小笠原・火山(硫黄)列島の歴史
2〜1億年前 | 南鳥島、海底火山の活動。 |
5千〜3千万年前 | 小笠原群島(父島列島、母島列島、聟島列島)、海底火山活動。 |
3千万〜百万年前 | 聟島列島を除く小笠原群島の大半が海底火山の隆起により島となる。 |
約20万年前 | 南鳥島、隆起して島となる。 |
約15〜12万年前 | 聟島列島の隆起により小笠原群島が完成。 |
10万年前〜紀元後 | 火山列島の活動によりまず南北の島が、後に硫黄島本島が隆起。 |
2000年前以降? | 北硫黄島に先史人集団が定住もしくは漂着(石野遺跡)。父島大根山にも先史人居住?(大根山遺跡)。 |
9世紀〜16世紀? | マリアナ先史人(ラッテ人)、北硫黄島・父島・八丈島などに漂着?、磨製円筒石斧を遺す。 |
1543年(天文12) | スペイン船サン=ホワン号、火山列島発見? |
1639年(寛永16) | オランダ船エンゲル号とフラフト号、小笠原群島発見? |
1670年(寛文10) | 遠州灘で遭難したミカン船が母島に漂着。父島・聟島経由で八丈島に生還。 |
1675年(延宝3) | 徳川幕府、4〜6月に探検隊を派遣。測量後に地図を作製。 |
1702年(元禄15) | スペイン船ロザリオ号、西之島発見。ロザリオ島と命名。 |
1727年(享保12) | 元長崎オランダ商館医師ケンペル、著書「日本誌」中で無人島(小笠原)を紹介。 |
1774年(安永3) | 八丈島から幕府の探検隊が小笠原へ出帆するが、鳥島近海の暴雨風で吹き戻され失敗。 |
1784年(天明4) | クック探検隊のゴア、硫黄島を発見。(1779年説もある。) |
1785年(天明5) | 林子平、小笠原を「無人島」として紹介した『三国通覧図説』を出版。 |
1823年(文政6) | 英国捕鯨船、母島に寄港。以後、各国の北太平洋捕鯨船の寄港地となる。 |
1827年(文政10) | 英国測量船ブロッサム号、小笠原諸島の測量を行う。 |
1830年(天保元) | 白人5名、ハワイ先住民約20名が父島来島、定住を始める。 |
1837年(天保8) | 田原藩家老の渡辺華山が小笠原視察を願い出るが、藩に却下される。英軍艦ラリィー号、西之島の調査を行 う。 |
1840年(天保11) | 鹿島灘で遭難した6人乗りの中吉丸が父島に漂着。島民の支援で銚子に生還。 |
1847年(弘化4) | 米捕鯨船フランクリン号、父島に寄港(副船長はジョン万次郎) |
1853年(嘉 永6) | 6月、ペリー提督、沖縄より父島に寄港、石炭補給所 用地を獲得。 7月、ロシアのプチャーチン提督、父島寄港。 |
1861年(文久元) | 外国奉行水野忠徳、咸臨丸で来島、日本の領有と欧米系住民の保護を宣言。 |
1862年(文久2) | 幕府の支援を受け、八丈島などから日本人の入植始まる。 |
1863年(文久3) | 前年の生麦事件の影響で国際緊張が高まり、日本人入植者は小笠原から撤収。 |
1875年(明治8) | 外務省の調査団が明治丸で来島、欧米系住民、日本所管となることを諒承。 |
1876年(明治9) | 7月、日本政府、37名の移民を送り、扇浦に仮庁舎設置。 10月、小笠原が日本領土であることを諸外国に宣言。 年3回の横浜〜父島の航路が開設される。 |
1879年(明治12) | 南鳥島への探検が行われる。 |
1880年(明治13) | 小笠原群島の管轄が内務省から東京府に移される。 |
1886年(明治19) | 小笠原島庁を設置し島司を置く。父島〜母島の連絡船就航。 |
1887年(明治20) | 東京府知事らが小笠原・硫黄島を視察。当時の小笠原人口は498人。二見港大村突堤完成。 |
1889年(明治22) | 硫黄島に父島から8人の漁師が上陸。鰹・鱶漁を行うが、食糧不足および母船の遭難により挫折。 |
1890年(明治23) | 父島製糖組合設立、サトウキビ栽培が本格化。 |
1891年(明治24) | 9月、火山列島、正式に日本領となる。 |
1893年(明治26) | 硫黄島で硫黄の採掘始まる。 |
1896年(明治29) | 母島より20名が南鳥島に移住。 |
1898年(明治31) | 南鳥島、小笠原島庁の所管となる。この頃までに小笠原諸島への入植者が4000名を超える。 |
1899年(明治32) | 横浜〜父島便が年12便となる。後に24便となり、6便が硫黄島まで航路を延長。さらに年に1回、遭難者 捜索のため南硫黄島へも定期船が向かった。父島〜母島の定期船が月2便就航。北硫黄島への入植始まる。 |
1901年(明治34) | 母島漁業組合成立、母島列島および火山列島を組合地区とする。 |
1902年(明治35) | 米国人が南鳥島の領有を試みる。日本政府は軍艦「松島」を派遣し、さらに南鳥島に海軍陸戦隊を上陸させて これを牽制。後に日米協議であらためて日本領と認定される。小笠原群島の全ての小学校に英語科が併設される。 |
1904年(明治37) | 硫黄島への入植・定住始まる。南硫黄島北東で海底火山(福徳岡の場)が噴火、隆起して標高150mの新島 (新硫黄島)となるが、4ヶ月ほどで活動を終えて海面下に沈降。 |
1905年(明治38) | 8月1日、小笠原と本土を結ぶ海底電信線が開通。 |
1910年(明治44) | 海軍の測量艦「松江」以下10隻で、小笠原諸島・西之島・火山列島の測 量が行われる。 |
1911年(明治45) | 白瀬探検隊を乗せて南極から帰る途中の開南丸、父島に寄港。 |
1913年(大正2) | 父島から東京への氷蔵鮮魚輸送開始。 |
1914年(大正3) | 明治37年と同じ地点で海底火山(新硫黄島)が活動・隆起、最大標高は120mに達したが、約4ヶ月後に 活動を終えると再び海没。2〜7月、北原白秋が父島に滞在。 |
1917年(大正6) | 父島経由での南洋航路開設。年12航海、往復で24回父島に寄港。以後増便し、最大で年24航海、48回寄港となる。 |
1920年(大正9) | 陸軍築城部父島支部が設置される。 |
1923年(大正12) | 陸軍が父島要塞司令部を設置。(平時には守備部隊の配置なし。) |
1926年(大正15) | 小笠原島庁、小笠原支庁と改編される。 |
1927年(昭和2) | 昭和天皇、戦艦「山城」にて父島・母島に行幸される。 |
1928年(昭和3) | 南鳥島の産業振興不振により全島民が小笠原群島へ撤収。 |
1931年(昭和6) | 沖ノ鳥島が小笠原支庁の所管となる。 |
1932年(昭和7) | 父島州崎に飛行場建設開始。 |
1933年(昭和8) | 海軍が小笠原近海などで大演習。硫黄島に滑走路を仮設。 |
1934年(昭和9) | 父島に二見海軍燃料貯蔵場を建造。 |
1935年(昭和10) | 南鳥島に海軍気象観測所開設。植物学者により南硫黄島の調査が行われ、八合目まで到達。 |
1936年(昭和11) | 海軍大演習に併せて南鳥島に飛行場建設、硫黄島の滑走路も増設される。植物学者らの調査隊、南硫黄島初登 頂。 |
1937年(昭和12) | 海軍、硫黄島の飛行場を拡大整備(後の千鳥飛行場)。大型飛行艇による羽田〜父島〜サイパン〜ヤップ〜パ ラオを結ぶ貨物便開設。西之島西岸沖で海底火山の活動(?)。 |
1939年(昭和14) | 父島州崎に海軍飛行隊が設置される。硫黄島での気象観測開始。 |
1940年(昭和15) | 父島・母島・硫黄島の3島5村において町村制施行。要塞地帯法改正により父島列島全域が要塞地帯に指定さ れる。 |
1941年(昭和16) | 海軍、父島に第7根拠地隊新設、南鳥島にも部隊を派遣。母島と硫黄島で砲台の設置工事開始。海軍の要望で 沖ノ鳥島に気象観測所の建設着工(後に中止)。12月1日、グアム攻略部隊が母島沖村で上陸演習を行う。 |
1942年(昭和17) | 第7根拠地隊、父島方面特別根拠地隊に改編される。 中央気象台(現:気象庁)母島測候所建設開始。工事担当官は藤原寛人技官(新田次郎)で、翌年3月完成。 |
1943年(昭和18) | 4月、海軍南鳥島警備隊新設。9月1日、南鳥島へ米軍が空襲と艦砲射撃。 |
1944年(昭和19) | 5月、南鳥島空襲。6月、小笠原全域へ空襲開始、住民6886人が本土へ強制疎開。 9月2日、ブッシュ中尉(後に第41代米国大統領)操縦の艦載機が父島を爆撃中に対空砲火で撃墜され、同乗の2名は戦死。同中尉は漂流後、米潜水艦に救出 される。 |
1945年(昭和20) | 硫黄島玉砕。終戦により小笠原諸島・南鳥島も米軍が占領。 |
1946年(昭和21) | GHQ、欧米系の島民にのみ小笠原帰島を許可。対象者135名のうち129名(34世帯)が帰島。 |
1947年(昭和22) | 帰島を許可されない島民により小笠原帰郷促進連盟結成。 |
1951年(昭和26) | 米軍の委託を受け、南鳥島で気象観測開始(〜昭和38年) |
1952年(昭和27) | 硫黄島へ最初の遺骨収集団。 |
1956年(昭和31) | 米海軍、硫黄島と父島に核爆弾配備(数年で撤去)。 |
1960年(昭和35) | チリ地震津波により大きな被害を受ける。 |
1965年(昭和40) | 1月、日本〜小笠原の郵便取り扱い開始。10月、沖ノ鳥島近海で海底噴火。 |
1968年(昭和43) | 6月26日、小笠原諸島・火山列島など日本へ返還。小笠原村設置。当時の人口は285名(父島のみ)。 |
1971年(昭和46) | 小笠原復興計画閣議決定。 |
1972年(昭和47) | 4月、東京〜父島、父島〜母島に定期船就航。 6月、電気が米国式の60Hzから東京電力の50Hzに切り替わる。 10月、小笠原諸島が国立公園に指定される。 |
1973年(昭和48) | 西之島近海で海底噴火。火山活動は翌年まで続き、隆起して西之島と陸続きの新島(西之島新島)となる。 |
1975年(昭和50) | 南硫黄島が原生自然環境保全地域に指定される(国立公園からは除外される)。 |
1982年(昭和57) | 環境庁、南硫黄島に対する初の本格的調査を10日間行う。 |
1984年(昭和59) | 小笠原諸島振興審議会具申により旧硫黄島島民の帰住は不可とされる。政府は旧島民一人につき見舞金45万 円を支給。西之島と北硫黄島の中間付近で海底火山(海徳海山)噴火。 |
1987年(昭和62) | 戦前から小笠原の重要産業であった捕鯨が商業捕鯨禁止により終了。 |