戦闘機の欄参照のこと)混乱もあるのだが、ここではパイロットの養成をどうしていたのか、について簡単に触れる。
日本が戦争を決意した昭和16年には4000人程度・翌年の昭和17年で8000人近いパイロット候補生を養成しているが、昭和16年~17年練習機は600機(資料によっては900機)とされる。未経験者がある程度モノになるまで25か月かかるとされるが、平時において300時間で操縦に慣れ、500時間で列機(初心者)、800時間で一人前になる、(トップパイロット達は大体1000時間超え)というのが当時のパイロットたちの感覚だったようだ。大体初等訓練では200時間後半だったという記述もある。
では、(実際は教育課程の差もあるし座学などなどあるから難しいのだが)パイロット候補生が4000人にしたとして単純計算してみよう。
1日あたりの飛行時間: 6h
週56h - 整備時間&可動率(30%) = 40h
一日の飛行時間を6時間(h)とする。航空機も整備しないとけないし可動率もあるから、週56hを3割ほど引いて40h。月160h。練習機が600機として、96000hを4000人で割る、月飛行時間は24h。飛行時間250hが最低ラインだとすれば、10か月半。戦闘機パイロットとしてはあと1年あまり必要となる。これは数字上の問題だから、飛行機が飛べない日だってあるし実際はもっと伸びることになるだろう。ただし、16年に育成開始したパイロットが実践に投入できるのは18年となる。実際はそうではなかったことが、上のパイロット喪失数でもうかがえるだろう。
戦争状態になり大量動員となるが、パイロット候補生の数は増えるが練習機は思ったほど増えていない。実戦に送られるパイロットの育成は昭和18年の段階で教育期間は11か月。飛行時間は100時間で一線に送られる形となる。アメリカ軍も開戦後にパイロットの急速動員を始めるので事情はさほど変わらない。変わらないのだが決定的な問題があった。
当時の海軍において搭乗員の育成、特に空母艦載機の搭乗員はおおむね2年ほどかけていたが、実はアメリカ海軍ではその半分の1年で錬成していたのだ。これはもう教育システムというソフトウェア、システムの問題であることが透けて見えてくる。
従来通りの教育方法で時間を短縮しているだけで粗製乱造に近い有様で、パイロットの質は低下していくことはいうまでもない。が、搭乗員育成も手法もやり方によっては少ない飛行時間でも行えるのは芙蓉部隊を率いた美濃部正少佐が実践しているので参考に。
陸海軍とも大規模な戦場に組織が対応しきれていない中、戦域は拡大の一方で、中心となる海上輸送を行うための船も足りない、国内需要を満たすための石油・原油などのタンカーも足りないし、ましてやこれらの貯蔵施設だって心もとない始末だった。海軍の悪戦苦闘というか、投げっぷりと無策っぷりとそれがもたらした結果は大井篤氏の欄で記述しているのでこちらも参考にしてほしい。
もう一つ問題を上げれば、日本国自体がそれほど産業および社会基盤が成熟していたわけではないという現実もある。
一例をあげれば自動車があげられるだろう。戦前の自動車保有台数は22万台と言われているが、基本的に運用は陸軍などが中心で民間ではなかったのは言うまでもない。どうして?それは車が走る道路事情をかんがみればわかる。戦後直後の資料によると国道の舗装率は17%(10万km)、その他は5%(115万km)にも満たないのである。
先にも記述したように、車が正しく運用できるためにはちゃんと舗装された道路があることが望ましい。それが上記の通りだということは民需がそれほど車を必要としていなかった証でもある。
車がそれだけしかなければ国内に石油の需要があるとしても一部の重工場などを除けば大体に海軍である(事実、国内運用タンカーの半分以上は海軍関係を相手にしていた)。そもそもそれまでは輸入で事足りていたのだからして、その規模や知るべしである。
また、陸軍、海軍双方とも悪癖である「員数主義」が横行していたことも理由の一つかもしれないともいう。「員数主義」、つまり、本来であれば数値化して正しく把握 する…という意味ではなく、その場その場で帳尻を合わせるため、余所から盗んできたり書類を改ざんしたり、実際は動くようなシロモノでもないのに額面上辻褄合わせをしたりする場合が横行していた。額面上問題がないから、上層部は問題視できない。現場はその場その場でやりくりしようとする。ますますもって状況は悪くなるという気風があったのではないかという意見もある。
いずれにしても日本陸海軍に蹉跌というか落ち度があるとすれば日中戦争以後、急檄な軍拡張に合わせた兵站システムの再構築が進まなかった、という点だろうか。しかし、組織は「作ります」といって作れるものではない。人材教育は長い年月を必要とするし、それは10年単位のスパンでもあるのだ。おいそれと規模は拡張できないし、拡張するためにはそれ相応の準備が必要となるのはいうまでもない。
そして、陸海軍はそれ相応の準備を怠ったまま拡張作業を行った。国家そのものの体力があれば戦時体制に移行することによりある程度は補いがつく(英国、ドイツ、アメリカがそうであったように)。補いがつかないとすれば…それはそれ以上の規模を求めたからであり、戦前の日本は国家戦略の立案及び組織運営など各所において国家のマネージメントに失敗していたがゆえの結末だと言えるだろう[12]
自衛隊における兵站業務と現在の課題
自衛隊におけるこれらの兵站に携わる業務について簡単に記述する。
主要な装備品及び役務の調達(中央調達)、自衛隊及び在日米軍の施設の取得等事務的なものについては 防衛省装備施設本部(EPCO) 防衛装備庁(ATLA)が行っている。装備庁は、かつての装備施設本部と技本(技術研究本部)の組織と目的を統合・改組する形で2015年に発足した。
ちなみにホームページの「お知らせ」には調達・公募情報や報道資料など興味深い内容が公開されており、入札や調達結果などを知ることができるとか。興味のある方は、防衛省トップページから行ける「調達情報」と合わせて見てみるといいだろう。
これとは別に少額(150万以下)などの条件があれば、各自衛隊の会計機関が調達できることもあり、こちらは地方調達とよばれている。主に対応するのは、補給処や各部隊単位となる。
部隊の後方支援任務にあたるものとしては、陸自においては各師団・旅団隷下に後方支援連隊(Logistic Support Regiment)が存在する。この連隊では師団・旅団の各部隊に対して補給・整備・輸送・衛生支援業務を行うこととされている。海自では補給本部の下、艦船補給処(横須賀)、航空補給処(木更津、下総)がこれにあたっている。空自では補給本部(東京)が統括して行っているとのこと。
また現在、ケーススタディでも上げた海上輸送の問題点を解消すべく新しい案が防衛省から提案されている。
高速旅客フェリーを有事に転用するためには、船員の身分問題などが障壁であるが、これを元自衛隊出身の船員とするなどしてクリア。船会社と防衛省の間で特定目的会社を設立。この会社管理のフェリーを準備し、チャーターを容易にしようというアイデアである。自衛隊側は隊員の再雇用先の斡旋が可能になり、予備自衛官の確保が可能。もともとの船会社は税制上の優遇処置をもたらすことで、平時にはフェリーや貨物輸送を行い、有事の際にはスムーズな転用を可能にしようとする方策であるが、これが無事に進むのか、まだこれからの話になるだろう。
ごくごく身近で見る兵站の一例とは。
このように兵站とは非常に多種・多様な内容を含んでおり、実は実生活にもごくごく身近に兵站=ロジスティクスの影響が垣間見えるケースがある。無論、物流という形が中心だが、ここではいくつかのケースを説明する。
有名なケースでは、日本のコンビニエンスストアのPOSシステムもそうだろう。いち早く在庫の有無を確認して、中央で適切なものを輸送する。これにより、顧客のニーズにスムーズに対応できるだけでなく傾向もつかめる。国内某大手のコンビニチェーンの社長に自衛隊の兵站畑の将官が請われて天下りというか転職したケースも有名でもある。(その後阪神大震災の際にヘリなどを使って弁当を空輸させたなど逸話もある)
また世界的な物流という面でいえば貨物輸送で行われるコンテナの誕生が有名だろう。それまで船からの荷物の積み下ろしは港湾内に停泊している貨物船に詰まれた荷物を荷揚げ人夫(港湾労働者)たちによって仕分け、積み下ろしを行い、艀に乗せて岸壁の間をピストン輸送するという形が基本だったために非常に効率が悪かった。
ちなみに第二次世界大戦時の日本の場合、戦車や野砲などの重量物を運搬する場合、船底にまずこの大重量物を置いて、隙間に米袋などやわらかいものを詰込み、上を慣らして(必要なら板など引いて)、さらに重量物を入れて、隙間にやわらかいものを詰込み…という形で行われていたという。船の形状が許せば甲板に据え置き固定で、船に設置されたデリッククレーンで降ろしていた。当然、岸壁に接岸できなければ艀を用意する必要が生じるのはいうまでもない。
この方法は当時、日本だけの光景だけでなく世界を見ても(港の規模や船のサイズ、クレーンの能力に差異はあれど)違いは無かった。
米袋や麻袋など袋づめの場合は、仕分け、積み下ろしの段階で痛み、破損し、中抜きと呼ばれる窃盗まであり、荷物が必要な数だけ届かないことも多い。第二次世界大戦後半から金属製のケース=コンテナを用意して運搬することが考えだされたがまだ本格的にはならなかった。
ここでアメリカの貨物輸送会社の社長があるひらめきを行うことになる。
「どうして船の積み下ろしで一々貨物を下ろさないとならないんだ? 車ごと入れてしまえばいいだろう」
これがRo-Ro(Roll-On/Roll-Off)船の誕生で、船に積み下ろし用の板(ランプ)を取り付けることで船に車ごと乗り入れてしまうことを考え付く。
そして、さらに発想を進め、最終的に「クルマごと乗り入れるのは不経済だ(不要な車台・運転席などがある)。いっそ荷台だけでいいのではないか」となり、貨物コンテナの誕生となった。
規定された貨物コンテナのメリットは複数ある。まずコンテナ間の連結が容易である。横に、縦に、連結することにより荷物としての安定性が増す。また、貨物コンテナ内部に冷却システムを置くことで冷蔵したまま貨物を輸送することが容易になった(つまり輸送する船、トラックに冷却装備が必要なくなる)ので、荷物の混載が可能になった。
このように船、鉄道、車、あるいは航空機に搭載可能な各種規格サイズのコンテナは物流に革命を及ぼした(当然、これは軍組織にも波及していくこととなる)。
工場で詰め込まれたコンテナは、トラック・トレーラー・貨車などに積まれ港に行き、そのまま大型クレーンによって船に積載される。このようになって港に荷揚げ人夫の姿は消え、大型クレーンとコンテナを配置する広大なスペース、コンテナを積んだ車両がスムーズに陸路で移動できることが貨物港によって必要な要素となった。
そして現在、湾岸戦争~イラク戦争の米軍と同様にコンテナ内部の貨物追跡のためにRFIDタグの活用もはかられている。非接触型のICチップであるため、コンテナに梱包したまま中の荷物が確認できる他、コンテナから取り出したあとの荷物の仕分けも容易になる。
だが、コンテナの問題も同様に取沙汰されている。荷物を運んだあとの空コンテナ輸送のための非効率性(つまり中身が空なのに持ってきたのと同様の輸送手段が必要)、コンテナのメンテナンス管理などについてどう行うかの問題が生じているのも同様である。
このようにコンテナのISO規格による統一化や、コンテナから取り出したあとのパレットと呼ばれる荷台などの統一問題もあるが概ね軍の兵站業務と同じことが物流業界でも発生している。
さらにこの問題は、某外資系ネット販売サイトの荷物輸送方法にもつながっている。
ごくごく小さい一品をオーダーしたにも関わらず、大きい箱で届いたことはないだろうか。
これを「無駄」とみるか、「ああ、なるほど」と感じるか、兵站の関係から考えると一つの答えが見えてくる。
湾岸戦争の事例にも書いたが、商品のサイズは多種多様で特定の形はない。しかも複数個頼んだとしたらサイズもはっきりとしない。
適切なサイズにパッキングすることはできるだろう。しかしそれには人手と時間を必要とするのはわかるだろうか?
そして、その適切なサイズにパッキングした荷物がトラックの荷台に隙間なくぴったり収まるかどうかはやってみるまで分からないという不確定要素もつきまとう。
時間のコストなどを考えれば、『あらかじめ決められたサイズの箱に入る』ことが重要となるのが理解できるだろうか。
これにより立方体としての高さ・幅・奥行が規格化され、使用した箱のサイズと数量により輸送に使うトラックの事前見積が可能になる。
これが輸送という面での兵站の考え方、ともいえる。
まとめとして
上記の説明した内容は補給と整備、調達などに限られていることに注意してほしい。
「兵站」=「補給」「輸送」という枠組みだけではないことに注意してほしいと願うばかりである。
(実例を挙げて説明すればするほど長くなるのでこれでもかなり端折っています…申し訳ない)
実際はこれにオペレーションズ・リサーチ(OR)も絡むし、それだけではなく地理情報や気象情報などなど様々な分野が密接に絡み合っているため兵站のすべてを網羅することは極めて難しい。
そして、『兵站』と二文字の中に隠された様々な要素を感じてもらいたい。
また兵站とは各種の業務により構成されており、兵站及び補給について学ぼうとする場合、まだまだ国内でそれを論じた書籍は少ないし内容が網羅されていないのが実情でもあるので、ぜひ興味を持たれた方は(関連商品にあげられた書籍などをきっかけに)調べてみてほしい。
驚くほど実社会の数々の分野に関わってくる問題だということがわかるだろう。
日常においては想定と計画を行い、継戦能力維持向上に努めて日々の活動の改善を行い、有事においては想定を超える事態に対応する、これが兵站活動のコア、本質ともいえるだろう。
最後に、文中の参考文献として紹介した国土交通省東北地方整備局の「東日本大震災の実体験に基づく 災害初動期指揮心得」のあとがきに、この兵站業務に携わることの難しさと問題について語っているので引用させてもらう。
備えていたことしか、役に立たなかった。備えていただけでは、十分ではなかった。
まさしくそこには日常においても常に備えつづけること、そしてそれでもなお足りないものを補う必要があることを訴えている。そして、備えは大切であり、教訓も参考にしてほしいと書き残す一方、決してこの教訓にとらわれるなとも書き残している。
備え、しかる後にこれを超越してほしい。
それが出来る指揮官と現場の人員がいる組織が兵站に強い組織ともいえるのかもしれない。
関連動画
関連コミュニティ
関連リンク
- ロシア陸軍の兵站の特徴とウクライナ侵攻 ―鉄道輸送の重要性と露呈した脆弱性― 2022.4.20
関連項目
脚注
- *「補給戦ー何が勝敗を決定するのか」(著:マーチン・ファン・クレフェルト)の解説を書いた石津朋之の作った言葉である。もちろん似たようなことは従来から言われてきている。(「プロは兵站を語り、素人は戦略を語る」石津朋之防衛省 防衛研究所 戦史部第一戦史研究室長[keyperson]:ロジスティクス・ビジネス[LOGI-BIZ]バックナンバー)
- *「日本の防衛力再考」兵頭二十八 銀河出版 1995 p.225-226
- *「戦場の未来 兵器は戦争をいかに制するか」ジョージ・フリードマン レディス・フリードマン 関根一彦:訳 徳間書店 1997 p.34
- *忘れてはいけないのは現地の衛生状況。国内から派遣する場合に注意しなければいけない飲み水の確保、排便などの下水処理などは派遣先の環境悪化を招きかねないので細心の注意が必要となる。
- *内陸国でありながら海軍や海兵隊を設立しているところはある。ただし、湖沼の警備にあたっているだけや歴史・伝統的に残しているだけというのもあり、他の軍に比べると優先性が低いためやはり潤沢な予算は回らない。
- *完成品を輸入した場合アメリカの兵器産業は成長せずアメリカの資産が海外へ出ていき、H&K社の丸儲けになるのでそれらの影響を恐れたアメリカが輸入を嫌がってH&K社に部品をアメリカでライセンス生産させるよう求めた。
- *XM8はもともと陸・海・空・海兵隊の装備をすべて共通化しようというシステムウェポンの計画として作られた武器だが、既存の銃と勝手が違いすぎるのでアメリカ軍の戦略まですべて変更することになってしまう上に全面更新した場合、上記のように発生する費用が全軍に発生するという事態になってしまうため見送られたらしい。
- *英仏、断交寸前だった…フォークランド紛争時 (読売新聞 2013年1月1日(火)12時18分)
- *自作PCのケースで言うと、マザーボードのコンデンサなどを修理・入替するよりもマザーボードごとまるまる交換したり、HDDユニットごと交換するようなもの、と想像するとわかりやすいだろう。車両・航空機ではミッション・エンジンなどのパワーパック関係が良くあるケースとなる。
- *内部にスペースがないと、F-16が各種アップデート時にドーサルスパイン、コンフォーマルタンクとゴテゴテ機体に追加していったように増設パーツが機体外部に飛び出すことになる。いちおう空力などに影響がでないようになっているとはいえ、あまりいい状態ではない。
- *日本の航空機開発においては三式戦などを開発した土井武夫氏などのように、工数削減のために骨組みに穴をあけるような地道な重量軽減作業を「バカ穴」と呼び行わなかったケースもある。またF-2の事故の際にケーブル取り違えなどの誤整備が原因となったこともある。
- *ブラック企業の幹部がむちゃくちゃな出店計画を立案。誰もが内心それはマズイと思いつつも、言えば面倒になるので誰も突っ込めず、その正しさと方法を誰も評価しないまま、先例に基づいて、あるいは過去の成功体験よもう一度と、現場の努力に依存して出店計画が実行に移された、と言い換えるとわかりやすいだろう。
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