アンドロイド(android)とは、人間そっくりな人工生命体の事である。人造人間のこと。
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語源
「アンドロイド」という単語が初めて使われたのは1886年に発表されたフランス小説「未来のイヴ」である。
作中に出てくる「アンドロイド:Android」とは、古典ギリシャ語の「ἀνδρό- andro- (ἀνήρ anēr 『男性』の語幹)」と「εἶδος eidos 『そっくり・もどき』」を組み合わせた造語である。主に「人造人間」のような意味で使われる。
小説のストーリーは『ある青年が一人の女性に恋をしてしまう。しかしその女性は絶世の美女であったが心は酷く醜かった。青年は傷付けられ悩み自殺を考える。そこで博士が青年のために女性の人造人間を作る。』という物。
作品テーマは『女性型人造人間は人間の心を満たせるか』
しかし、本来ギリシャ語でアンドロイド(Android)といった場合は『男性っぽい』『男性もどき』という意味になってしまうので現在では、女性型アンドロイドは「ガイノイド:gynoid」(古典ギリシャ語 γυνή gynē 『女性』)と分けようとする向きもある。最も、「人間のような存在」を当てはめて「ヒューマノイド」と呼称するのが最近の流れとなっている。
現在日本では、サイボーグと混同されることが多いが、サイボーグは土台が人間であるのに対し、アンドロイドは人工物を用いて人間を目指した存在である。
有名な小説である「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」「五月の晴れた日に」などに名無しのアンドロイドが登場する。ただし「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の映画化作品ではアンドロイドという単語は使われず「レプリカント」という新たな造語を当てられている。
日本の漫画・アニメ等におけるアンドロイド
漫画やアニメにもアンドロイドはよく登場する。それは人間同様の思考回路を持つ存在として描かれる存在。ただし感情に関しては様々で、2つに大別することが出来る。
まず一つが人間とほとんど変わらない感情を有する場合である。異性に対して恋愛感情を持ち、他人の感情を理解した行動を散ることが出来る。(例、アトム(鉄腕アトム)、安藤まほろ(まほろまてぃっく) )
この方式の場合外見さえ人間と同じであれば、周囲からは一見アンドロイドであることがばれないものもある。もしくは自分のことを人間だと思っていたが実はアンドロイドだった、なんていうのも良く見られる設定である。
あとの一つはほぼ無感情、または必要最低限の感情しか持っていないため、他人の感情の機微を読み取ることが出来ない場合。(例、絡繰茶々丸(魔法先生ネギま!)、セリオ(To Heart) )
無表情で淡々と作業をこなす有能な存在が多く、前者の場合と比べると非常に機械的なキャラといえる。こちらで良くあるのが、人と接していく中で段々と感情に目覚めていき、自分の中に目覚めた感情に戸惑うだろう。
ロボットとはちがうの?
ロボットは「人間(あるいは動物)のような働きをする人工物」を意味することが多い。機能に重きを置いていると言える。
対してアンドロイドは「人間に極力似せる」ことに主軸を置いた存在である。類似性に重きを置いているともいえるだろう。
たとえば工場などで機械の組み立て作業を半自動的に行う「産業用ロボットアーム」や「ルンバ」に代表される「ロボット掃除機」は実在しており既に広く普及しているが、これらは「ロボット」であっても「アンドロイド」とは呼べない。
対して、例えばの話であるが、「人間のような容姿・人間並の思考能力を持ち、食事もできて、高校に通って部活に参加し、あまつさえ部長の大任を果たすような存在」が居るとすれば、それはアンドロイドであると言えましょうな。
究極的にいってしまえば、「揺らぎ育める「心」を持つ」ことができるようになれば、身体的根幹は違えど、人間と同等の感情を持つ知性体となる。なおかつ、人間のように外部要因で「心を捨てる」こともできれば、それは人間といっていいだろう。逆にいえば、人間も間違えたり、心を捨てたり、踏ん張れるのである。
主なアンドロイドキャラクター
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関連項目
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